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435 山梨県韮崎市にも若宮神社があった

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435 山梨県韮崎市にも若宮神社があった

       20161222

太宰府地名研究会 古川 清久


武田信玄で知られる甲府盆地の北西域に韮崎市があります。

甲斐武田氏の拡大期に造られたとされるのが新府(シンプ)城ですが、別名、山梨県韮崎市中田町に置かれた韮崎城です。

山梨県のフィールド・ワークを続けていると、韮崎市の中心部に若宮八幡宮があることに気付きました。

 九州から西日本の神社を見ていると、高良玉垂命と若宮とされる仁徳天皇(大鷦鷯命オオササギノミコト)とがセットで祀られている祭祀形態に数多く遭遇します。

 その祭祀形態が ひぼろぎ逍遥 433 勝沼にも高良神社があった“山梨市の大井俣窪八幡神社” でお知らせした通り、甲府盆地の東の山梨市で見出せたのですが、今度は西の韮崎市でも発見できたのではないかと思ったのでした。


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同社の縁起が読めないため山梨県神社庁から拾って見ますと、祭神は大鷦鷯命で間違いないようです。

 

若宮八幡宮 御祭神:大鷦鷯命


韮崎市(旧河原部村)の産神で、天正十三(一五八五)年の棟札(韮崎市指定文化財)によると仁和年間(八八五~八八九)の創建と伝へられ、もとは七里岩の上にあったが天正十一年七月二十日暴風雨のため山崩れがあり、社殿は悉く倒壊したので、現在地を選び天正十三年十月棟上げ再建されたことが記されてゐる。この頃は武田家が亡び徳川家が入国し、武田家の例にならって社領の安堵はなされたものの、国内はまだ混沌としてゐたので再建がおくれたといはれる。その後寛文四年、貞享三年、天文二年、文化十四年、明治四年と社殿の新改築がなされ、舞殿は元禄八年再興されてゐるが、現在の本殿は明治四十一年、拝殿は昭和十二年、神楽殿は昭和五十六年の再建である。大祭は七月三十・三十一両日にわたって行はれるが「かはらべさんのていねっこぐり」といって正面石鳥居にかけた太い茅の輪をくぐる夏越の祓ひ神事は夜神楽、露店の灯りとともに夏祭りの風景となってゐる。

 なほ、末社稲荷社は本町に一橋陣屋があった際の鎮守神で宝暦五年仁木代官の時武州王子から勧請されたもので、後寛政六年遠州相良へ領地替となったため神社に移し祀ったものである。また社前の鶴亀の松は韮崎市天然記念物に指定されてゐる。


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高良玉垂命を祀る高良神社、玉垂宮が併祀される事が多い事から、ここでは祭神が隠されているか、境外に別社とされているのではないかとネット検索を続けましたが発見できませんでした。

 百嶋神社考古学の立場からは、神武を筆頭に所謂、欠史8代とされる懿徳、孝霊、孝元、開化、飛んで仁徳が九州王朝系の最後の天皇(若宮八幡)とします。

 それ以外の、綏靖、安寧、孝安、孝昭は藤原が自らのウイングを広げるために格上げして挿入したもので、ここからが本物の天皇とされる贈)崇神こそ高良玉垂命の臣下でしかないでっち上げの天皇とします。

 まさに、その最後の天皇が仁徳天皇で、恐らく、高良玉垂命(第9代開化天皇)とその長子(母神は神功皇后)仁徳天皇を奉祭する氏族が、逃亡か進出かは不明ですが、8世紀前後に、この韮崎一帯に住み着いたのではないかと思うものです。高良玉垂命の長子である斯礼賀志命こそが仁徳と考えています。


〔高良玉垂命と九人の皇子(九躰皇子)〕

高良玉垂命(初代)――――― 斯礼賀志命(しれかし)→ 隈氏(大善寺玉垂宮神職)へ続く

物部保連(やすつら)  ―― 朝日豊盛命(あさひとよもり) →草壁(稲員)氏へ続く

            ―― 暮日豊盛命(ゆうひとよもり)

            ―― 渕志命(ふちし)

            ―― 渓上命(たにがみ)

            ―― 那男美命(なをみ)

            ―― 坂本命(さかもと)

            ―― 安志奇命(あしき)

            ―― 安楽應寳秘命(あらをほひめ)

              ※読みは「草壁氏系図(松延本)」によった。

九州王朝の築後遷宮 玉垂命と九州王朝の都(『新・古代学』古田武彦とともに 第4集1999年新泉社)  

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