393 2016 年真夏の津山の神社探訪 ⑩ “津山市加茂町の黒木神社”
20160902
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
今回の津山周辺の神社探訪において、どうしても行きたかったのが、かなりの奥地の黒木地区でした。
岡山県津山市加茂町黒木
その理由は至って簡単で、九州王朝を支えた重要氏族の本拠地が福岡県八女市黒木であり、徐福の一族の定着地の一つであり(これについては百嶋由一郎氏が証言しています)、百嶋翁の御先祖のルーツも同地にあったからです。
多分、津山市の黒木地区にも何らかの痕跡が確認できるのではないかと考えたのですが、結果はどうだったでしょうか?
それほど凄まじい山奥のと言った集落ではありませんでしたが、雰囲気は八女市の黒木に似ています
ここかから二百段以上の急坂の参道を登ると、小丘に寂れた黒木神社がありました。
あと十年早ければ、八女の黒木との関連性が掴める情報が入手できたのではないかと思ったのですが、祠の全てが祭神を確認できず非常に残念でした。
恐らく、八女の黒木の津江神社の分霊、分神が移されていたのではないかと考えるのですが、そう上手い話ばかり転がっているはずもありません。
このような空振りや失策の連続の中で神代(実は本当の列島の古代史)の真実へのささやかな光が見えて来るものなのです。
津山市加茂町黒木の黒木神社
山上の祠の全てがこのような破れた状態で祭神は全く確認できませんでした
津江神社(八女市黒木)
【祭神】
伊邪那岐尊、伊邪那美尊
【沿革】
平安時代末期の嘉応元年(1169年)2月、猫尾城(黒木城)初代城主・黒木大蔵大輔源助能(みなもとのすけよし)が創建したと伝わる。
助能は、後白河法皇(後鳥羽上皇とも)から姓や恩賞を賜るほどの武将であったが、あるとき豊後国の大友氏から疑いをかけられ、豊後国津江荘(現在の大分県日田市中津江村)に幽閉された。「無事に帰還できたら津江宮を黒木で祀る」と誓い、無事帰還した後に津江権現を勧請して津江神社を創建したという。
【津江神社の大樟】
津江神社には、創建時に源助能が植えたとされる大樟があり、黒木町のシンボルとなっている。
樹齢:約800年、樹高:約40m、幹周:約12m