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362 熊本県あさぎり町久鹿の天子神社に再訪

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362 熊本県あさぎり町久鹿の天子神社に再訪

20160621

太宰府地名研究会(神社考古学研究班)古川 清久


熊本県あさぎり町と言っても直ぐにお分かりなる方は少ないと思いますが、人吉盆地のど真中の旧免田町(考古学に造詣のある方には免田式土器の免田町ですね)の天子宮に再訪する機会があった事から久しぶりに天子神社を取り上げます。


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天子神社 カーナビ検索 熊本県あさぎり(旧免田)町久鹿838


 天子宮に関しては、ひぼろぎ逍遥(跡宮)に於いて現在40本を公開していますが(全体で百数十本を少しずつ公開して行きます)、久しぶりに訪れました。

 天子神社を調べて回っていたのは十年以上前でしたが、少しは神社を見る目が上がった事から新たな発見でもないかと期待したのですが、やはり無理でした。


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そこで、この天子宮というものに関する十年後の見解を少し申し述べたいと思います。

 「熊本県神社誌」所載の天子神社を見ると、祭神は景行天皇と書かれていますが、これはもしかすると明治期に祭神が入れ替えられているという思いを消せません。

 勿論、隼人対策で大伴家持といった武人が送り込まれてはいるのですから、それ以降、多くの動機はあったと思いますが、一番ありえそうな可能性を考えると、以下のようになります。

 「天子と言えば熊襲を退治に来た景行天皇以外には考えようがないから景行にしておこう」…として明治新政府に尾を振り、上位社の摂社が村社に肖ったのではないか?という意味です。


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今回、「熊本県神社誌」を見て気付いたことがありました。

 それは、この久鹿の天子神社は岡留の熊野神社(旧免田町乙1579)諾冊二神、速玉男神の境外摂社だったのです。摂社は6社あり、その筆頭が天子神社ということなのです。

 そう考えると、ヤタガラス(速玉男)を祀る熊野神社が景行天皇(勿論、百嶋神社考古学では景行は天皇ではないのですが)の下に扱われる事はやはり異常に思えるのです。


熊野神社(旧免田町乙1579)諾冊二神、速玉男神


1. 天子神社  免田町久鹿838     景行天皇

2. 熊野神社  免田町築地4119    熊野三神

3. 厳島神社  免田町黒田1471    市杵島姫命

4. 熊野神社  免田町吉井1997    熊野三神

5. 白木神社  免田町永才2371    天之御中主神

6. 八幡宮   免田町八幡町1840   応神天皇外二神


八幡宮のある八幡町は、それこそ近畿大和朝廷の占領軍集落か、相良一族入府の占領軍集落でしょうが、それを除けば、天子神社の景行天皇という配神が異常であることは明らかで、まず、景行天皇は祭神の入れ替えであろうことは明らかでしょう。

 天御中主も市杵島姫も白族=大幡主の一族であり、伝統的にこの旧免田町のエリアは熊野系の地域だった事は明らかでしょう。

では、天子宮の祭神とは何でしょうか?

これについては、伊倉 天子宮は誰を祀るか?全て公開した後皆さんで考えて頂きたいのですが、この天子宮調査を行っていた当時は、九州古代史の会の中心的メンバーであった荒金卓也氏の説に沿い、その裏を取るための調査をしていたのであり、荒金氏による「多利思北孤」説を軸に考えていました。

 しかし、百嶋先生は“あれはヘブライ系集落でモーゼを祀っている”と言った趣旨の話をされていました。

 当時、“とんでもない事をおっしゃる方だなあ”と驚いたものでしたが、今は、やはりそれが正しいと思う様になりました。

 肥後でも八代から球磨川流域、人吉盆地一帯は、相当に古い時代に入った人々が住み着いているようなのです。


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