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433 勝沼にも高良神社があった “山梨市の大井俣窪八幡神社”

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433 勝沼にも高良神社があった “山梨市の大井俣窪八幡神社”

ひぼろぎ逍遥 ひぼろぎ逍遥(跡宮)共通掲載

20161209

太宰府地名研究会(神社考古学研究班)古川 清久


 山梨県甲州市勝沼の隣に山梨市があります。

 三階松、門光の神紋を打つ勝沼のぶどう寺大善寺からも直ぐ行けるところですが、大井俣窪八幡神社があります。

道すがら、多少、気になって参拝させて頂いたのですが、愕くことに、高良神社と若宮神社が立派な社殿の摂社として鎮座していたのでした。まさに犬狗も歩けば棒に当たるです。

 フィールド・ワークも馬鹿にならないと実感したのですが、このような幸遇はめったなにないものです。

 しかも、ひぼろぎ逍遥 416 那須与一の那須神社に高良神社を発見した! 北関東への神社調査 ①

でお知らせしたような小さな境内社ではなく、堂々たる摂社の様であり感動をさえ覚えました。

 どう考えても、この甲州まで九州王朝の氏族が進出しており、その痕跡が残されている事が見えて来たのでした。


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はじめに目に飛び込んで来たのは浮島状の社だったことから、直ぐに市杵島姫だと分かりましたが、どうやら、現在の宇佐神宮の中殿=第二殿の比売大神こと宗像三女神がごっそり移され末社扱いされているようなのです。

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当然にも、祭神の入れ替えが行われた事が一目で分かります。


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貞観元年(859)に宇佐神宮を勧請したとありますが、宇佐神宮が現在の一社三殿三神として神功皇后が加えられた時期に相当し、それまでは、高良神社、若宮神社が主で、背後の末社が鎮座していたのではないかと思うのです。

まず間違いなく比売大神こと宗像三女神は宇佐神宮勧請時点で持ち込まれたものでしょう。

では、本殿を御覧いただきましょう。


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縁起に依れば どうやら仲哀天皇と比売大神(宗像三神)が入れ替えられたように見えます

御覧のとおり、北殿とされる仲哀天皇が宗像三女神を追い出したようです。

摂社若宮八幡神社は寛治7年(1094)武田信玄の祖新羅三郎が勧請したと言う話は驚きです。

武田信玄のルーツが、何故、九州王朝の最後の天皇である仁徳を別に祀ったかは謎です(これは後で分かります)。


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堂々たる摂社ですが、間違いなく若宮神社と書かれています


驚いたのは向かって左端に置かれた高良神社の存在でした。

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 一般的に本州に入ると高良玉垂命とは武内宿禰のことだとされていますし、そう強弁する輩にも良く遭遇しますが、こちらでは、正しくも明確に分離されています。

そして、神殿背後こそ、本当に偉い神様がおられるのですが、神殿裏にはさらに多くの神々が…


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本殿背後の境内社 北野天満宮 道祖大神 久住大神 大宮神社 山王神社 八釼大神 白山大神 松尾大神


 まず、山梨県にも古田武彦九州王朝論に触れた方は少なからずおられると思うのですが、まずは、こういった神社も考えて頂きたいと思います。

 我々の目からは、九州王朝の天皇(実は藤原により第10代とされた開化)と、その子であり応神天皇の子などととんでもない濡れ衣を被せられた九州王朝最後の天皇(仁徳)が揃って大切に祀られているのです。

 恐らく、神社庁の最高位の特急神官クラスはこれらの背景も全て知っているはずなのです。

 神社庁が知らないとしても宮内庁は知っているはずなのです。

 九州王朝論を馬鹿にする薄汚い利権まみれの通説派の学者から学芸員、考古学協○といった間の抜けた人々も少しは自分の頭で物事を考える事をしないとそのうち大恥をかく事になるのではないでしょうか?


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