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354 真庭、湯原から蒜山高原へ中国山地の奥深く ⑯ 広島県安芸太田町八幡原の謎の古社

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354 真庭、湯原から蒜山高原へ中国山地の奥深く ⑯ 広島県安芸太田町八幡原の謎の古社

20160517

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


恐らくこのくらいの地図を出してもスキー・ファンでもなければ見当が付かないような場所です。

広島県(安芸太田町)、島根(浜田市)の県境に八幡原と呼ばれる山上の巨大平野があります。


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今回の調査旅行の帰路、車中泊を行った山陰の浜田市(金城町)から益田市に抜けようと考えたのです

が、普通に移動するだけを考えれば、面倒でも一旦は海岸部に出て西に向かうのが正しい選択になるでしょう。

しかし、それでは面白くもない上に調査にもならないことから、ひと山越えて広島県に戻り、匹見から美都温泉で朝風呂にでも入り、益田に抜ける事を考えました。

 この八幡原は未踏の地であり、実際、わくわくしながら入ったのですが、やはり魅力的な空間が広がっ

ていたのでした。

まず、いつも書いている事ですが、山中で大きな平野に遭遇することが多々あります。

 しかし、そこには小さな段差の棚田などもなく、一面の水田が広がっているのです。

 このような現象に何度か遭遇するうちに、ここには大きな湖があり、それが堆積(水の中ですから水平堆積)し、結果、大きな平野が出来たか、湖であったうちに人工的にか自然災害によってかとにかく水が抜かれ、水平な湖の底が現れこれ幸いと人が進出したと考えなければいけないと思う様になりました。

 まず、八幡原にはいった最初の印象はこのことでした。

 すると、おあつらえ向きに掲示板があり、そこにも古代八幡湖の記事が書かれていたのです。


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さっそく、大歳神社を見に行きました。

 もう、丹念な読者はこの神様がどなたであるかは見当が付かれている事と思います。

 勿論、阿蘇高森の草部吉見神社のヒコヤイミミであり、藤原の先祖神としての春日大神、武甕槌神(タ

ケズカズチノミコト)その人なのです。


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掲示板の「八幡高原文化の道」にあるように、木東、三島、大地主、樽床神社を合祀しているとはされ

てはいるのですが、大歳神社の名のとおりヒコヤイミミが祀られているのではなく、三島、大地主辺りが本来の神様であった事が良く分かります。

 それは、神紋を見ただけでこの神社の古層、基層が見えた思いがしたのでした。

 この神紋は八坂神社の宮司家などで使用される特殊なオモダカ紋であり、この神紋を使うのは、スサノウ系の一族だろうと思います。

しかも、六角形の亀甲の中にオモダカが置かれている事から、博多の櫛田神社の大幡主の配下として活動していたスサノウという意味が込められているのです。

大国主命も亀甲枠に入っていますが、尊称としての「主」が付されている訳は、これも天御中主、大幡主の流れの中に大山祇と埴安姫(大幡主の妹)の間に産まれたのが大国主だったからなのです。 


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広島県は大歳神社が非常に多いエリアです。しかし、その底流には必ず本来の神様がおられるのです。

そう考えて摂社の配神や縁起などをお読みいただきたいと思います。この八幡原は民俗学的にも、神社

研究に於いても非常に面白い所のようです。

52526日に掛けて将棋の名人戦が広島県福山市で行われますので、観戦を兼ねて再度足を延ばそう

と考えています。この八幡原では天候も悪かったことから足早に数社見せて頂き、何故か朝六時から営業している益田市の山奥の美都温泉に向かい休養し九州に帰る事にしたのでした。


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