スポット081(前) 大山祗の子大国主は何故トルコ系匈奴と言えるのか? “宮古の縁側日記から転載”①②
20170117
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
連携blogの「スピリィチュアル・ヒーラー宮古の縁側日記」に重要な記事が掲載されました。
「ひぼろぎ逍遥」、「ひぼろぎ逍遥(跡宮)」の読者にも是非読んで頂きたいと思いますので、許可を得て全面転載させて頂く事にしました。皆さんも、「…宮古の縁側日記」に注目を。
48 龍族大国主の複雑な事情①2017-01-11 11:24:10
あけましておめでとうございます~今年もよろしくお願いいたします。
出雲大社と言えば大国主神です。
日本書記ではスサノオの息子、古事記ではスサノオの6世孫、7世孫と判然としていません。
大国主には沢山の名前があります。
大國主大神
根国から帰ってきてからの名。大国を治める帝王の意
大穴牟遅神(おおなむぢ)
大穴持命(おおあなもち)
大己貴命(おほなむち)
大汝命(おほなむち)
播磨国風土記の表記
大名持神(おおなもち)
国作大己貴(くにつくりおおほなむち)
八千矛神(やちほこ)
須勢理姫との歌物語の名
葦原醜男
葦原色許男
葦原志許乎
あしはらしこを根国での呼称「しこを」は強い男で武神
大物主神(おおものぬし)
古事記においては別の神、日本書紀においては国譲りの別名
大國魂大神(おおくにたま)
顕国玉神・宇都志国魂(うつしくにたま)
根国から帰ってからの名
伊和大神(いわおおかみ)
播磨国風土記での呼称
所造天下大神(あめのしたつくらししおおおかみ)
幽冥主宰大神(かくりごとしろしめすおおかみ)
杵築大神(きづきのおおかみ)
あまりに多すぎて覚えきれません。一体どんな人物なのでしょうか?
まず、大国主とは国を治める王様、王君と言う意味なので名前ではないのです。
固有名詞ではありません。
出雲の王様であるとするならば名前があるはずなのに具体的には記紀には書いてなのです。
漢字の成立は少なく見積もっても紀元前6世紀には成立していました。
紀元前2590年には漢字の元になった甲骨文字、象形文字等があります。
最古の漢字は殷の時代紀元前1046年に占いの結果を書き残す為に使用されています。
大国主の名前は何と言ったのでしょうか?沢山の名前から推理して見ましょう。
大穴牟遅・大穴持・大己貴命・大汝命
おおなむじ・おおあなもち・おほなむち
似たような名前ですね。
元は一つだった名前の漢字のフリガナを変えて言い換えているようです。
ヒントは大物主(おおものぬし)です。
古事記でも大国主と大物主は別人だと言っています。
日本書紀おいては国譲り後の別名とあります。
大国主の神話は大国主にとっての都合の良い作り話ですが、いつものように作者は真実を織り交ぜています。
スサノオのいる根の国に大国主なる人物は行ったのです。
播磨風土記に書いてあります。
スサノオの娘を嫁に貰いに行ったのです。
もちろん、断られました。
大国主はそのまま引っ込んでいるような性格ではありませんでした。
スサノオ軍団と戦い武力で勝ち取りました。
娘を略奪したのです。
スサノオの娘を連れて意気揚々と引き上げて行きました。
大国主には二人の妻がいます。
八上姫(ヤカミヒメ)
根の国からの帰還後では最初の妻とされる、こちらが略奪したスサノオの娘。
辛国息長大姫(カラクニシナオオヒメ)
古事記ではアメノウズメにされています。
須勢理姫(スセリヒメ)
スサノオの息子の妻を略奪した最初の妻で正妻。
本名は瀛津襲足姫(オキツヨソタラシヒメ)
古事記では豊玉姫になっています。
都合二回戦っています。
狗奴国の乱
長髄彦の乱.....長髄彦はスサノオの息子で王子様。
古事記では、長髄彦は一方的な悪者。
大国主は一人で戦いに挑んだわけではありません。
沢山の兄達軍団(匈奴軍団)で、
スサノオ軍団(月氏軍団)に奇襲攻撃をかけたのです。
何故、スサノオに断られ攻撃してまで娘達を得なければならなかったのか。
それは、サカ国の王スサノオとはあまりに身分が違いすぎたからです。
複雑な事情が大国主にはありました。(続く)