314 人吉の神社に相良以前の神社の古層を探って “熊本県相良村の十島菅原神社“
20160402
久留米地名研究会(編集員) 古川 清久
青井阿蘇神社、老神神社を巡るとどうしても相良氏侵入以前の神を祀る神社を見たくなります。
勿論、人吉盆地に数多く分布する(恐らく10を越え20に 近づく)天子宮、天子社、天子神社はそれに先行するものと言えそうですが、このマイナーな神社群を除いて、実際、どの神社がそれに該当するかさえ見当もつ かないのです。「道真を祀れ!」との藤原の号令による菅原神社は、相良侵入以前の神社とは一先ず言えそうで、未見のそれを優先に菅原神社の代表的神社の一 つを見せて頂く事にしました。
鎮座地はご覧のとおりですが、「十島」とは奇妙な…と思いながら参拝すると、確かに多くの島状の小地の一つに社殿が建てられていました。
参拝殿は菅公を祀る神社らしく寺小屋風の造りになっています
しかし、「熊本県神社誌」でも熊野神社(熊野三神)、菅原神社(菅公)、浜神社(天御中主神)としか分からず、これ以上の探索は不可能です。
やはり、相良が歴史を消し去ったとの話は本当に思えてきます。
しかし、この人工の浮島に建てられた鞘殿様式の神殿は「美しいの」一言です。
人吉盆地の神社の中でも抜きんでた社殿ですが、青井阿蘇だけに参拝客が集中することが良い事かどうかは改めて考えさせられます。
矢黒町の矢黒神社の黄金の鞘殿も印象的ですが、百年前まで
の神社は全てこの茅葺、檜肌葺きの社殿だったはずなのです
しかし、入口に鎮座する稲荷様は別の神社とされているのでしょうか?
「熊本県神社誌」を見ても相良村には単立の稲荷神社は無いのですが…。
いずれにせよ、古層の片鱗さえも発見する事が出来ずに撤退する事になってしまいました。
相良以前の神社相を探るのは極めて困難と言わざるを得ないようです。