428 富士山浅間神社周辺の神社初参拝 ① 河口浅間神社 “ニニギは祀られているのか?”
20161212
太宰府地名研究会 古川 清久
北関東の神社調査を終え、山梨県の勝沼を拠点に甲府盆地周辺の神社を見て回っていましたが、大学以来の親友のT氏(某王手自動車メーカーの子会社J社の少数派労働組合の委員長で数十年に亘って地労委、裁判闘争を続けた神奈川県の金属労協では知られたワレサ=ヴアエンサのような闘士で、学生時代は九州の某国立大学の全学闘争員会:全共闘ではない の委員長、筆者が書記長を分けた間柄でした)=文字通りの炭鉱労働者の息子に呼ばれ、彼の持つ山中湖に近い安手の別荘に向かいました。
以降、周辺で10社ほどの神社を見て回ったのですが、そのうちの一部をご紹介したいと思います。
夕闇が近づき始める頃、訪れたのは式内社(名神大社)論社で河口湖村の通称河口浅間(アサマ)神社でした。
良く知られるように、浅間大神 (アサマ大神)=木花開耶姫命(コノハナノサクヤヒメ)を祀る神社ですが、良く知られるニニギの尊のお妃としての姿は全くありません。
百嶋神社考古学のフォロアーならばご存じだと思いますが、高木大神の息子のニニギと速い段階で別れたコノハナノサクヤヒメは豊玉彦と共に鹿児島県の旧溝辺町(現湧水町)に移動し(前玉神社あり)、最終的には埼玉県行田市の埼玉古墳群の正面、前玉(サキタマ)神社の主神となっているのです。
祭神は浅間大神 (アサマオオカミ)木花開耶姫命(コノハナノサクヤヒメミコト)を指すとする。
社記によれば、天津彦彦火瓊瓊杵尊(木花開耶姫命の夫神)大山祇神(木花開耶姫命の父神)の両神を相殿に祀るという伝えもあるようですが、ニニギが祀られていないとする方が正しいと考えています。
参拝殿に置かれた境内摂社の一覧 合祀社由緒
何度も述べてきた事ですが、コノハナノサクヤはトルコ系匈奴と考えられる大山祗命の娘で、大国主命の妹にあたります。
筆頭の倉稲魂命=伊勢の外宮様=豊受大神が若宮稲荷という表現になっている意味は分かりませんが、面白いのは、高木大神を配慮したのか、別れたはずのニニギの姉に当たる栲幡千千姫命が白滝大神社として祀られている事です。
上下山神社として大山祗命が祀られているのは良いとして、スサノウ、ニギハヤヒ、ウガヤフキアエズ、ミズハノメ、大国主、少彦名命、カグツチノミコトと強面の神様が並んでおられます。
個人的に興味を持ったのは、火具土命が愛神社とされていることです。
多分、火の古語と言うより、古代語であるアヒ=アイが愛と表記されているのだろうと思います。
とここまで書いて、後で間違いに気づきました。読み落としていただけで、ただの愛宕神社で良いので
す。
初見の神社を云々すると見当違いのとんでもない間違いをしそうですので、その他の浅間神社を見せて頂ききたいと思います。