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373 宮崎市の奈古神社初見  

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373 宮崎市の奈古神社初見     

20160729

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


通常、宮崎市の江田神社のように、古代には(と言わず近世まで)明らかに海の底だったはずの場所を神話の舞台として宣伝するものを真面目に考える事はしません。

このため宮崎神宮を始めとする一連の神社群を取り上げる事もないのですが、そういうものも一応は見ておく必要があることから、今回とりあげたのが奈古神社でした。


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現地は、一目大淀川の氾濫原と思しき一角に突き出した岬か島状の地であり、近くには生目古墳群も控えています。

まず、その時代のウォーター・フロントを思わせるものです。

その点、古代の神社としてのロケーションはぴったりで、それだけでも見せて頂く価値は十分にありそうです。

さて、祭神はニニギを筆頭に、ウガヤが真中に、最後に神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)が配されています。


天津彦々火瓊々杵尊 鵜葺草葺不合尊 神日本磐余彦天皇


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まず、筆頭のニニギと考えるべきでしょうが、何故か由来には「神武天皇を宇佐八幡と崇めたことから奈古八幡の勅号を得、…」とあります。

 また、奈古八幡とありながら肝心の八幡神は片鱗も見せていません。

 どうも、由来と祭神の組合に齟齬を来しているという印象を抱かざるを得ません。

一つの考え方として、本来はウガヤフキアエズを奉祭神社だった可能性があるでしょう。

 「明治初期には、本殿のほかに末社8社が温存していた」ともあり、それが明治維新以前の本来の祭神であった可能性があり、この三神の内ニニギ、神武の二神が加えられ、明治の郷社昇格で受け入れられたと考えられそうなのです。

 もう一つは神武天皇が最後尾に配されている事からは、この神武は神武僭称、第10代 贈)崇神天皇(和風諡号ハツクニシラススメラミコト)である可能性も見て取れそうです。

 それならば、「神武天皇を宇佐八幡と崇めたことから奈古八幡の勅号を得、…」という由来が生きてくるのです。

 いずれにせよ、百嶋神社考古学と宮崎神話は全く合い入れない事は次葉の百嶋由一郎最終神代系譜をご覧いただければお分かりになるでしょう。

 いずれにせよ、情報量が少なさすぎるため解読できません。


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