451 神社の行く末について ② パワースポット・ブームという造られた現象について
20170212
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
パワースポットなる奇妙な和製英語(このため中点を入れていません)が流通し始めて早くも十数年といった印象を持つのですが、今回はその背景について切れ味の悪いメスを入れて見たいと思います。
この現象の起源を探っていると、まともなものがほとんどない中、ビジネス・ジャーナルがありました。
御朱印ガールブーム、ネットでは批判殺到も、寺社は歓迎「女性が興味を持ってくれれば」
文=西山雄基/マーケティングコンサルタント
四寺廻廊の御朱印帳(「Wikipedia」より/菅原光聴)
霊的な力が満ちている場所とされる「パワースポット」を訪れるブームが1990年代から徐々に高まり、今では「パワースポットめぐり」はすっかり一つのアクティビティとして定着した感がある。
そんなパワースポットの一つである神社や寺院を訪れ、御朱印を集める「御朱印ガール」が急増している。
御朱印とは、神社や寺院が実施している参拝者向けの押印といえる。僧侶や神職が寺院・神社やご本尊の名称・日付などを墨書することが多く、それを収集する女性が増えているというのだ。神社や寺院に行くと「御朱印はこちら」といった看板を立てているところもあり、目にしたことがある人も多いだろう。
一説によれば、本来、御朱印は納経した証しとして頂くものだったといわれているが、現在では無料もしくは300円ほどで書いてもらえる気軽さもあり、「御朱印帳」を持ち歩いて集めている人が増えているのだ。実際、多くの寺社では10年前に比べて御朱印を求める女性が5~10倍に増えているという。
●NHKで取り上げると、ネット上で大反響
そんな御朱印ガールを、朝の情報番組『あさイチ』(NHK)が8月4日に紹介したところ、インターネット上で賛否両論が巻き起こり、大きな話題となった。番組内で登場した御朱印ガールたちが、週末ごとに御朱印を集めて回る姿や、「御朱印事務局」なる同好会のような集まりをつくっていることを見た人たちからは、「スタンプラリー感覚で集めているのは、いかがなものかと思う」「お参りではなく御朱印集めを目的にするのは本末転倒ではないか」などと批判する声が多く見られた。
また、すでに御朱印を集めている人たちからは「御朱印ガールなどと騒ぎ立てられると、ブームに乗って集めているように思われてしまう」「一時のブームで集めている人は、神社の本当の良さを理解してないのではないか」「純粋にお寺や神社をめぐるのが好きなだけなのに、今後御朱印をもらいにくい」などと、単なる一時のブームで気軽に集めていると思われることを危惧する声が上がった。
ほかにも「テレビで御朱印ガールがはやっているなんて取り上げられると、困る寺や神社は多いのではないか」など、ブームに乗って急激に参拝者が増えることで神社や寺院に迷惑がかかることを懸念する意見もあった。
●神社や寺院は概ね好意的
実際の神社や寺院は、どう思っているのだろうか?
香川・琴平町の金刀比羅宮は、御朱印ガールを意識してカラフルなオリジナル御朱印帳を作成した。金刀比羅宮では、これまでも御朱印を授与してきたが、独自の御朱印帳はなかった。ところが最近、御朱印を求める人が急増したことで、御朱印帳の作成を思い立ったという。
NHKの朝イチの話はたまたま見ていたのですが、ここに至るかなり前から、既に神社を廻る若い女性が徐々に増えて来ているという印象は受けていました。
多分、バブル崩壊後の日本社会の経済、制度、環境、家族、地域…の全てに亘る劇的変化が起こった時期と期を一にしているという印象を持つのです。
こういった寺社に対するシンパシーの拡大は、既存の制度、社会の崩壊と重なるもので、終戦直後の新興宗教ブーム(霊友会:踊る宗教、PL教団、生長の家、世界救世教、立正佼成会…)もその一つだったと考えられるのです。
バブル崩壊によって企業から社会から伝統的共同体から全体としての日本と言う国家から切り捨てられ投げ出された多くの人々(棄民)敗残者=負組(私もそうでしょう)が、自らとは何なのか?自らはどこに向かおうとしているのか?世界とは何なのか?古代とは何なのか?歴史とは何なのか?…といった多くの動機から、何時しか寺へ神社へと向かう流れが産まれたのだと思うのです。
しかし、これはパワースポット・ブームの底に流れる地下水脈の様なものであり、終戦直後ほどの勢いはないものの現在も続いていると考えています。
その一つにオ○ム教団もあったのですが、それを支えたのも不公正な社会と富の偏在による不平等の常態化から固定化であり、そういった社会の転換の閉塞を打開する展望の消失と言ったものがあるように見えるのです。
それは、寺院や神社の存立の危機が継続している事と期を一にしている様に見えるのです。
一方、パワースポット・ブームとはそういった寺院、神社への関心の高まりへの肖りの構造でしかなく、言わば、軽薄なブームを人工的に形成した集りの構造であって本質的な意味はないと考えています。
それは、寺院はともかく神社経営の危機=氏子組織の解体、加えて、長寿化によって隠され補われていたものの最終的な少子化、少産化による氏子自体の動員力の衰退がいよいよ効き始めたのであり、さらに小○竹○による馬鹿げた所得の半減化政策による経済力の壊滅によって神社への収入が一気に衰退していった時期に始まった生き残り戦略の結果生じたものだった様に見えるのです。
かつて、幕藩体制下の伊勢詣、熊野詣、富士詣、大山詣といったものが、安定した社会における有り余る生産力の拡大とそれに伴う商品生産の拡大の中での国民経済の発露と言ったものだったのに対して、現在のパワースポット・ブームとは逆の衰退期に於ける神社の生き残り戦術の一環として仕組まれたものだった事が見えてきたのです。
インターネット、HP、blog…が一般にも普及し始めるのが十数年前でしたが、大手寺院、大手神社から高額な製作費を投入してHPを創り宣伝する傾向が顕著になっていきます。
しかし、中小規模の神社に関しては旧来の制度にしがみつき、そのような新メディアに乗ろうとする傾向が全く進みませんでした。
そうしているうちに、一気に神社の経営基盤が悪化し、非課税にも拘わらず社殿の改築費用の稔出もままならなくなっていったのでした。
そうしたころ、ホーム・ページ制作会社や広告代理店(「船○総研」等々…)といったところが市町村のHPの製作が一巡した事から新規の需要を当て込んで、弱小神社群も含めて営業活動が開始されたようなのです。
HPが造られた場合はメインタナンスも含めて安定した収入源が形成されます。
今さらHPを慌てて作成しても既に競争相手は激増しており、単なるHPを創るぐらいでは最早見向きもされない時代になってしまった中で、神社間の生き残り競争に勝ち抜こうと意欲を持って造り出された架空の御利益(付加価値)こそがパワースポットなる得体の知れない概念であり、その言葉の発信源も、恐らくマスコミに重用されたインチキ女占い師(大体想像できるかと思いますが)辺りだったのではないかと考えているところです。
確かに軽薄この上ないパワースポット・ブームではありますが、それを真面目な参拝客にとっては迷惑な存在と議論が噴出したのは既に過去の話であって、落ち着いて考えれば、元々、神社の御利益などと言ったものに科学的根拠とか確たる実績などないのであって、御利益などと言った古臭い手垢の付いたような言葉を変えることによって新たな需要を掘り起こしたとすれば、信じる者は救われる(=信じる者は足を掬われる)程度の話であって、それこそ信仰の自由になってしまうのですから傍からどうこう言うべき筋合いのものではない事になってしまうのです。
一部ながら、眼病に効く明礬の含まれる霊泉の湧く神社とか、出産に必要な多くのミネラル分を含んだ冷泉の湧く神社とか、皮膚病に効く強烈な硫酸泉、硫黄泉の湧く温泉地の神社といった具体的かつ科学的な効能が考えられるパワースポットもあることは事実であり否定はしませんし、薬漬けにする妙なイカサマ病院に行くよりも、転地療養(これ自体ほとんど死語になりつつある懐かしい言葉になってしまいましたが落語で言えば江戸落語の「居残り佐平次」)を兼ねて湯治場に行く事も、御利益であり、パワースポットと重なるものですが、そういったもの以外の思い込み、言い切り、信じ込みだけで造られたパワー・スポットであったとしても、それを信じることによって自分の願いを達成する切っ掛けを与えるものが御利益の一歩とすれば、それはそれで良い訳であり、まずは、許される範囲のフィクションでありファンタジーとまでは言えるのでしょう。
ただ、私達の様な神社研究者、神社探索者、古代史、神代史へのアプローチとして神社を徘徊する者にとっては、御利益と言ったものは二の次どころかサラサラ関心などはなく、実際にも移動中に交通事故を起こしてとんでもない御利益を被ったり、大怪我をしてとんでもない目に逢う方が多いのかも知れません。
このため、探索者、分析者、解析者として信仰、御利益とは全く無関係に神社巡りをしている少数者もいる事を知って頂く事は面白いかもしれません。
勿論、唯物論者の共和主義者なのであって、本来、御神籤を引いたりお賽銭を入れたりする事も、苦痛に思うのですが(エンゲルスから笑われてしまう)、神社の疲弊を見るにつけ、寂れたお社ほど清掃費ならとお賽銭を奮発する事にしているところです。
日本では、多くの神社巡っていますと言うと、信仰心が篤い方とか信心深いと言った言われ方で、神社研究者という概念が全く無い事に気付きます。
つまり、神社を調べるなどもってのほかであり、不敬極まりない大それた事と言った理解しかされません。
つまり、神社を客観的に見るという事に対する認識が全く存在しないのです。
この点、唯物論が発生した当の西洋では、キリスト教研究者とキリスト者(この言葉が不適切である事はイザヤ・ペンダサンこと山本七平も言っていますが…)とが分離しているのであり、まず、この点から言っても日本の神社研究者というものは異質であることが分かるのです。
仮に存在したとしても、それは既存の大社や神社庁に奉仕し補足する程度のものに過ぎず、百嶋由一郎氏の様にその深層までを探索すると言った姿勢は全く存在しないのです。
この点、宇佐神宮の禰宜であり研究者でもあった馬場紀美史氏(「柴刺」外著書多数)は例外中の例外と言った存在に思えます。
ただ、神社が戦後の社会体制に組み込まれた制圧装置の一部であるという事を承知した上で、その底流に存在する謎、隠された真実の探索に至るには、最終的に強烈な反権力思考(とまで行かずとも権力からの独立性)を保持し続けていなければできないという印象は消せません。
権力に媚びを売り、尾を振ってまで近づこうとするさもしい人物には所詮そういった事は不可能であって、もし、やったとしても、所詮は道化師にならざるを得ないのです。
闘い続ける意思を保っているからこそ、真実への探索が可能なのであって、知識を行政などに売り込み芸人に成り下がるような薄汚い連中には、所詮、古代の探究とか九州王朝の更なる研究とか言った作業は凡そ不可能なのでありお笑い草といったものになりそうです。
さて、話が逸れましたが、最後に地方の弱小神社の生き残りとパワースポットについて触れて終わりにしたいと思います。
パワースポットとして売り出すにもそれなりのものが無い神社は、まず、不可能と言わざるを得ません。
しかも、地域の人間から軽蔑されるような神官では鼻から相手にされない事も間違いない事でしょう。
さらに、一定の駐車場の存在なり、幹線道路からのアクセスと言った事も絶対的な必要条件であり、その一つでも欠ければ、ほぼ、生き残りは絶望的であって、地域への依存を強め教化し奉仕し信頼を高めて尊崇の念を高める以外に生き延びる道はないでしょう(それでも氏子は消え失せて行くのですが)。
まず、真面目に労働していないのであって、地域の浄財、布施、寄進によって生延びている以上、偉そうな態度は取るべきではなく、ひたすら地域に這いつくばって生きて行くべきであるしかないのです。
ただ、条件の整った神社間の競争はまさに激烈に始まっており、都市に人口が集中すればするほど、地方の弱小神社にはパワースポット頼みと言った状況に追い込まれていくことが目に見えるような気がします。
まず、浮浪する都市からのさまよえる神社探訪者は今後とも増加し続ける事は間違いないでしょう。
それは、都市には共同体が存在しないからであり、自らが何者であるかと言う答えを都市に求める事は益々不可能になるからです。
しかし、まともな所得は都市生活者にしか与えられない社会構造になっていることから、どうしてもこの浮浪する人々を何とかして取り込まない限り生延びる事は不可能と言って良く、自らが何者であるかを求める都市型の事実上の氏子として取り込むためのストーリーを打ち立てない限り再建はおろか存続さえもできない時代が目前まで迫っているのです。
まず、宗教家としてこれらの人々に訴える力を持たない神社に存続はできないと言えるのです。