253 再び山陰土産 ① 秋本番、石見、周防の神社探訪から! “吉賀町朝倉の那智神社“
20151007
久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
10月になり、車中泊に最高の季節になってきました。
しかし、研究会のスケジュールもあり、なかなか長期の遠征に行けなかったのですが、ようやく合間を見つけ再び山陰の神社調査に出かけることにしました。
毎日、数社から十社に近い神社を見て回るのですが、中には二度三度と足を運ぶ神社もあります。
高速道路を一切利用しない旅ですので大変ですが、途中は、百嶋先生の講演録(玉音放送)CDをカーステレオで聴きながら、合間に落語やアルゼンチン・タンゴで休憩しながらの旅ですので全く苦にはなりません。
那智神社 カーナビ検索島根県鹿足郡吉賀町朝倉673
今回どうしても見たかったのが、前回パスしてしまったこの神社(島根県吉賀町甘木の那智神社)です。
当ブログの読者は、まず、九州でも福岡の方が多いと思いますが、“朝倉の那智神社“と書けば、「福岡県旧朝倉町(現朝倉市)にそんな神社があったかな?ないはずだが!」となることは間違いがないでしょう。
島根県吉賀町(旧六日市町)朝倉の朝倉郵便局
場所が分かり難いとは思いますが、島根県津和野町の南東10キロの中国山地のど真ん中、直線距離で山口県萩市から東に40キロになります。
ただし、高速道路使わなければ島根の山奥ですから、この移動距離は倍から3倍になると考えて下さい。
まず、「朝倉」という地名が単独で存在している訳ではありません。
兵庫県の日本海側の但馬地方の養父市に朝倉という大字があり、戦国武将の浅井朝倉の朝倉氏の故 地とされていますので(これは通説でも支持されているようです)、九州からの移動と考える者としては、そんな馬鹿な事はないと言われる方々に対して、九州 の朝倉の人々が移動しルート上の中間点と考えられそうです。また、出雲市にも町のど真ん中に朝倉地名が存在します。
中間点と言う意味では、島根県益田市の美都町に朝倉という大字があり飯盛山(福岡市の飯盛山にはイザナミを祀る)がある事も確認しておきたいと思います。
兵庫県朝来市も朝倉氏と関係があり朝来(アサゴ)市は朝倉地名の置き換えの可能性が高いのです。
同様に、熊本市の南の益城町の朝来山(アサクナ山orアサゴ山orチョウライ山)が地名移動したのが福岡県の朝倉であり甘木なのです(甘木はウマシキと読み実は熊本の益城の地名移動)。
これについては、この「朝倉」の中心的な神社であるからこそ、今回、どうしても見落とした神社を実見したいと考え再度長駆の遠征に出たのでした。
地元の方でなければ分からないようなかなり分かり難いところでしたが、入口には旧神宮寺としか考え用の無い隣接する曹洞宗の寺にならんで神社の案内板が置かれていました。
百嶋神社考古学では、先生が“曹洞宗は全てヘブライ系の人々の住む地域を対象に教線を張ったもの…”といった趣旨の事を話されていた事から考えれば、那智神社という社名だけでも理解できる部分があるのです。
それは、那智神社とは熊野那智大社の祭神がクマノフスミミコト=イザナギと別れた後、博多の櫛田神社の大幡主(秦の始皇帝と姻戚関係を結んだモーゼ系の一族で、実は「古事記」では神産巣日神「日本書紀」では神皇産霊尊とする系統)と一緒になったイザナミであり、瀛(イン)氏=ヘブライ系の神なのですから「やはり」と納得できるところなのです。
ところが社殿を実見し、また驚きました。参拝殿、社殿には四ツ目の神紋が打たれていたのでした。
旧柿木村から旧六日市町の吉賀町一帯では結構見掛ける神紋であり、この地域が単に大三島の大山祇(月読命)の神威が卓越した領域ではない事が見えてきました。
この四ツ目の神紋は、長崎県の旧南北高来郡の島原市、諫早市、雲仙市…の高木大神の領域の四面神社などで多く見掛けるもので、「古事記」「日本書紀」に登場する高木大神=「古事記」では高御産巣日神、「日本書紀」では高皇産霊尊として登場する高句麗系=ヘブライの神の紋章なのです。
このため、ここでは、タカミムスビ、カミムスビ、大山祇の混じり合った混成軍団が入ってきている事が見えて来たのです。
してみると、背後地の山にイザナミを祀る飯盛山という名を付した島根県益田市の美都町の朝倉の人々とは福岡市内に進出した朝倉市の人々が、山口県吉賀町に入り、さらに、養父市の朝倉に展開し、福井県金ケ崎城に展開した事が分かるのです。
これについては、ネット上の「ひぼろぎ逍遥」144~146「朝来」地名について ① “兵庫県朝来市の朝来山から”「朝来」地名について ② “但馬、朝倉、養父、志波” 「朝来」地名について ③ “朝倉氏と小佐氏”をお読みください。
四ツ目の神紋を持つ那智神社(島根県鹿足郡吉賀町朝倉673)熊野の那智大社はイザナミを祀る!
この四ツ目の神紋はかなり難しい問題がありますので、ここではご紹介するだけにとどめ、朝倉地名の移動を考える中で、この那智神社の意味を考える事にしましょう(地図は昭文社より)。
那智の滝で知られる熊野那智大社(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)は熊野三山の一つで、熊野夫須美大神を主祭神とする神社ですが、古くは那智神社、熊野夫須美神社、熊野那智神社などと称していました。
問題は熊野夫須美命(クマノフスミミコト)とは何なのか?なのです。
これについて、百嶋神社考古学では前述の通り、イザナギと別れた後で博多の櫛田神社の大幡主(秦の始皇帝と姻戚関係を結んだモーゼ系の一族であり、実は「古事記」では神産巣日神「日本書紀」では神皇産霊尊とする系統)と一緒になったイザナミであり、瀛(イン)氏(実はヘブライ系の神)なのです。
当地、島根県吉賀町朝倉の那智神社の神は、イザナギ、イザナミ…とはしていますが、やはり2015年国宝大神社展の表紙を飾ったクマノフスミミコトであろうことは間違いないでしょう。
同社由緒
百嶋極秘神代系譜(一部)
島根県益田市美都町朝倉
この益田市美都町朝倉で面白いのは四ツ山城跡があることです。
もし、この四ツ山が福岡県荒尾市の四ツ山(山頂には通称虚空蔵神社=コクンゾサンと呼ばれる四ツ山神社があることで有名)と対応するとすれば、やはり、イザナギ、イザナミもしくはイザナミを祀る部分で対応する事になり、今後、現地の郷土史関係を調べる必要があるでしょう。
もしかしたら、戦国大名の朝倉氏のルーツが分かる事になるかも知れません。
兵庫県養父市の朝倉も見て頂きましょう。
養父市の朝倉はご覧のとおりですが、この養父地名も佐賀県鳥栖市の中心部養父町の養父からの地名移動と考えられるのです。
九鹿(クロク)地区には熊野神社があり、朝倉地名と関係がありそうです。
この九鹿(クロク)地名が、吉賀町(旧六日市町七日市)でも朝倉正面の奇鹿神社と関係ありと睨んでいるのですが、まだ、確証を得ません。
また、養父市の北、城崎温泉のある豊岡市(旧日高町)にも浅倉地名があることから、この豊岡も九州の豊の国の置き換えであり、岡も遠賀川の岡垣、遠賀と対応していそうです。