スポット112(前) 朝倉~日田が犠牲になった九州北部豪雨災害は行政が引き起こした!
20170713
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
2017年7月の九州北部豪雨では、福岡県朝倉市~大分県日田市に掛けての多くの山沿いの集落が悲惨な状況に陥っています。
しかし、本流の筑後川の堤防は決壊(決堤)、溢流(オーバー・フロー)もしていませんし、単に大雨が降って流れただけならば泣く人も全くいなかったはずなのです。
画像は一例ですが、良く知られた場所の朝倉市杷木町の杷木ICの西側の被災地です。
今のところどこが最も酷い災害地なのかが分からない状態ですが、まず、筑後川北岸(右岸)の朝倉から日田にかけての山間部を中心に局所的に被害が出ているようです。
実は、この局所的と言う認識が重要なのです。
一般的には朝倉市から日田市に掛けた全域で大規模な雨が降っているといった印象をお持ちの方が多いかも知れませんが(そういった発表がされているので当然でしょう)、メンバーにはブロガーでもある元気象庁の上級職員もおられ、等しくこの一帯に住む者として“全くそうではない”という話をしています。
大規模な災害が頻発した前後、私自身は日田市でも東の標高450メートルの阿蘇の外輪山の延長の様な所にいたからかも知れませんが、それほど大規模な大雨が降ったと言った印象はありませんでした。
あくまでも、被害は山崩れが起こった地域に集中しており、この人工林地の崩落が起こっていない場所では被害と言う被害は全く認められないのです。
問題は人工林地の崩落であり、テレビ報道を見続け確認を続けましたが、その崩落地の大半がと言うよりも殆ど全てが杉、檜(まあ大体は伐期35年のはずの杉林なのですが)の人工林地だったのです。
その前に気になる事があるので先に触れておかなければなりません。
それは、「線上降水帯」とか48時間降水量(見せかけ上これまでにない大雨が降った印象を与える)で550㎜と言った新表現によって過度に大規模な大雨が降っているといった印象を植え付けようとしている(印象操作)ように思える事です。
それに連動して、“焼け跡に焼夷弾”と言った感のある責任逃れのためのメールがやたらと乱発されているのです。
こういった事を奇妙に思っていると、武田邦彦教授がユーチューブ上で十分納得できる話を早々と出しおられました。
少なくとも私に関しては、行政や気象庁や大手マスコミは信用するに値せず、全くの嘘に近い情報を発信しているものと確信しています。
まずは、僭越ながらも武田教授の話を一つでもお聴き頂きたいと思いご紹介申し上げます。
今回の大雨報道、洪水報道の異常さについては武田教授が十分に話しておられますので付け加える必要などありません。
これも教授が指摘されていることですが、私が産まれた昭和28年の諫早大水害の時の降水量は、24時間(決して48時間ではないのです)で1109㎜なのであり、遥かに多い(今回の4倍程度)降水量が確認されているのです。
つまり、この程度の雨(普通の大雨で来年でも今年でも再び起きる)はこれまでにも何度となく降っていたのであって、それ以上に大きな問題が背後に隠れている事に気付かなければならないのです。
諫早豪雨
諫早豪雨(いさはやごうう)は、1957年7月25日から7月28日にかけて長崎県の諫早市を中心とした地域に発生した集中豪雨およびその影響による災害のこと。
諫早豪雨は気象庁が正式に命名したわけではないが、広く使われている呼称である。地元自治体やマスコミなどは諫早大水害(いさはやだいすいがい)の呼称も用いている。
以下の記述では、市町村合併によりすでに消滅している自治体もあるが、原則として豪雨発生当時の自治体名で示す。
南高来郡瑞穂村西郷では24時間降水量が1109mmという驚異的な降水量を記録し、6時間降水量と12時間降水量では日本歴代最高記録を記録している。
ウィキペディア(20170713 21:26)による
長崎大水害(ながさきだいすいがい)は、1982年(昭和57年)7月23日から翌24日未明にかけて、長崎県長崎市を中心とした地域に発生した集中豪雨、およびその影響による災害である。
気象庁は長崎県を中心にした7月23日から25日の大雨を「昭和57年7月豪雨」、長崎県は「7.23長崎大水害」(7.23ながさきだいすいがい)と命名したが、本項では降雨・災害双方を区別しない通称の「長崎大水害」を項目名とした。
以下の記述では、市町村合併によりすでに消滅している自治体もあるが、原則として豪雨発生当時の自治体名で示す。
長崎市の北に位置する西彼杵郡長与町では23日午後8時までの1時間に187mmの雨量を観測。これは日本における時間雨量の歴代最高記録となっている。また西彼杵郡外海町では23日午後8時までの2時間に286mmの雨量を観測し、こちらも歴代最高記録となっている。…
…時間雨量では長与町役場に設置された雨量計で23日20時までの1時間に187mmと、1時間降水量の日本記録となる値を観測。長浦岳の雨量計(アメダス)では19時までの1時間に153mm、同8時までに118mmの雨量を観測した。また、外海町役場に設置された雨量計で23日20時までの2時間に286mmと、2時間降水量の日本記録を記録している。降り始めからの24時間雨量は長崎海洋気象台で527mmを観測した。
ウィキペディア(20170719 11:18)による
299人の死者を出した長崎豪雨災害は527㎜であり、48時間で550㎜などと倍の嵩下駄を履いた朝倉は24時間に置き換えれば、その半分の規模でしかなかったのです。
今回の豪雨災害(一応豪雨としておきますが…)の特徴はどなたが見ても歴然とする杉、檜の流木の異常な多さでにり、どのように考えても売れもしない人工林を無理に植えさせ、売れないまま放置させていることから、急斜面に50年生、60年生といった通常の伐期を越えた大重量の危険な木材が崩れ落ちるのを待っていた事にあったのです(これを追認したのが「長伐期施業」という事実上の棚上げ政策です)。
これこそが拡大造林政策の付け回しによる負の遺産であり、今後、国民生活を脅かす危険な時限爆弾と言えるものなのです。
恐らく今回の災害復旧が完了する前後には再び別の豪雨災害が追い打ちをかけ、今回被災を免れた場所や復興したばかりの場所さえもが再び抜ける事になるでしょう。
事実、日田市の山国川流域では五年前の災害復旧の途上の場所が、またもや新たな洪水被害を受けている様なのです(まだ、現地に入れないため確認できないでいます)。
時限爆弾としての人工林地
これについては、この間何度も書いてきましたので要点しか申し上げません(実際、バカバカしくてまじめに書く気にならないのです)。
① 現在、人口減少の中で家は余り続けていますし、まず、需要が減少している事はお分かり頂けるでしょう。
② 家を建てられる経済力を維持している都市住民の住居は、既に大半がマンションであり、鉄とコンクリートとガラスとプラスティックスと僅かばかりの外材(米松)だけで造られており、国産材が使われる余地はほとんどありません。
③ その上に、売国奴小泉竹中改革以来、国民の所得が半減させられた結果、伝統的な和風住宅を建てられる財力を持った人は激減しており、所謂、大工さんが建てる様な和風住宅が減り、国産材(杉、檜)の需要は今後とも回復しません。
④ 現在、農水省、林野庁、県林業課、森林組合といったバカの4乗による新規植林、造林が継続されていますが、需要の回復は目を覆うばかりの惨状で、売れない国産材を処分するためにバイオマス発電と称して高コストの逆ザヤ発電により焼却処分されているのが実情なのです。
⑤ この問題を一時的に棚上げにするために60年生の育林などといった事実上の放置が蔓延し、伐期が遥かに超え搬出もままならない大重量の杉、檜(本来の伐期は35~40年、40~45年)が、表土を失った急傾斜にドミノ倒し並みの崩落の順番を待っている状態にあるのです。
⑥ 恐らく災害復旧が完了する前に再びどこかで同様の災害が見舞う事になるでしょう。
⑦ 福岡県の人工林率(H24.3.31)は全国第二位(64%)ですが、朝倉市周辺は、最も大きな地域です。、大分県は54%と多少低いのですが、大半の崩落地は日田杉の産地(日田は筑後川を利用した伝統的な杣山)であり、針葉樹林の山裾で大規模な洪水が起こった事が今回の災害の特徴なのです。
もしも広島県(33%)のように人工林比率の低い場所で今回程度の雨が降っていたとしても大した災害も出ることなく済んだことでしょう。全ては人工林地の崩落による山津波が下流に押し寄せた事が原因だったのでした。
⑧ 全ては戦後の拡大造林政策に端を発しており、並行して行われた大量の外材の輸入というチグハグな政策の中で、野放図な造林が放置された結果、無様どころか非常に危険な人工林地が放置された状態にあるのです。