535コノハナノサクヤヒメはサクラヒメだったのではないか ①
20171125
太宰府地名研究会 古川 清久
熊本県では過去何回か30~40人規模のトレッキングを行なった事があるのですが、最近は環境の変化か大規模なトレッキングを控えています。
むしろ重複を避け小規模なトレッキングを繰り返す方がコーディネートに効率が良く、回数を増やしテーマごとの機動的なトレッキングを行なっています。
22日も宮崎県椎葉村の栂尾神楽に来ている最中に、どうしても西都原第二古墳群の伝大山祗古墳正面の石貫神社を見たいとの乱暴な話が舞い込んだ事から、急遽案内をすることになり、翌朝10時まで続くはずの栂尾神楽を朝6時で切り上げ、早朝7時から集合場所の草部吉見神社正面の奥阿蘇物産館に向かい、9時から宮崎県西都市に向かいました。
この古墳の正面にある石貫神社が大山祗を祀る神社である事は以前にもお伝えしました。
事実、石貫神社は大山祗を祀る神社としていますし、付近にはコノハナノサクヤを祀る都萬神社もあるのです。このためここでは別の側面にふれてお話ししたいと思います。
ひぼろぎ逍遥(跡宮) 340 旧石和町に物部神社があった “山梨県笛吹市春日居”の石尊神社 外
この石貫神社からは160数段の階段が伝大山祗古墳に向けて造られており、これほどの石段が寄進によって造られている事を考えれば、かつては整列して神社からこの陵に向けて参詣が行われていたものと思います。
前方後円墳でも初期のものとされる柄鏡式型の伝大山祗古墳
さて、この石貫神社からもそう遠くはないところにあるのがコノハナノサクヤヒメを祀る都萬(ツマ)神社です。
つまり、父は娘にあたる大山祗を祀る石貫神社とコノハナノサクヤを祀る都萬神社が揃っているのです。
都萬神社 カーナビ検索 宮崎県西都市妻1 ℡ 0983-43-1238
この石貫神社が熊本県玉名市の新幹線玉名駅正面の石貫と関係があり、実は、山口県光市の石城山神籠石の山上神社の祭神が大山祇神、雷神、高龗神である事とも通底しており、遠くシルクロードのタシクルガン(中国名「石城山」「石頭城」)を起源としている事にまで気付くのです。
新疆ウイグルは勿論のことアフガニスタンにまで何度も入っておられたようで、このシルクロードの石頭城(タシコルガン、タシクルガン)石頭山が「石城」とされ列島まで持ち込まれていると考えておられたのです。ユーチューブで「タシュクルガンにある石頭城」など検索してください。
これまでにも何度も申し上げていますが、百嶋神社考古学では大山祗命=月読命はトルコ系匈
奴で金官伽耶の金越智(ウマシアイカビヒコヂ)と天御中主の間に産れた、トルコ系匈奴の血を引くものとします。
ついでに言えば腹違いの伯母と姪の関係に当たる本当の神武天皇のお妃に当たるアイラツヒメも匈奴の血を曳いたトルコ系の女性だったのです。
ちなみに、アイラールはトルコ語の「月」を意味し、アイラツヒメとは月子ちゃんであり、月姫だったのです。
とすると、父の大山祗が月読命(百嶋由一郎説)と呼ばれている事の意味も多少は見えて来るのです。
手書きデータ 百嶋神社考古学03 「014猿田彦から女木島」による