369 安芸太田の長尾神社と飯塚市鹿毛馬の厳島神社
20160713
太宰府地名研究会(神社考古学研究班)古川 清久
熊本地震の前後に安芸太田、岡山県の湯原と物部の領域の神社を頻繁に見て回っていましたが、中国自動車道の加計インターに近い長尾神社にも訪問していました。
既に、ひぼろぎ逍遥 322 春本番!安芸太田から邑南町の神社探訪 ⑤ “広島県旧加計町中心部の長尾神社”として書いていましたが、書き残していたことに気付き再度補足のために書くことにしました。
神社の由緒書きもないため、ある程度の見当は付きましたが、まだ「広島県神社誌」(ネット価格\20,000…先に島根県神社誌を買わなければなりませんが)は手に入れてない事から、安芸太田町の教育委員会の掲示板に頼るしかありません(写真掲示板)。
祭神は1655年厳島神社からの勧請とあり、宗像三女神ということで良さそうです。
ただ、1655年よりももっと早い段階から、この地に厳島神社を奉祭する氏族が入っていた可能性は否定できないと思います。
前回のリポートでは見落としていたのですが、教委の「厳島神社から宗像三女神を勧請」という部分を読み飛ばしていたことからはっきりとは書けなかったのですが、祭神が一応は特定できたことから少し踏み込みたい部分があるのです。
それは、加計インターの「加計」という地名についての話です。これについては前回のリポートを書く時点でも気付いていましたが、この地に住み着いていた人々のルーツについて思い当たる事があるのです。
厳島神社からの宗像三女神の勧請で、加計(カケ)地名ならば、この地に住み着いた人々は、福岡県飯塚市の鹿毛馬(鹿毛馬神籠石で著名)からの移住者若しくはとしか縁故者としか考えられないのです。
飯塚市鹿毛馬の地名の意味は鹿毛の間の意味で、中間、赤間、福間、和間、須磨、大間…といった湾奥地名の一つで、本来、地名の根幹は鹿毛(カケ)にあります。
しかも、この地にある厳島神社は、本来は宗像大社や宮島の厳島神社よりも遥かに高格式の神社(白川伯王家)と考えられ、その一族、縁故者の移住(避退)が、この安芸太田の地に入られたのだと思うものです。
この鹿毛馬の厳島神社については、ひぼろぎ逍遥230 白川伯王家源流の神社初見 “飯塚市鹿毛馬の厳島神社(安芸の宮島のルーツ)”外で書いていますので参考にして下さい。
なお、地図の「鹿毛馬」の隣の大字が「佐與」であることがお分かり頂けると思いますが、厳島神社の社名のルーツである市杵島姫(瀛津嶋姫)の別名である佐與、佐用、佐用…であることがお分かり頂けると思います。