323 春本番!安芸太田から邑南町の神社探訪 ⑥ “広島県三次市の住吉神社に五七桐神紋が!”
20160420
久留米地名研究会(編集員) 古川 清久
安芸太田の神社探訪についてはブログに書いたもの以外にも多くの神社を見せて頂いていますが、全てを書く訳にも行かず、読んで頂いて面白いと思われるものを選んで取上げています。
安芸太田から次に向かったのも広島県北部の三次市でした。
まず、住吉神社と言えば住吉の神であり海人族の神社として海岸部にあるものとの固定観念があります。
それは当方も同様ですが、海人族は川を通路として内陸部の奥深く入り、木材を切り出し筏も組み、船も造ります。
その行き来の中で交易も行われるはずで、海人族は決して海岸部だけで移動を繰り返している訳ではないのです。
まず、この三次市の三次と言う地名ですが、江の川と馬洗川が複雑に合流するこの地こそ三次市、三次であり、どう考えても、この地名はこの地形から付されたものという思いを消せません。
三次の次(ヨシ)も葦原の葦(ヨシ)であり、三吉野のという掛け言葉も含め考えざるを得ないのです。
それはともかくとして、この住吉神社をご覧ください。
こじんまりとした簡素な神社ですが、はっとした事がありました。
それは、参拝殿、神殿上部に打たれた神紋でした。
そこには鮮やかな唐花紋が打たれていたのです。
我々九州王朝を意識している者にとって、通常目にする所謂住吉の左三つ巴紋ではなく唐花紋は高良大社の通常使われている木瓜紋とも異なり、高良大社の奥深 く保たれている剣唐花紋に近い紋であり、この神社は住吉三神でも底筒男命を祀る神社である事が一目で分かったのでした。
そして、縁起を読むとその通りの事が書かれていたのでした。
多くの方は住吉の神を、底筒男、中筒男、表筒男の住吉三神として恰も兄弟神でもあるかのように理解されている方もおられるのではないでしょうか?
しかし、百嶋神社考古学では各々別の個性を持った神であり底筒男命こそ最高神として理解しているのです。
先ず、福岡市の中心部にある住吉神社は中筒男(その実体は藤原が第10代と格上げした崇神天皇)を、下関の住吉神社は表筒男(その実体は山幸彦=ニギハヤヒの子であるウガヤフキアエズ)、そして、最高神としての大阪の住吉神社の主神こそ底筒男(その実体は高良玉垂命=第9代開化天皇)なのです。
このことを百嶋先生からお聴きしていたのですが、図らずもその事を裏付けるかのような神社に広島県の山奥で遭遇するとは思ってもみない事でした。
まさしく、犬も歩けば棒に当たるの云いの通り、フィールド・ワークの重要さを再認識した瞬間でした。