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573 藤川天神の下見で遭遇した興味深い地名について“旧祁答院町馬頃尾(現薩摩川内市)”

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573 藤川天神の下見で遭遇した興味深い地名について“旧祁答院町馬頃尾(現薩摩川内市)”

20180201

太宰府地名研究会 古川 清久


 現在、一泊二日のプランで薩摩川内の藤川天神へのトレッキングを企画しています。

 菅原の道真公は太宰府で病死した事になっていますが、実は船で南に逃れ鹿児島県阿久根市辺りで上陸し陸路で山を越え薩摩川内の山奥で生き延び余生を送ったという伝承があり、その証拠が藤川天満宮なのです。

 当会には熱心な道真ウォッチャーもいることから、最低でも藤川天神を見て頂こうという思いから企画しているのです。このため、単に藤川天神への参拝などと言ったどこかにあるような郷土史会や史談会の慰安旅行にはしたくない事から、藤川天神内の道真墓地と本物の墓地と併せ新田神社か可愛山稜背後地の伝ニギハヤヒの墓の探訪を行なおうと考えているのです。

 それはともかくも、藤川天神については過去数回入っており、初期の ひぼろぎ逍遥 で取り上げています。これについては、 019 道真は薩摩川内、旧東郷町藤川で余生を送った! をお読み下さい。

 そこで、下見も兼ねて、このニギハヤヒの墓と藤川天神の道真の本物の墓所に詳しい現地の神社ウォッチャーと会う約束をして薩摩川内を目指しました。

 どのような方がおいでになるかと思っていたのですが、私より多少若い年配のアン・ルイス風の知的な女性でした。


 一日中神社をご案内頂いたのですが、その帰路の途中、見た目で理解できる興味深い地名に遭遇した事からお知らせしたいと思います。


573-1


573-2

この地が瀬早川~久富木川という川内川に流れ込む支流の流域である事は一目ですが、大きな蛇行を見せている事から、平坦地で溢流しやすい場所である事が分かります。

 つまり、水が滞留しやすい水捌けの悪い土地である事も同時に示しているのです。

 そこに「馬頃尾」(マコロベ)という地名があるのです。国土地理院地図では(マコロベ)です。

 始めは、「マコロビ」と呼ぶのだろうと思ったのですが、付近におられるご老人にお尋ねすると「マコロブ」との事、やはり確認すべきでしょう。

 まず、単純には言えませんが、三文字表記の地名は相当に古いものと考えられ、というのは好字令による二字地名化以前の地名であることが推定できるからです。


律令制確立直後の、大宝4年(704年)に全国の国印が一斉に鋳造された。それを機会に国名に用いる文字が改定され、現在までつづく表記となった。

奈良時代初期の和銅6年(713年)に、元明天皇は、令制国毎に『風土記』という地誌の編纂を命じた。現在、出雲国、常陸国、播磨国、肥前国、豊後国の物が、一部残存している。同年5月に畿内と七道諸国の郡(こおり)・郷(さと)の名に好字を付けるように命じた。上毛野国・下毛野国・木国・粟国の国名が漢字2文字に統一された。

ウィキペディア(20180204 1037による


 そこで、三文字表記をそのまま受け入れたとして表音表記と考えれば、馬が湿地に足を取られて転ぶという意味の“馬転び”をそのままの地名にしか思えないのです。


573-4

これは馬頃尾バス停正面の風景ですが、完全な水平堆積が起こっており絶えざる氾濫によって真っ平らな土地が生まれている事が分かります。

 はたして“馬が転ぶ”というそのままの地名…が七世紀以前に化石の様に閉じ込められているかどうかは分かりません。

 さて、「マコロビ」ではなく「マコロベ」と読まれている事です。

 「尾」を「ビ」ではなく「ベ」と呼ぶ例は知りません。

 敢て考えれば「マコロビ」+部(ベ)が「マコロベ」と呼ばれているぐらいにしか思えません。

 下手すると自分自身が転んでしまいそうです。

 この「馬転尾」の地名の話はここまでです。しかし、佐賀県唐津市には「馬部」(マノハマリ)という奇妙な地名が存在しました(現枝去木)。

 これも“馬が沼地に嵌ってしまい動けなくなるという”地名であろうと考えていました。


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