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358 肥後は金峰山麓の若宮神社 “熊本市河内町の若宮神社”

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358 肥後は金峰山麓の若宮神社 “熊本市河内町の若宮神社”

20160616

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


熊本地震以降国道3号線や208号線の渋滞を避け、有明海沿岸道路から国道501号線で金峰山の麓を通り抜ける人が増えていると思いますが、宇土から大牟田に向かう途中のいわば岬を越える峠道の傍に河内阿蘇神社が鎮座しています。

 有明海沿岸の移動が多かったことから以前から頻繁に通過していましたが、いつでも行ける神社とはなかなか足が向かわないもので、ようやく参拝する機会を得ました。


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 有明海北部沿岸の岬には高良神社が置かれている事がままあるのですが、多少は意識しつつも、どうせ阿蘇系神社か八幡神社の類だろうと軽い気持ちで社殿を見ると、確かに阿蘇系神社に違いなく、健磐龍神、国造神(速甕王神)、比咩神ほか十二神…と、有明海沿岸から天草に掛けて多く認められる十五神社のスタイルを取った神社だったのです。

 まず、神社由緒の健磐龍は良いとして、国造神(速甕王)は、阿蘇北宮国造神社の速甕玉(実体は草部吉見神と市杵島姫との間に産まれた大山咋=松尾大神=日吉大神…)と比咩神は健磐龍の妃阿蘇都比咩こと天ノ豊津姫の事かは不明です。

 それは、置くとしても、「霊亀元(715)年に阿蘇大神を勧請し若宮大神と称した」の下りは、如何にも整合性があるとは思えず、この若宮大神とは久留米の高良大社周辺に数多く認められる高良玉垂命と神功皇后との間に産まれた若宮=高良皇子神社(九体皇子神社)の筆頭、斯礼賀志命(シレカシノミコト)こと仁徳天皇を祀る神社である可能性を否定できないのです。


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若宮神社は単独で祀られることもありますが、通常は高良神社とセットで祀られる場合が多く、単独の場合でも高良玉垂命と神功皇后との間に産まれた五人の皇子+四人の皇子の筆頭としての若宮の意味が強いのです。

 若宮神社は宇佐神宮の上宮の直ぐ下にも鎮座していますが、それは五人の神様の筆頭として祀られているようなのです。

 国東半島にも高良神社と若宮神社がセットで祀られるものがかなり拾えます。


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358-4この金峰山周辺には源平藤橘の橘一族が菊池氏を頼り住み着いていますが(金峰山三苗字の一流)、その一族は高良玉垂命を奉斎していたというよりも、その流れそのものとも重なります。

 由緒からは8世紀辺りから若宮神社(辺田見の若宮神社も含め)と呼ばれていた可能性を否定できません。

この橘一族は、渋江、牛島、中村に分かれ、橘氏の本流として1314世紀に入る前にも、8世紀辺りからその流れが展開していた事を考えさせられそうです。

 由緒や「熊本県神社誌」にも牛島美作公基が戦勝を祈願し奉賽として社殿を造営したとあります。

右は高良大社に残された「高良玉垂宮神秘書」の一部であり、四人は神功皇后が連れてきた仲哀の連子である可能性が高いようです。


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