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242 山陰土産 ⑤ 夏の終わりの長門、石見、周防の神社探訪 “足王神社って何?”

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242 山陰土産 ⑤ 夏の終わりの長門、石見、周防の神社探訪 “足王神社って何?”

20150830

久留米地名研究会 古川 清久


益田市の美都町都茂から美都温泉は直ぐですから、二度目でしたが温泉に入らせて頂き、しばらく休憩した後、191号線を南下し、道川まで出れば良かったのですが、県道307号という未踏のルートを走ろうと色気を出し、始めは快調で良かったのですが、悪路難路に嵌り込み、安心するまで二時間余り緊張の連続でした。ともあれ、なんとか脱出し、浜田市金城町波佐から金城温泉に辿り着きました。

翌朝早く浜田の市街地に出たのですが、三宮神社、足王神社に足を止め、しばし初見の神社を見学させて頂きました。

カーナビ検索 島根県浜田市相生町


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始めに目に入って来たのは足王神社の看板でした。

しかし、同じ境内にあるものの、社殿の規模から言えば主祭神が天石門彦神社で足王神社は摂社なのでしょうか?

天石門彦神社については、既に「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)118 川崎町(福岡県田川郡)大石神社の「石」の字には何故「、」が付いているのか? でも取上げましたので、直ぐに、見当が付きました。

この神様は実はスサノウノミコトの事なのです。

問題は足王神社です。初見でもあり全く見当が付きませんでした。ただ、良く考えれば「足」が付く神様は皆さんも心当たりがあるのではないでしょうか?

ただ、「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)13 石上神宮所蔵の国宝七支刀はみやま市から美作を経由し奈良天理へと移された!“石上神社の元宮は美作の石上布魂神社、元々宮はみやま市のこうやの宮と田中神社”で岡山でも物部の領域 作州の調査で石上布魂神社を訪問した際、足王神社も見掛けた記憶があったことから岡山県で調べると、堂々たる足王神社に関する情報があったことからようやく見当が付きました。


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と、は言うものの、「※当サイトの無断複製・複写・転載を禁じます。」と書かれています。法律的根拠はありませんが、ご迷惑にはならないと考えることから学問研究のためにもとお許しを頂き、以下、岡山県足王神社のHPから必要最小限の範囲で引用させて頂きます。


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十分にお分かり頂けたと思います。詳しくは同サイトをお読みください。

出雲のことです。スサノウの命がヤマタノオロチを退治する際に出会い、櫛稲田姫を助ける切っ掛けとなった、アシナヅチ、テナヅチの夫婦のお父(お爺)さんの方がアシナヅチですね。

ご利益があるからでしょう。浜田の足王神社には大きな草鞋が奉納されていました。

足王とは足の翁かも知れませんね。


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浜田市の足王神社参拝殿と神殿


普通はこれで終わるのですが、当然ながら「ひぼろぎ逍遥」はこれから先が重要になります。

何故ならば、出雲神話の舞台は九州であると考えているからです。

まず、百嶋最終神代系譜(一部)からご覧いただきましょう。


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ご覧になればお分かりになるでしょうが、櫛稲田姫は確かにスサノウのお妃になられていますが、櫛稲田姫は金山彦を父として、大山祇のお妃でもあった埴安姫を母として産まれておられ、共に九州におられたからです。

してみると、テナヅチが埴安姫に相当し、アシナヅチは金山彦になるのですが、百嶋由一郎先生は、熊本県山鹿市の来民(クタミ)で産まれておられますと言われていました。

いつも言う様に、出雲は国譲りをした結果移動した先=転勤先の地であり、大国主はそこに大きな社を貰ったのでした。いずれにせよ櫛稲田姫のお父さんと婿のスサノウが祀られているのは理にかなっているようです。


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この辺りの話もいずれ詳しくと思っていますが、百嶋先生の残された宿題はあまりにも難しく、それこそ手子擦り、足子擦りしており、足王神社に肖りたいところです。

さて、肝心の天石門彦神社ですが、百嶋神社考古学では、山幸彦=伊都の長官ニキ=ニギハヤヒ=猿田彦=手力男命としており、主祭神は山幸彦を祀るものであると理解しています。

ただ、配神の建御名方命については注意を要します。

一般的に大国主の息子のうち、長男で帰 順派の事解主に対して、弟で諏訪に幽閉された抵抗派の建御名方命とされます。百嶋最終神代系譜では親と子としてのラインがはいっていないので全く無関係の 神と考えていました、最近整理して出て来た神代基本系譜では間違いなく市杵島姫との間に産まれた兄弟のようです。いずれご説明することに致します。


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百嶋最終神代系譜(一部)


ご覧の通り、建御名方命は長脛彦の義理の息子で、山幸彦の養子(?)にあたるのです。

最後に、同社の背後地(神殿裏)に巨大な磐盾があるのがお分かりになると思います。

ある時、神話に合わせて手力男命が居たはずだとして造られたテーマ・パークに見えるのですが、いかがでしょうか…お叱りは覚悟の上です。


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参考


手力男のミコトノ話
もし、古いお宮に行かれて、手奥帆負の神(たおきほおいのかみ)の名前をみたら、思い出してください。字で説明(○○○)ひっくり返したら、天岩戸を押し開いた手力男の神のことです。弟さんであるヤタノカラスと、手力男(すさのお)のみことのお嬢さんである伊勢の下宮様が裸踊りをしたことに神話ではなっている。野毛櫛田神社では、ごまかし以前の姿が昔、残っていたので写真を撮っている。

牛島稔太のHP肥後翁のblog民俗・古代史及び地名研究の愛好家


春日神社について、百嶋由一郎先生講演2011年4月23


 より


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