365 タバコのもらい火
20160707
太宰府地名研究会(神社考古学研究班)古川 清久
百円ライター(これも「チルチルミチル」で有名な日本メーカーが世界で初めて開発したものですが…)が一般に普及するまで、喫煙者にはマッチしか火を着ける手段が無く、街角では煙草を吸っている全くの他人に「ちょっと火を頂けますか?」と互いの煙草でキスをして火を貰うという今から言えば妙な風景が当たり前だったのです。
これは、そういった時代を知っている方しか分からない感覚だと思うのですが、たまには力を抜いて気楽な話に付き合って下さい。
ただ、その話に入る前に、タバコの話が出たことから喫煙に関する発ガン性の有無についての話に触れてみたいと思います。
まず、個人的にはタバコも酒もほとんど飲まない(他人の煙草は吸うとしていましたが)事からどうでも良いのですが、タバコの発がん性という話は、アメリカの原爆実験、地下核実験…による放射線障害をカモフラージュするために人為手的な攪乱行為としてありもしない喫煙と癌の因果関係が強調されたという考え方が医療関係者の間ではある程度知れ渡っているようです。
そのアメリカからの直輸入で、禁煙から喫煙者の排除という愚かな(踊らされたという意味での)マナーが普及してしまったようです。
当然ながら、禁煙、減煙キャンペーンの団体が造られ、薄汚いさもしい官僚どもが天下りして甘い汁を吸ったであろうことは言うまでもありません。
これくらいの事は、直ぐに裏が透けて見えるのですが、タバコを吸うこと自体に意味があるなどと言うつもりは毛頭ない事だけは申し上げておきます。
タバコとは禁断症状によって元々気分を悪くさせておいて、金を使わせてタバコを買わせ、少しだけ元の気分に戻すだけの麻薬に過ぎないのであって、個人的趣味には干渉しませんが、愚かな事には変わりはないのです(所詮はアヘンや初期のコーラ類)。
現在、喫煙者は経済的な問題もあり肩身の狭い扱いを受ける事からもどんどん喫煙者が減り、喫煙率ははっきり下がっています。
一方、癌の発生率はどうでしょうか?右肩上がりで上がっている事は言うまでもありません。
素人目には因果関係が全くないことは明らかで、小汚い官僚どもはいくらでも理屈(本質を見るのには、長期的なスパンでものを見る必要があります…しばらく吸い続けて初めて病気になる…高齢化するだけでも、がんは増えます…)を捏ねるでしょうが、一般的な理解が正しいだろうことは経験的に分かるところです。
昭和30年代まで、農村ではキセルで煙草(タバコでは雰囲気が出ませんね)を吸う風景を良く観かけていました。
当然ながら、きざみ煙草で、農作業の合間にのんびりと、本当に旨そうに煙草を吸っている風景は何とも言えず懐かしくも優雅なものでした。
もう二度と見る事のできない懐かしい情景と言えるでしょう。
元禄煙草、キセルのラオし換え、雷煙草の話までする気はありませんが、キキョウ、アヤメ、敷島、朝日…など懐かしい限りです。
喫煙率は低下し続け、癌発症率は上がり続けている事だけを理解すれば十分でしょう。
何故かと言えば、カモフラージュに利用されただけの事で、それを利用して厚生労働省の天下り官僚が小銭を稼いだだけの大した問題ではないからです。
このようなくだらない議論はどうでも良いのですが、本質は核開発、核実験による放射線被爆をごまかすためにタバコによる発癌性が利用され米国の被爆者が放置され(9.11でも3.11でも)、これ幸いと薄汚い厚生労働省の天下り官僚と御用学者、御用医者がタッグを組んだと言うのが真相というところでしょう。