352 真庭、湯原から蒜山高原へ中国山地の奥深く ⑭ 岡山県真庭市蒜山西茅部1501の茅部神社
20160509
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
真庭~湯原から北に向かえば蒜山(ヒルゼン)です。
恥ずべきことですが、蒜山に入る直前まで同地は鳥取県だと思い込んでいました。
岡山県真庭市の湯原温泉から中国山地の屋根を越える山陰の一角との認識を不自然とは全く感じなかったのでした。
弁解の様に聞こえますが、そう思い込んだのには多少の理由があります。
それは、大山、氷山、蒜山と言った山を「セン」と呼ぶエリアが伯耆から但馬に掛けて広がっていたからでした。
多少とも仏教に精通された関心をお寄せの向きには、須弥山を「シュミセン」と呼ぶことはどなたもご
存知のはずで、この現象が仏教系というよりも天台密教系の修験と関係がありそうだと思われるはずです。
この山を「セン」と読み、呼ぶ具体例に関しては既に詳細な先行研究があるのでご紹介しましょう。
このサイトには在職中の五年前には気付いていましたのが、始めてこの面白い現象をご紹介できてうれしく思います。
2005.01.06 山をセンと読む山
山という字をセンと読む代表は、鳥取の大山です。有名だけに、このような山は、日本中どこにでもあると思われるでしょうが、70そこそこです。下に、その一部を記します。
あさなべわしがせん 朝鍋鷲ヶ山 鳥取・岡山 あられがせん 霰ヶ山 岡山
いいもりせん 飯盛山 鳥取 いおうせん 医王山 鳥取
うまつきせん 馬着山 島根 うまみせん 馬見山 島根
おうぎがせん 扇山 岡山 おうぎのせん 扇ノ山 鳥取
おおがせん 大鹿山 島根 おぐりがせん 小栗ガ山 鳥取・岡山
かさつえせん 笠杖山 岡山 かつたがせん 勝田ヶ山 鳥取
かながやせん 金ヶ谷山 鳥取・岡山 かみだいせん 上大仙 鳥取
からすがせん 烏ケ山 鳥取・岡山 きのえがせん 甲ヶ山 鳥取
ぎぼしゅせん 擬宝珠山 鳥取 きょうらぎせん 京羅木山 島根
きんぷせん 金峯山 島根 くまがせん 熊ヶ山 島根
こうせん 高山 岡山 こうりょうせん 孝霊山 鳥取
こんごうせん 金剛山 新潟 ささがせん 笹ケ山 岡山
しもだいせん 下大山 鳥取 しょうのかみせん 庄ノ上山 岡山・兵庫
しらすせん 白髪山 岡山 すがのせん 須賀ノ山 兵庫・鳥取
すずりがせん 硯ケ山 岡山 せんじょうせん 船上山 鳥取
ぞうせん 象山 鳥取 だいがせん 大ケ山 岡山
だいしゃくせん 大釈山 岡山 だいせん 大山 島根・鳥取
だいみせん ダイミ山 岡山 たかおせん 高尾山 島根
たこうせん 田幸山 兵庫 たまらずせん 不溜山 岡山
だんとくせん 檀特山 新潟 ちくろせん 竹呂山 兵庫
つぐろせん 津黒山 鳥取・岡山 つるぎがせん 剣ケ山 鳥取・岡山
つるぎのせん 剣ノ山 徳島 つるぎのせん 剣ノ山 愛媛
てらおせん 寺尾山 島根 てんがせん 天が山 岡山
とうせん 東山 島根 どうどうせん 道々山 岡山
てんがせん 天が山 岡山 ななかせん 七霞山 和歌山
にんにくせん 忍辱山 奈良 のだがせん 野田ケ山 鳥取
はっとうじせん 八塔寺山 岡山 はっとせん 八十山 鳥取
はなちがせん 花知山 岡山 はんこうせん 半甲山 岡山
ひがしせん 東山 鳥取 ひのきがせん 檜ケ山 島根・岡山
ひょうのせん 氷ノ山 兵庫・鳥取 ぶどうざわせん 葡萄沢山 福島
ほしせん 星山 岡山 ぼだいせん 菩提山 奈良
ほのみせん 穂見山 鳥取 みせん 弥山 奈良
みせん 弥山 鳥取 みせん 弥山 島根
みせん 弥山 広島 みせん 弥山 山口
みねじみせん 峯寺弥山 島根 みみすえせん 耳スエ山 岡山
やはずがせん 矢筈ケ山 鳥取 よこおせん 横尾山 島根
わかすぎせん 若杉山 鳥取
「山」は「やま」「サン」「ザン」「セン」と読みます。「サン」は漢音。「セン」は呉音です。どう違うのか判りませんが、少なくとも、山という字を「セン」と読んでいる人達か、山を「セン」と読みたい人達が、そのように名づけたと思われます。
可能性の強いのは、「弥山」が五ヶ所あります。これは、仏教の方の「須弥山」から来ていると思われます。仏教における聖地です。聖地から、「須」を外して、聖地として大切にしていたのかも知れません。
「山」の前にある文字の殆どが、訓よみで、所謂、なぜ重箱読みになっているのかが判りません。前の名前が、すべて仏教と関係があれば、仏教を信じている集団といえます。次のページに分布図を載せました。(この部分は、別のホームページに記載したものです)特徴は、センと呼ぶ山が、佐渡島と隠岐島にも見られます。この一族は、両方の島に上陸したようです。
次に、殆ど島根県と鳥取県です。後は、大まかに言って、日本海側です。朝鮮・中国から来たと考えていいかと思います。順序からいいますと、先ず、隠岐島に上陸、その後、島根県と鳥取県に住んだようですが、廣島・岡山・兵庫まで進出したようです。奈良にもあるのをどのように説明するかです。いつごろ、やってきたとか、なんと言う民族かは、是だけでは断定できませんが、大山の周りに、ある民族が住んでいたことは、確かです。ここを中心に広がっていったと云えるでしょう。ヒルゼンの周りには、気になる地名がいっぱいです。犬・蛇がつく地名。神がつく地名。田の字がつく地名。その地名一つを調べたからと言って、すべてが判るわけではありませんが、全部を線で結びますと、いろいろのことが浮びあがってきます。順次、取り上げてみます。
十分お分かりになったでしょう。
さて、蒜山です。「蒜」とはユリ科のニンニクなどの植物ですが、ヒルがビバリーヒルズの「Hill」な
ら蒜山は丘、岡山となり、隣の岡山県の延長となって面白いのだけれどなどとくだらない妄想をしていると、長大トンネルを抜けてあっという間に蒜山高原に入っていました。
この蒜山どうしても見たいと思ったのは茅部(カヤベ)神社でした。
HP「楽しい人生」氏も「ヒルゼンの周りには、気になる地名がいっぱいです」と書かれているのですが、
その一端を茅部神社が説明してくれるかも知れません。
簡単に言えば、「茅部」とは「伽耶部」の意味だとの思いが走っていました。
社殿は落ち着いた造りでかなりの大社の風を感じます。
祭神 天照大神 御年神 他21柱
しかし、境内摂社を見ると、足名鎚命、手名鎚
命とあり、荒神神社がスサノウとなっているのは許容したしても組合せがおかしいのです。
これは、本来、スサノウ、そのお妃のクシナダヒメの両親とされるアシナヅチ、テナヅチを祀っていた神社を、ア
マノコヤネこと阿蘇の草部吉見=海幸彦が乗っ取り、天照大御神をお飾りとして、海幸の子である御年神以下21神を合祀した表現は悪いのですが乗っ取り神社と見えてしまいます。
ただ、神殿屋根には、五七桐が打たれており、本来は九州王朝系の神社だったのではないかと言う疑問も残ります。なぜならば、五七桐は高良玉垂命=開化天皇の神紋ですから。
百嶋由一郎最終神代系譜(一部)
アマノコヤネ=草部吉見
御年神=ハイキノカミ=孝安天皇(実は熊本県玉名市の疋野神社の主神)=景行天皇の父親
父は海幸彦、母は豊受大神=支那ツ姫…だから、祭神に倉稲魂命が置かれているのです。
最後に茅部(伽耶部)の問題です。スサノウは新羅の王子様です。
そして、伽耶は最終的には新羅に呑み込まれます。従って、茅部神社にスサノウが祀られていた可能性が高いのです。簡単に言えば祭神入替なのです。
しかし、この神社の鳥居の立派さには驚きました。
江戸時代に石工の頭領が日本最大の鳥居を造ったものですが、花崗岩の15メートル近い鳥居がこれほどの山中に造られたのです。