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372 あまりにも美しい社殿を持つ南海の名社 “宮崎県日南市榎原神社初見” 

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372 あまりにも美しい社殿を持つ南海の名社 “宮崎県日南市榎原神社初見”     

20160728

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


日南市から串間市に向かうと榎原(ヨワラ)神社があります。


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 猛暑の中、エアコンを使いたくないため水風呂に入りながらブログを書き続けていますが、高原地帯のため暑さなんとか凌げるものの、目の疲れとパソコン作業による頸、肩、腕の痛みが出てくる様になると、こればかりは回避できず、暫く外に出てフィールド・ワークをやらざるを得なくなります。

 九州では見ていないエリアがほぼ無くなっていますが、日南市と串間市の中間領域は未踏の地であり、未踏の神社もかなりあります。

 今回はあまり祭神がどうのとか、神社成立の背景といった議論をせずに済むので非常に楽な神社になります。

 それは、成立が新しく、ある意味で謎のない神社だからです。


372-2朱塗りの社殿は、1658(万治元)年に神社とゆかりの深い、内田万寿姫の進言により、飫肥三代藩主、藩主伊東祐久が鵜戸神宮の分霊を祀(まつ)ったもの。 (左奥手にある摂社桜井神社は内田万寿姫を祀る)

現在の社殿は 宝永4年(1707)に建てられ、当時は八幡造りであったものが、寛政10年(1798)当時流行していた権現造りに改装されたものと思われる。 


372-3

  

 日南は島津氏と南九州の覇権を争った伊東氏の縮小し復活した領域であり、同社も1600年代の半ばに鵜戸神宮を勧請した神社のため、往古の祭神を祀った摂社というほどのものもなく、気楽に社殿を楽しむことができました。

 唯一分からないのが、神女内田万寿姫が祀られている摂社が、何故、桜井神社なのかという点だけで、たまには気楽に社殿を見せてもらうことにしましょう。


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伊東氏の粋を感じさせるほどの素晴らしい社殿が、失礼ながらこのような僻陬の地に鎮座しているのかが不思議な思いがしました。

勿論、空襲も受けなかったでしょうし、地域の共同体がきちんと残ってさえいれば、社殿の手入れもできる社会が存在できることの証明の様なものを再認識させるものでした。


372-5



摂社 桜井神社(左)


 伊東家と言えば甘木の秋月家が頭に浮かびますが、そもそも内田万寿姫もその名からして木瓜紋を使う人々だったことは疑いようがなく、庵木瓜紋は納得が行くのですが、それが何故桜井神社かが分からないのです。

 糸島の桜井神社、奈良の桜井神社も見当が着きません。これは保留とさせて頂きます。

 さて同社の祭神ですが、鵜戸神宮は同社のHP(以下)を見るまでもなく、ウガヤフキアエズを祀る神社とされています。


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同社の祭神は鵜戸神宮(本来はウガヤフキアエズを単独で祀る神社)の祭神系譜から豊玉姫と玉依姫(玉前タマサキ神社)が外され6柱が選ばれているようです。

 天照、草部吉見、ニニギ、ニギハヤヒ、ウガヤフキアエズ、カムヤマトイワレヒコ(本物の神武天皇)

 百嶋神社考古学では、山幸彦=ヒコホオデミと豊玉姫が一緒になって神武天皇が産まれ、子育て放棄により玉依姫が送り込まれると言った話を全く認めません。

 それ以上に天照大御神と神武天皇とは腹違いの姉、弟の関係であるとします。

 それについては、百嶋由一郎最終神代系譜(次葉)を見て頂くとして、ヒコホオデミと豊玉姫との間にウガヤフキアエズが産まれている事は良いのです。

 話が逸れましたが、榎原神社はヒコホオデミ、ウガヤフキアエズという親子を掲げず、天照を筆頭にしていることから、鵜戸神宮をそのまま勧請した神社ではなく多少の脚色が行われている様に見えるのです。

 最後に、鵜戸神宮の「鵜戸」の意味ですが、古来、海食洞を「ウト」(大門)と呼んでいたものを、鵜草葺不合尊の「鵜」を充てたもので、単に大きな海食洞をそのように呼んだものと思われます。

 福岡県糸島市にある糸島半島の先端に芥屋大門がありますが、古代九州標準語の大門(ウート)が大門(オート)と畿内標準語化されたものと考えています。U音とO音の問題。

 それを、鵜が住み着いていた海食洞と考えるべきではないと思っています。

 鵜戸神宮入口には「吹気井」という地名があり、さらに南にも「小吹気井」がありますが、これも「大きな穴」、「小さな穴」という地名複合です。

 同じ日南海岸には、「内海」、「小内海」がある事と対応した親子地名の一つなのです。

 なお、この「吹気井」「小吹気井」地名に関しては、根中氏によりアイヌ語の「穴」=プケイ(フケイ)説が提案されています。

 出版当時にこの本を読み、現地を訪問した記憶がありますが、

 九州に於いて、壱岐の「腹ホゲ地蔵」といった表現とか、「穴がホゲル」、「鼻をホグル」もこの「プケ」、「フケ」の転化とも言えそうですし、無理してアイヌ語で説明しなくても良いのではないかとも思うこの頃です。

 勿論、アイヌ語が九州に一切入っていないなどと言った馬鹿げた事を言うつもりは毛頭ありません。


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