355 君が代の源流とされる神社 “薩摩川内市の日の丸神社”
20160517
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
鹿児島県の南薩、北薩も温泉の宝庫ですが、以前から好んで足を向けていたのが市比野温泉、入来温泉、
藺牟田温泉、諏訪温泉…といった「地味な」というのは穏やかな表現で、今やスクラップ化したと言う印
象を受ける一帯です。この一角にあるのが大宮神社です。
まず、この「君が代」の話については連携ブログのT先生が「とうすいネンゴロ庵」で五回に分けて詳
細に書かれていますので、ここではその件に触れるのをやめて、この神社のそれ以外の事を考えて見ましょう。
祭神は大貴己命とされています。まず、かなりおかしいという印象と、しかし、ない訳でもないという思いが走りました。
この神社を勧請したのが渋谷氏(相模国桓武平氏の一流…と)とされ、元は近江坂本の日吉(ヒエ)神
社であったとすると祭神は大山咋(オオヤマクイ)=日吉、日枝、佐田大神、松尾神社…以外にはなく、大国主、大物主とするのは、明治期に跳梁跋扈した島津氏による神社の祭神入れ替えの結果が反映されたものではないかと思います。
同社縁起
これだから鹿児島県、宮崎県の神社の縁起は、そのまま、真には受け入れられないのです。
大山咋神は、阿蘇草部吉見=ヒコヤイミミと宗像大社の市杵島姫との間に産まれた神様です。
従って、渋谷氏による日吉の勧請が事実ならば、祭神は大山咋にしかなりません。
このため、明治期に祭神が替えられたとしても、普通は皇国史観に整合する天照系とか神武天皇の母神
の豊玉姫とか玉依姫といった神様になりそうなのですが、天照大御神に追い出された、スサノウとか国譲りを強要されたとする大国主命などを持ち込むはずはないのですが、そうはなっていないところから、実は、渋谷氏が日吉神社を持ち込む前の本来の神々に戻された可能性も見て取れるのです。
この神社の舞にもスサノウが登場します。大物主もスサノウとか大国主とか不明な点の多い物部の神で
すが、これら逆賊の神が縁起に書かれていることから、むしろ、本当の神様が明治期に蘇ったものの様に見えるのです。
今回は、鹿児島市で12日に始まった第74期名人戦七番勝負(羽生善治名人VS佐藤天彦八段)の第3局(会場:城山観光ホテル)の大盤解説会に参加するために立ち寄ったもの(三度目ですか)です。
他にも数社初見の神社を見せて頂きました。
現在のテーマは、北部九州に居た高木大神系氏族、新たな侵入者としての天孫族、卑弥呼の一族の領域を避け、熊本以南に展開した氏族こそ大山祇神、大国主命(大山祇と埴安姫との子)であり、その実体がトルコ系匈奴だったのではないかという仮説を検証する事なのです。
大国主命を元々出雲の国の神様と考えるのはとんでもない誤りです。
だからこそ、この日の丸の大宮神社にも、宮崎県(日向)の一の宮としての都濃神社にも主祭神としての大国主命が祀られているのです。
この境内にある摂社梶山神社の神が渋谷氏により勧請された日吉神社=大山咋(オオヤマクイ)神=佐田大神ならうまく話が繋がるのですが、いずれその事も分かる時が来るでしょう。
実は佐田大神は「鍛冶屋」さんでもあったからです。
最後になりますが、この神社に着く前に撮った写真をご覧に入れたいと思います。これは日の丸集落が
ある入来町のとなりの市比野町にある牟礼(ムレ)という印象的な地名と地形を表したものですが、付近にも小牟礼とか湯之牟礼山が、また蒲生町の竹牟礼あるなど多くの牟礼地名が拾えるのです。
そもそも、久留米の高良大社が鎮座する高良山も古くは高牟礼と呼ばれ、高樹神社があったこという神社伝承があり、今も高良大社の直下に高樹神社が残されているのです。
恐らく、この地名はモンゴル高原一帯から騎馬を操る民族によって列島に持ち込まれたもので、集落や
砦を意味するものなのです。参考に「地名の目次」というサイトからご紹介します。
■ 牟礼(むれ): 東京都三鷹市牟礼 → 詳細
■ 牟礼(むれ): 長野県上水内郡飯綱町牟礼。「むれい」とも称し、む連井・室飯・む礼いなどとも書かれた。地名は、群の意か、穴居生活の室居の意か。【角川日本地名大辞典】
・ 「もり(盛)」の転で、「高くなったところ」の意味か。【市町村名語源辞典 溝手理太郎 東京堂出版】
・ 「むれ」「むろ」「もろ」は「山」の古語という。一説に、「むれ」「むろ」「もろ」は「集落」を示すという。【JR・第三セクター 全駅ルーツ事典 村石利夫 東京堂出版】
■ 牟礼(むれ): 兵庫県赤穂市有年牟礼。地名は群れ・牟羅に通じ、また山・高地を指す。【角川日本地名大辞典】
■ 牟礼(むれ): 山口県防府市牟礼。地名の由来は、牟々礼が郷名2字の制限により牟礼となったといわれ、あるいは山を意味する韓語ムレによるともいう。また、俊乗房重源の名付けにより、釈迦牟尼仏を礼拝することで牟礼となったとも伝える。【角川日本地名大辞典】
・ 牟礼郷: 山口県防府市。奈良時代から平安時代にかけて、周防国佐波郡にみられた郷名。天平10年正税帳に「周防国佐波郡人牟々礼君大町」とあり、君称は独立性の強い地方首長に多く、土地の牟々礼を姓としたと考えられている。郷名二字の制により牟々礼が牟礼となった。牟礼里・枳部(きべ)里などの地名より条里制がしかれていたと考えられる。枳(木)部は紀氏の部民の居地といわれる。【角川日本地名大辞典】
■ 牟礼(むれ): 香川県高松市牟礼町牟礼。武礼とも書いた。 地名の由来は、群の意で人家の群れていることから転じたものという。【角川日本地名大辞典】
・ 「むら(村)」の転か。あるいは、「もり(森)」の転で、「高くなった所」の意味か。【市町村名語源辞典 溝手理太郎 東京堂出版】