スポット040 朝倉~飯塚にタノカンサーを探るトレッキングを行います
20160709
久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
現在、神社考古学研究班では「神社トレッキング」を強化しています。
読者の皆さんの中にも、どのような形で行われているかに関心をお持ちの方も居られると思いますので、今回、トレッキング資料を全葉公開する事にしました。
以前に、終了したトレッキング資料を公開したことがありますが、今回は今から行う資料を公開する者です。
従って、変更がない限り盆明けの8月28日日曜日に実施する予定ですので、これを見た読者による飛び込みでのトレッキング参加も歓迎します(企画書次葉)。
鹿児島限定と考えられている田神様(タノカンサー)については、これまでにも「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)として、083タノカンサーの正体とは何か?“甘木公園の田神様(タノカンサー)福岡県朝倉市甘木から”217 甘木に二つ目のタノカンサーを発見した!(共 通掲載)として書いていますが、二つ目、三つ目の田神社を発見したことから、今回改めて「福岡県神社誌」上中下を調べてみると驚愕すべき事実に直面したの でした。ざっと目を通しただけの荒いカウントですが、「田神社」として幟を揚げた神社は甘木インター南の朝倉市甘木草水に一社(旧村社)が存在しているも のの、愕くことに、無格社として朝倉郡に40社近くが拾えたのでした。通説に沿い、鹿児島のタノカンサーが甘木朝倉になどあるはずがない!とお思いの方は多いと思いますが、百嶋由一郎先生は“「田神様」(タノカンサー)は大幡主と大山秖の二神による擬神体を成していた”と言われていました。
今回の朝倉郡内に40社 近い無格社の田神社を発見した事によってその実体がある程度掴めた事にはなるのですが、その先にどう考えても隠されている(九州王朝の発展期に於ける南九 州経営の事績か?)のではないかという新たな謎が浮上してきたのでした。朝倉市甘木草水の村社は、表向きには「菅原神」を主神としているようですが、社名 が「田神社」、境内社として五穀神社(埴安命)とあります。このため、元は主神として田神社(埴安命)が祀られていたことが丸分かりになっています。
大幡主の妹は埴安姫ですから、埴安命と は大幡主以外は考えようがありません。ここでも故)百嶋由一郎氏の説の正しさが証明されつつあるようです。九州の現場には、まだまだこのような驚愕すべき 事実が痕跡を留めているのです。藤原が捏造した「古事記」「日本書紀」をそのまま鵜呑みにする方々には決して見えてこない事実です。文献、フィールド、考 古学、神社、海外史書…とバランスの取れた研究が必要であることが分かります。中でも戦前の反省とかから徹底して無視されているのが神社研究なのです。し かし、フィールドはさらに凄いことを教えてくれます。6月25日 に行った玄海、太宰府合同地名研究会トレッキング(甘木朝倉にタノカンサーを探る!)に於いて、中島 茂氏の案内により、筑前町(旧夜須町)の大己貴神社 に近い弥永にある田神社(天神社)を訪れましたが、同社が、大国主命が贈られた日隅宮の痕跡である事が分かってきました。やはり、出雲神話の舞台は九州 だったのです。詳報については次号。また「ひぼろぎ逍遥」を!
南九州のタノカンサーは甘木、朝倉の田神様
(実は博多の櫛田神社の主神=大幡主と大山祇命)が起源!
結論を先に申上げますが、この神様の正体は、現在、博多の櫛田神社の主祭神になっている大幡主(オオハタヌシ)と大山祇命の混合神(当方が急造した言葉ですが)であるとされていたようです。
そ うすると神武のご巡幸をまとめた博多くしだ神社の神様のご一統はたいしたもんだったと私は思います。そのとき櫛田神社の神様に協力なさった方が大幡主と大 山祇、トルコ系とアーリア系ですけれども、縁組によって、全くの兄弟である。鹿児島では、現在、お二人を一つにして田の神様(タノカンサー)という擬神体 となっている。タノカンサーの兄が大幡主、弟が大山祗である。
「神社伝承から見る古代史(百嶋由一郎先生の世界)--- もう一つの神々の系譜 ---」牛島稔太のHPより
1) 朝倉市草水 田神社
朝倉郡内唯一の村社格(消されなかった)田神社
カーナビ検索 福岡県朝倉市草水244
祭神:菅原神、埴安神 境内社:五穀神社(埴安命)、雷神社(意加美神)厳島神社(宗像三女神)
2)朝倉市下浦 王子神社
王子神社 カーナビ検索
福岡県朝倉市下浦796番
久留米周辺に数多く存在する九躰皇子を祀る高良皇子(高良玉垂命と神功皇后の皇子)神社の一つ
祭神:斯禮賀志命、朝日豊盛命、暮日豊盛命、淵志命、谿上命、那男美命、坂本命、安志奇命、安楽應寶秘命
由緒(甘木市史より)正歴元年八月、筑後国御井郡阿志岐村より王子の神を勧請(中略)…
聞き慣れない御祭神は高良大社、高良玉垂命の子供達らしい。
高良大社の御祭神、高良玉垂命は武内宿禰との説もあるが、九州王国の首長だったとの説もあり、詳細は不明。八女地方御子孫がいらっしゃるとの説も・・・周辺には高良姓の氏子さんも多く高良大社との関わりが色濃く残るところ。
3)飯塚市小正(オバサ)の田神社
飯塚市下三緒の田神社は現在確認できないため「福岡県神社誌」で旧穂波村の無格社とされる田神社を。
「オバサ」とは奇妙な地名ですが、M音B音の入れ替わり現象と考えれば良く分かります。
この地に侵入した氏族(民族)はM音が苦手で、「オマサ」を「オバサ」と発音する事が出来なかったのでしょう。
田神社 カーナビ検索
福岡県飯塚市小正138 隣接地 ひばり保育園(小正99 ℡: 0948-24-4647)
無格社 祭神:宇賀魂神、埴安神 「福岡県神社誌」による
神社移転新築記念碑
「当田神社は従来大字小正字天神脇に鎮座ありしも、日鉄潤野炭鉱の鉱害と氏子部落より遠隔の地にあり日常参詣の不便と管理の不行届のため 大字小正字本村一三八番地を最適の地と定め 移転新築して旧慣に依り春秋の祭祀を厳修し 以て報本反始の誠を捧げんとす」昭和六十二年十月吉日
宮司 秀村利休馬 禰宜 秀村長康
4)飯塚市馬敷の大山祗神社
大山祗神社 カーナビ検索 飯塚市馬敷(字薬師の前) 以下不詳(馬敷公民館を目印に)
村社 祭神:木花佐久屋姫命、大山祗命 「福岡県神社誌」による
字寺田に各々別に二社あったものを昭和13年に合祀したもの
境内神社: 本社 大山祗神社(木花咲耶姫命)
末社 大山祗神社(大山祗命)大山祗神社(木花咲耶姫命)
最近のフィールド・ワークで非常に興味深いと思ったのは、福岡県の中央部の飯塚市の馬敷地区に大山祇命を主神として祀る神社がある事でした。
「そんなものどこでもあるのではないか…」と言われる方はおられるでしょう。
確かに飯塚市と朝倉市の一帯には大山祇命を主神として祀る神社はかなり認められます。
旧筑穂町弥山君ケ畑、同じく桑曲、同じく大根地山、筑紫野市本通寺…の大山祇神社
それも、朝倉地名と対応したものと考えていますが、熊本の益城、朝倉の甘木(実はウマシキ)と北への移動に加えたさらなる北上を確認できなかったからでした。
地名だけの対応は説得力もなく地名の移動のベクトルも探れないのですが、背後にある集落の伝承とか神社の縁起、伝承などにより、経験を積めばある程度の推測ができるようになるからです。
元々、この飯塚市の馬敷地区は、豊前の田川~香春から太宰府へと抜ける古代九州王朝の官道が通じていた場所であり、筑前大分(大分八幡宮)を経て太宰府へと米の山峠へと向かう要衝の地なのです。
5)飯塚市山口 若八幡宮
村社若八幡宮 カーナビ検索 飯塚市山口字中村
村社 祭神:仁徳天皇、神功皇后、武内宿禰 「福岡県神社誌」による
摂社:五穀神社(宇賀魂命)末社:天満神社、大山祗神社、大行事社、稲荷神社
筑前大分から延びてきた古代官道の延長上に米の山峠があり九州王朝の最大拠点太宰府があるのです。
トレッキング注意事項
玄海、太宰府合同地名研究会(トレッキング)実際には5社5ポイントを巡りますが、どなたもどこかの神社には心惹かれるものがあると思います。最近は神社の祭事、経営が非常に難しくなっています。 お賽銭を準備の上安全に留意され参拝して下さい。神社に関して何かご質問があれば 09062983254 古川までご連絡下さい。