400 波 呂(ハロ)
20160910
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
本稿は2008年頃に地名研究会向けに書いた地名に関する小論ですが、今回、僅かな修正を加え公開する事にしたものです。
鹿児島県の阿久根市に波留(ハル)という印象的な地名があります。
概して海岸部には二音地名が多いのですが、単にそれだけの話ではないように思われます。
特別な観光地でもなく、新幹線のルートからも外れた阿久根市を訪れる知的な人はそれほど多くはないでしょうが、現地を訪れ、詳しく地形(蛇行した河川)や地名などを見てゆけば、かつて、この地が奥深い入江に繋がる低湿地が陸化した土地であったことに気付かれるでしょう。
阿久根港に河口を持つ大橋川の一.五キロほど上流には、現在でもかなり広い干潟の痕跡があり、周辺にも、塩浜、塩鶴、潟、佐潟といった地名が、さらに上流には遠矢(これは無理にこじつければアイヌ語の湖、沼を意味するトウ、トオに、同じく湿地を意味するヤツ、ヤが加わった地名とも考えられます)という興味深い地名まであるのです。
国道三号線で阿久根市街地を通り抜けさらに南下すると、左手に葦の茂る広い湿地が見えてきます。
この十町歩に近い大湿地は、普通ならば干拓が行われ農地に変えられているのが普通ですから、ある種新鮮な感動さえ覚えます。
かつて、この阿久根という土地が大橋川、山下川が流れ込む巨大な湿地帯であったことは容易に想像できます。
実際、戦前までは、まだ、広い湿地が残り、多くの鶴が舞い降りる土地であった事を阿久根温泉の湯船の中で土地の古老からお聴きすることができました。
さて、この波留(ハル)はこの阿久根の市街地のそばにあるのです。始めはなかなか分かりませんでしたが、やはりこれもアイヌ語地名のように思われます。
『九州の先住民はアイヌ』(新地名学による探求)葦書房 を書かれた故根中治氏はこの地名についてもふれておられます。
・・・数年前に、福岡県の糸島郡を歩いていたら、浦志とか、波呂とかいった地名があってびっくりしました。浦志は先ほど北方に多くのウラミナイやウラシベツのあることをご説明しました。波呂に似た名は、北海道の北見に芭露という地名があります。パロ(Paro)は川口や沼の口という意味でよく地名に使われる語です。また、パ行音が和人に引き継がれる時にハ行音になることも先ほど申しましたとおりであります。
だが西のほうに、こういった形の名がところどころにあるというだけでは、そのままこれをアイヌ語系地名であると判断する勇気はまだ出てきません。・・・
『北方の古代文化-アイヌ語族の居住範囲』山田秀三
山田秀三と言えば押しも押されもせぬ高名なアイヌ語学者でしたが、根中氏は同書で山田秀三氏の『北方の古代文化-アイヌ語族の居住範囲』を引用しながら、西日本におけるアイヌ語地名の存在をかたくなに否定する山田秀三氏その人も含む地名学の重鎮達のアカデミズムに対して疑問を投げかけておられます。
お分かりでしょう。
びっくりはされていますが、結局は否定されているのです。この背後には、アイヌの日本列島への進出を北方からの南下ルートにしか求められない、金田一京助以来のアカデミズムの延長上に考えておられるからですが、二万年前のウルム氷期、朝鮮半島と九州が陸橋で繋がっていた時代に南回りルートによるアイヌの進出の可能性をそろそろ考えるべき時期が来ているのではないかと思うものです。
さて、P音のH音への転化は、言語学の世界では“母”(ファファ)は古代において“パパ”(パッパ)だったという有名な話がありますので、ここでは省略して良いでしょうが、福岡県の糸島半島の波呂(ハロ)と波留(ハル)はやはり違うではないかと言われるかもしれません。これについては、鹿児島県を含む九州西岸部(特に南西部は濃厚ですが)には、O音がU音に転化する傾向が強く残っているということは、別稿でも書いていますので、この例でお答えしておきます。
恐らく、沖縄が三母音であったと言われる傾向が九州の南西海岸部に色濃く残っていると考えられます。
概して南西諸島から長崎県島嶼部、佐賀県の西半分ぐらいまではO音がU音に転化する傾向が非常に強く認められます。具体例を上げれば切りがありませんが、JR佐世保線と長崎本線の分岐点である肥前山口駅に近い山手の集落の出身者である私の同僚も、日常的に標準語で「多いもの」というところを「ウーカモン」などと言う事でも分かるのですが、まさに生きた言語としていまなお使われ、勝手な想像ですが、古代の四母音または三母音のなごりまでも感じさせるものです。「ウーカモン」の「カ」音は言うまでもなく“カリ”活用(多かり、美しかり)の「カ」穏便ですが、瀬戸内海沿岸を除く九州全域で使われています。大事を“ウーゴト”などと言うのは、沖縄を“ウチナー”と言うのと同じわけです(もちろん、“ウチナー”を沖縄と字を当てただけなのですが)。佐賀、長崎の北の海岸線の県境近く、長崎県松浦市のバス停に「羽木場」(ウーコバ)があります(当然ながら地名もあるはずです)。木場は木庭、木場、古葉などと表記される九州北半に遺存する焼畑地名ですが、これもその(大木庭)地名表記として現地音が忠実に表現されたものです。
二つの土地とも古代の海岸線に近接する低湿地の入口にありますので、アイヌ語のパロに符合する事は明らかで、糸島半島の波呂(ハロ)と阿久根の波留(ハル)は地形の点からは元より、同じ地名であると言えるでしょう。
このことから、同様の地形に対して複数の地名が存在する事は、山田秀三氏への反論を試みられた根中治氏を補強する作業を多少は行った事になるのかもしれません
佐賀県唐津市の鏡山の麓にも「原」と書きハルと呼ぶ交差点があります。ここも古代には直接海に開いた場所であったはずで、福岡にも数多く分布する○○原の原(ハル)とは全く異なる鹿児島県阿久根の波留(ハル)や前原市の波呂(ハロ)と同様のアイヌ語地名ではないかと考えています。