スポット093 ある神社の摂社の祭神が隠され逆に推定の正しさが見えてシマッタ!?
2017021
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
現在、神社専門チャンネルの「ひぼろぎ逍遥(跡宮)」において、猿田彦大神=ニギハヤヒ=山幸彦=五十猛…の解析を試みています。
まだ、仮説段階の作業中ながら、様々な角度から猿田彦が何者であるかに迫っているのですが、当面、下記の二十本のblogを公開作業中です。
勿論、現在オンエア中の①~⑳に引き続く作業も進めようと考えて一部は書き上げてもいるのですが、他のテーマもあり、しばらくおいて余裕が出てくれば再び取り組むつもりでいます。
そうした中、某研究会において、猿田彦の解明と称して、“サンゴ礁からやって来た猿田彦”などと「古事記」絡みの柳田民俗学風の話だけを軸に、ヒラブ貝まで取り出してさも実証的でもあるかの様に装い、大道芸人風の話をされる方まで出てくる始末で、実に情けないとの感想を持った次第なのですが(通説派の行政に売り込もうと執心の例のK県K市K神社の宮司)、このような方々の言説はひとまず置くとして、全国的視野で俯瞰的に解析を進めてくると確かに猿田彦の全貌が多少とも浮かび上がってきた気がしています。
この20blogがオンエアされる頃には既に掲載は完了しているものと思いますが、そうした中、ある程度予想していた事とは言いながら、神社の神聖性とか神社への尊崇の念を失わせるようなニュースが入ってきました。
それは、284 大宮神社と猿田彦大神 ④ 転載 “櫛稲田姫(クシナダヒメ)は熊本県山鹿市で産まれた! ”で取り上げた某神社の境内摂社の祭神が書かれた額が無くなっていたという情報が、熊本神代史研究会(仮称)のあるトレッキング・メンバーから齎されたのでした。
まだ、確認していないのですが、実はこれまでにも同じような話があった事から又かと思ったのでした。
それは、「高良玉垂宮神秘書」が“高良玉垂命(実は第9代開化天皇)と神功皇后とが夫婦であった”と書いている(通説とは全く異なる神代=古代の真実の一端)その真実の一端を示す物証とも言えるもの(神功皇后の神像)が、下で書いている神社に存在していたのですが、blog掲載後半年を待たずして神殿から撤去されたという事例を承知しているのです。
まさに、通説派にとっては、仲哀天皇と神功皇后の子である応神天皇こそ正統とする話が怪しい事になりかねないものだったのでした。関心をお持ちの向きには、以下のblogをお読み頂き、神社というものがどのようなものであるかをお考え頂きたいと思うものです。
「ひぼろぎ逍遥」
153 | 超高格式瀬高玉垂宮の神功皇后像が消えた “みやま市河内の高良玉垂の宮” |
「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)
42 | 超高格式瀬高玉垂宮の神功皇后像が消えた “みやま市河内の高良玉垂の宮” |
今や見る事ができなくなった神功皇后の神像
では、今回、消えた櫛稲田姫の両親神の神名額を御覧いただきましょう。
再掲載(部分)
284 | 大宮神社と猿田彦大神 ④ 転載 “櫛稲田姫(クシナダヒメ)は 熊本県山鹿市で産まれた! ” |
勿論、はっきりお示ししても良いのですが、百嶋先生の話されている内容を自らの頭で考え、自らの足で探そうとする人だけにその真実が得られるようにしなければ、結論だけが独り歩きし、既存の権威にふんぞり返る神社関係者、文化関係者から排斥され攻撃されてしまう事が火を見るより明らかだからです。
このため、ここでは百嶋先生が把握されていたクシナダヒメの出自、つまり、父、金山彦と母、埴安姫との間に生れ事が推定できるもの、また、その権威=秦の始皇帝と姻戚関係を結んだ一族のシンボルとしての紋章が残されている事、旧稲田村であった事…などをお知らせするだけとし、後はご自分でお考え頂きたいと思います(この神紋はクシナダヒメの娘の鴨玉依姫の神紋なのです)。
今回のキー・ワードは、金山彦と埴安姫を祀る摂社があり、極秘中の極秘のモーセの十字剣神紋があり、付近に稲田地名が存在している事、さらには、その先にもアイラツヒメを祀る神社吾平神社があること、何よりも、この神社には極秘の伝承が残されていた様で、百嶋先生も、直接、先々代辺りの宮司からお話を聴かれていたのだと思います。
戦前の宰相清浦 奎吾や松野鶴平を生み出し、その後も松野頼三、松野頼久を輩出する山鹿~菊池に掛けての一帯は、神代から何らかの力が送り込まれているのではないでしょうか?
では、先に百嶋最終神代系譜をご覧いただきましょう。
百嶋最終神代系譜(部分)
さて、金山彦の娘(腹違い)で、本当の神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)のお妃であるアイラツ姫(後の名は蒲池姫)も、この一帯にいたことが想像できるのです。
勿論、現在横行している「阿蘇神話」では、速瓶玉命(阿蘇国造)の妃の蒲智比咩命(カマチヒメ)=郡浦神社の主祭神としています。
この奥に相良(アイラ)観音がありますが、この地も明治の吾平(アイラ)村なのです。
これらについては、久留米地名研究会のHPから「吾平」や「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)128~130、そして、「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)082 神武天皇の正妃アイラツヒメ(蒲池姫)を祀る神社 “郡浦神社(熊本県宇城市三角町)”をお読みください。
なお、この「十字剣」神紋は、現在でも福岡市内の数ケ所に残されていますが、東の方の某(N)神社の奥深くにも隠されています。
これこそが、金山彦が秦の始皇帝と姻戚関係を持った証拠であり、各所でひた隠しにされているものです。
神社庁もこの事実は把握していたはずですが、ひた隠しにして教育を疎かにしてしまえば、いつの間にか嘘がまかり通り、それが権威者といった振る舞いに変わり、本当の話をすればあしらわれてしまう事になるのです。
否定される方否定されて構いませんが、そうであれば、何故、この神社にはこの十字剣神紋があるのかを説明して頂きたいと思うものです。
この一帯には鎌倉期に宇佐神宮の神威が広がり、天皇などでは全くない贈)応神が幅を利かせ八幡神が覆い被さっています。当然にも、金山彦、埴安姫は境内摂社に秘かに祀られています。
まあ、大体に於いて正面に出ている大社、縁起式内社の神様は本来の神様でも格式の高い神様でも無い事が大半なのです。
この神社の宮司家にしても本当は嫌々受け容れ、面従腹背のうちに秘かに本当の神様を残そうとされている事と思うものです。
皆さんも本当の神社にお賽銭を振る舞われて、下剋上で伸上った成り上がり者の神様(応神など)を無視して頂く様にして頂きたいものです。
さて、皆さんはどのようにお考えになるでしょうか?
まさか、前述の3K宮司などの入智慧などではないでしょうが、勿論、blogの公開に伴う影響が反映された可能性が十分にある事から、皆さんにもお考え頂いているのであって、判断は皆さんにお任せしたいと思います。
この事は、多くの神社の祭神が過去何度となく多くの神社で入れ替えられ、加えられ、隠され続けて来た事を同時に示しているのです。
中には貴重な文化財を妙な話で見えなくしてしまうとはとんでもない…と考えられる方もおられるかも知れません。しかし、それは物事の表面だけしか見ていない様に思えます。
勿論、当方としても多少惜しい感じはするのですが、仮に誤りであっても、解析し記録に留め後世に引き継ぐ事ができなければ貴重な文化財などと言ってはみても、間違った歴史、解釈が伝えられる値打ちは全くないのであって、逆に誤りであれば、本来、自ら正しい解説を行い、広く公開する責務を持っておられるはずなのです。
ましてや、とんでもない見当違いの話をしているのであれば、笑い飛ばして放置していれば良いだけの事であり、もし、撤去されたのであれば、それは、逆に琴線に触れた、若しくは真相に迫ったとしか考えられない訳で、当方の探究の方法とその結果が正しかったことを証明している様に見えるのです。
この点が、当たり障りのない前述の大道芸人か道化師めいた猿田彦サンゴ礁起源説などは人畜無害で、浅薄な内容の間は気に留められる事は一切ないのです。
この点が、邪馬台国佐渡島説とか八丈島説とか四国山上剣山説のような荒唐無稽な話は町興し村興し宜しく、行政や学芸員もバック・アップするのですが、それは最初から人畜無害であって、学会通説も目くじらを立てないからなのであって、「九州王朝論」などといった真実に近接するものからはそそくさと撤退されるのはそれが真実に近づく可能性があるからなのです。
これで、福岡県旧瀬高町の某神社に続く二つ目の事例になるのですが、もしこれが単独の判断ではなく、神社庁とか行政筋からの指示orアドバイス…であったとしたら、文化行政とか神社一般の在り方と言ったものの深層が見えた思いがするところです。
最早、現在も既に戦前の国体明徴運動下の状況と同様と言うべき文化的閉塞状況にあることは間違いが無く、自らのグループ全体を含む、百嶋神社考古学に携わる15人に近い研究者の研究内容の保全と継承とバック・アップ体制の整備のために心しておく必要があると思うものです。
大道芸人同様の行政に擦り寄り売り込もうとするさもしい方ならばいざ知らず、少しでも真相に近づこうとされる方は、今後とも精神性を強固に探究し続ける事を心がけなければならないと、改めて再認識させられたのでした。
今回の小稿は、某神社の境内摂社の祭神が書かれた額が無くなっていたという情報が、熊本神代史研究会(仮称)のあるトレッキング・メンバーから齎された事から書いたものですが、まだ確認をしていないため何とも言えません。しかし、ありえそうな話ではあるため、以前の神功皇后の神像が隠された事件がダブル・イメージとして蘇ったのでしたが、そのような事をする必要はないはずであり、何時しか忘れ去られてしまう事を待てば良いだけの事のはずです。情報が誤りであった事も考えているところです。