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389 2016年真夏の津山の神社探訪 ⑦ “津山市賀茂町の河井神社の高良神”

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389 2016年真夏の津山の神社探訪 ⑦ “津山市賀茂町の河井神社の高良神”

20160827


太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 岡山県の津山市でも最も奥の集落、旧阿波(アバ)村の入口といったところに河井神社があります。

 場所は非常に分かり易く、JR因美線の美作河井駅の直ぐそばといったところです。


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地図をご覧になれば分かるとおり、二つの川が合流する場所、つまり河合(川会)が、いつしか河井と呼ばれ表記されるようになったようです。

 さて、河井神社の鎮座地である津山市加茂町と言う地名からも、また、その奥に阿波(アバ)と言う地区があることからも、この地が大幡主系の白族(瀛氏)の領域、従ってその手の神々が鎮座している事が座っていても想定できそうです。

 ただ、愕いたことに、境内末社として天児屋根命(実は阿蘇高森の草部吉見=ヒコヤイミミ)が鎮座していたのです。

 その前に神社の掲示板をご覧ください。


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まず、愕いたのは、高雷(文字が無い)龍神こと(こらのかみ)が筆頭に書かれていた事でした。

 これは、龍神と書かれてはいますが、高良大社の高良玉垂命=第9代開化天皇である可能性が高
いようです。特に、仲哀死後の息長帯比売命が高良玉垂命のお妃となられ、五人の皇子をもうけておられる事から(「高良玉垂宮神秘書」右)この二柱が筆頭に掲げられている事との整合性が認められるからです。

 応神こと誉田別命はしかたなくといった感じですが、玉依姫命は鴨玉依姫の事(下鴨)で、山幸彦(ニギハヤヒ)の子であるウガヤフキアエズ(記紀とは合い入れませんので悪しからず…)のお妃で、豊玉彦(ヤタガラス)の娘である忌部の正統後継者が祀られている事になるのです。

 最後尾の火産霊命は吉備の中山ですから、勿論、金山彦で良いと考えられます。

 しかし、この津山の奥地でも、高良玉垂命と神功皇后の御夫婦が確認できたのは大きな収穫でした。

 では、天児屋根命を祀る境内末社をご覧いただきましょう。


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ここでも面白いのは草刈神社とされていることです。草部吉見の痕跡が辿れて実に面白いですね…。

 この流れから後の藤原氏藤原天皇制が成立する事になるのです。

 現地での聴き取り調査も行っていない(野良にも集落にも人影がない)ことからこれ以上の憶測は危険ですのでこれまでとします。

 やはり、辺境では原型が保たれているという事を実感した今回の探訪でした。


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