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317 列島の「朝倉」地名コレクション  “狗那国拡散の痕跡地名か?“

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317 列島の「朝倉」地名コレクション  狗那国拡散の痕跡地名か?“

        20160410

久留米地名研究所(準備中) 古川 清久


「朝倉」という印象的な地名があります。

どうやら、これが孤立した地名ではなく、ある民族が移動して行った痕跡地名ではないかと言う気がしてきました。

まあ、のっけからこのような事を書くと鼻から「とんでも」説扱いされるのが堕ちですが、98パーセントとか言われる単一民族国家を本気で信じ込んでおられる従順なポチ型思考の方は元より対象としていませんのでサッサと撤収されるなり馬鹿にされるなりされて一向に構いません。

まず、この話に入るには幾つかの切っ掛がありました。

ⅰ 「邪馬台国と狗奴国と鉄」(彩流社)を書いた菊池 秀夫と接触したことがありました。

同氏は、益城町の南に朝来山があり(地元ではチョウライサンとも呼ばれますが)、この山が古くは「アサクナ」山と読まれていたことを知り、ここに狗奴国の痕跡を見出していたのです。


317-1


菊池会で配布された資料から

菊池秀夫氏により書かれた「邪馬台国と菊池一族の謎」にあった注目すべき点について触れて見たいと思います。以下・・・


⑥ 狗奴(クナ)の名称が残る地名には「白川と緑川の間に朝来山(あさこやま)がある。古くは朝来名(あさくな)の峰」と呼ばれた。(『続日本紀』『肥前国風土記』)」と書かれていたのです。


 ⅱ HP「九州の山と伝説」

菊池地名研究会の元メンバー牛島稔太氏による「九州の山と伝説」においても、以下のように朝来那山と書き留めています。

「景行天皇、130年頃、 益城郡朝来那山の賊征伐」



317-2


朝来那山は朝倉山ではないのか?


太宰府地名研究会のあるメンバーが、益城が甘木だと言った途端、「では、朝来那は朝倉ですね!」と呟きました。

「アサクナ」が「アサクラ」に転化するとの話は、単純には載れなかったのですが、単純に否定するのではなく、一応は受け入れ検証してみることにしました。

もし、これが正しいとなると、狗奴国の北上、即ち筑前への進出と言う仮説に結びつきかねないのです。


狗奴国は山鹿だったとも!

『翰苑』かんえん(唐の張楚金)には 又南(みなみ)、邪馬嘉(ヤマカ)国に至る と。山鹿は、『和名抄』にも出ている古い地名これを邪馬台国とした論者もある。 しかし、狗奴国とも考えられる。

引用元:魏略(逸文4)翰苑卷三十

其南有狗奴國、男子為王、其官有狗古智卑狗、不屬女王。自郡至女王國萬二千餘里。

その南に狗奴国があり、男性を王と為し、官には狗古智卑狗があり、不属女王に従属していない。郡より女王国に至るには一万二千余里である。


『三国志魏書』倭人伝

女王之南又有狗奴國 以男子爲王 其官曰拘右智卑狗 不属女王也

女王の南、また狗奴國あり。 男子を以って王と爲す。 其の官を拘右智卑狗という。女王に属さぬなり。

『三国志魏書』倭人伝

其八年、太守王到官。倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和、遣倭載斯、烏越等詣郡説相攻撃状。遣塞曹掾史張政等因齎詔書、黄幢、拜假難升米為檄告之。

『三国志魏書』倭人伝

卑彌呼は既に死去しており、大きな墓を作る。直径は百余歩、殉葬する奴婢は百余人。更新して男の 王を立てるが、国中が服さず、更に互いが誅殺しあい、当時は千余人を殺した。再び卑彌呼の宗女「壹與」を立てる。十三歳で王となると、国中が遂に鎮定し た。張政らは檄文を以て壹與を告諭し、壹與は倭の大夫の率善中郎将「掖邪狗」ら二十人を遣わして張政らを送り届けたによって、臺(皇帝の居場所)に詣で て、男女の奴隷三十人を献上、白珠五千、孔青大句珠(孔の開いた大きな勾玉)二枚、異文雑錦二十匹を貢献した。


狗奴国とは

菊池(秀夫)想定は、当然ながら「あさくなのみね」のクナと狗奴が音通しているとの観点に基づくものです。当方も、仮に「魏書」東夷伝の記述が正しければ、邪馬台国を筑後川流域以北と想定している以上、「狗奴国」はその南のどこかにあったはずなのです。

ただし、漢音で読むとすれば、「コウド」呉音で読むとすれば「クヌ」になり、それに中古音、上古音までも踏み込む必要はありそうであり、単純に「クナコク」とも「クナコク」でないとも決めつけることはできないという意識を保留したままの試みでした。

さらに言えば、当時の呉の太伯の裔とする倭人が漢字を知らなかったとか読めなかったなどとする考えは、 大和を国の中心とし倭人を国の外れの蛮族扱いする畿内説論者による考え方の延長上にあるもので、漢字を知っていたとすれば、当然にも自らと自らの周辺国家 の国名を記述して持ち込んでいる可能性も決して否定はできないのであり、多くの要素を考慮に入れ作業しなければ探索はできないことになります。それどころ か、むしろ、大陸の最も賢い人々の亡命地が列島であったと考えるべきなのです。

しかし、そのような事を頭に入れたものとしても、狗奴国=朝来山(アサクナ)説は面白い提起でした。

 そもそも、菊池秀夫氏の朝来山=狗奴国想定に対して、故)百嶋由一郎からは熊本県益城町をウマシキと読むべきとして→福岡県旧甘木市想定を温めていたのです。


朝倉、朝来を探して


 そこで、「朝倉」地名の拾い出し作業をすることにしました。


 鹿児島県鹿屋市輝北町諏訪原朝倉

 宮崎市内に朝倉寺あり

 熊本県益城町に朝来山在り

 大分県豊後大野市朝地町朝地朝倉

 大分県国東市安岐町朝来

 福岡県朝倉

 山口県山口市朝倉

 島根県鹿足郡吉賀町朝倉

 島根県益田市美都町朝倉

 島根県出雲市大津朝倉

 兵庫県養父市八鹿町朝倉

 兵庫県朝来

 広島県福山市内に朝倉神社在り

 愛媛県今治市朝倉 東予地方に旧朝倉村あり

 香川県木田郡三木町朝倉

 高知県高知市朝倉

 京都府京都市中京区朝倉

 奈良県桜井市朝倉

 和歌山県西牟婁郡上富田町朝来(アッソ)

 福井県福井市内に一乗谷朝倉氏遺跡在り

21 京都府舞鶴市朝来

22 福井県敦賀市に朝倉氏の金ヶ崎城が在った

23 愛知県知多市朝倉

24 岐阜県不破郡垂井町に朝倉公園在り

25 千葉県山武郡芝山町朝倉

26 群馬県前橋市朝倉

27 宮城県登米市米山町善王寺朝来

28 福島県喜多方市山都町朝倉

29 秋田県横手市朝倉


 沖縄、北海道は無視しても構わないと考えますが(実際ないようですが)、沖縄、奄美にも敗散により九州から移動した氏族(平氏、安徳、赤松…)がある可能性はあるのです。


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