スポット115(前) 山に木がある方が安全だと思い込んでいる人に対して! 本当に豪雨が原因なのか?
20170719
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
針葉樹、ここでは杉、桧を考えています。
勿論、針葉樹はこの二つだけではありませんが、松は炭鉱の坑木や鉄道の枕木(これは栗が多かったですかね)などの需要が消えており、クロマツなど防風林として以外は、人工林は事実上存在していません。
高野槇は古代には棺桶に使われましたが、大木の槇はもはや探さなければありません。
栂にしても絶対量は激減したままです。他には日本固有種のあすなろもありますが、主要には杉、桧であることが分かります。
今回の九州北部豪雨災害に関して極めて目立った特徴は膨大な数の流木と称せられるものの存在でした。
まず、「流木」と表現されている事自体に責任の所在と責任そのものを薄めようとする意図を感じるのですが(誰の物でもない漂流物…)、これらの大半が杉であることから、本来は全て所有者のある造林地の一部崩壊によって押し流されたというより崩れ落ちた伐期を越えた成木(伐期は通常は35年)と、切り倒されたものの売れないために斜面に放置されている間伐材と根っこだけも一部には含まれているはずです。
これらが破壊的な力により人も家も工場も田畑も全てを押し流したのですから、そもそも山林の所有者の責任が放置されていること自体が異常と言わざるを得ないでしょう。
逆に言えば、この問題を不問に伏すために、殊更、記録的大豪雨による災害であると強調している様にも思えませんか?
九州北半部で雨の地域は動くのですが、被害が集中した朝倉~日田は5~14日を中心とする地域での大雨となったのでした。実際のところ、いつどのように災害が広がったかは簡単には把握できません。必ずしも最大の大雨が降った時期と災害が発生した時期とが一致しているとも言えないようです。
バラつきが大きいのですが、「平成29年7月九州北部豪雨」で検索すると以下のようになります。
5日午後には、二方向から流れ込んだ湿った空気が福岡県朝倉市付近で合流し線状降水帯が発生、同じ場所で長時間猛烈な雨が降り続いた[6]。福岡県朝倉市、うきは市、久留米市、東峰村、佐賀県鳥栖市、大分県日田市などで1時間に100mmを超える雨量がレーダー観測から解析された[7]。特に、朝倉市付近では3時間で約400mm、12時間で約900mmの雨量が解析され[8]、気象庁以外が管轄する雨量計では、朝倉市寺内で5日15時20分までの1時間降水量169mmを観測。 また朝倉市黒川の雨量計では5日20時50分までの9時間降水量778mmを観測するなど、その降水強度は激烈を極めた。
ウィキペディア(20170721 05:31)
以下は、
による、平成24年7月九州北部豪雨 平成24年(2012年)7月11日~7月14日に関する昭和29年7月の九州北部豪雨の雨量の公表値です。
13日は佐賀県、福岡県を中心に、14日は福岡県、大分県を中心に大雨となった。福岡県八女市黒木(クロギ)では、14日11時30分までの24 時間降水量が486.0ミリ(128.4%)となり、観測開始(1976年)以来1位の記録となった。
この4日間の総降水量は、福岡県筑後地方、熊本県阿蘇地方、大分県西部で500ミリを超えた観測所が計5地点あり、筑後地方では7月の月平年値の150%以上となった観測所が2地点あった。
念のためにウィキペディアでも確認しておきましょう。
72時間雨量熊本県阿蘇市阿蘇乙姫:813.5ミリ(7月14日16時20分まで)福岡県八女市黒木:646.5ミリ(7月14日11時40分まで)福岡県久留米市耳納山:585.0ミリ(7月14日14時10分まで) 以上を含む全7地点で観測史上1位の値を更新した。大分県日田市椿ヶ鼻:642.5ミリ(7月14日16時20分まで)
20170719 12:03
情報速報ドットコムでも気象庁からのデータにより以下のように伝えていました。
記録的な大豪雨となった九州北部ですが、7月7日も大雨が予想されています。気象庁によると、7日は九州全体が雨模様となる見通しで、福岡県や大分県ではかなり強い大雨になる可能性が高いとのことです。
これまでの48時間に降った雨の量は、福岡県朝倉市で557ミリ、大分県日田市で376.5ミリに達しています。地盤が緩んでいる場所も多く、追加の大雨によって土砂崩れや洪水の危険性が高まると言えるでしょう。
気象庁は特別警報に関しては6日昼に解除を発表しましたが、その後も九州の広い範囲で警報を継続しています。多い場所では200ミリ以上の大雨が予想されていることから、改めて備えを強化する必要がありそうです。
「線上降水帯」といった新造語までを駆使してとんでもない雨が降ったような印象を与え、さらに実態を大きく見せるために48時間降水量という普段使わない基準で557㎜の大雨が降ったようにと見せているのです。
落ち着いて、24時間雨量として見れば日量は280㎜という通常ありうる程度の普通の大雨だった事が確認できると思います。
記録にない大雨、史上類を見ない豪雨、記録的雨量…と連発されましたが、マスコミは低下し続ける視聴率を上げるため嬉々として過剰報道を続けていた事はご存じの通りです。
では、本当にそれほどの記録的な豪雨だったのでしょうか?
当方の世代としては、まず、大量の地滑りで299人が亡くなった長崎の豪雨災害が頭に浮かびますが、この時には脚色された48時間などではなく24時間で527㎜の降水量が記録されているのです。
長崎大水害
時間雨量では長与町役場に設置された雨量計で23日20時までの1時間に187mmと、1時間降水量の日本記録となる値を観測。長浦岳の雨量計(アメダス)では19時までの1時間に153mm、同8時までに118mmの雨量を観測した。また、外海町役場に設置された雨量計で23日20時までの2時間に286mmと、2時間降水量の日本記録を記録している。降り始めからの24時間雨量は長崎海洋気象台で527mmを観測した。
翌24日は、梅雨前線が南下、島原半島や熊本県を中心に大雨となり、熊本市で日降水量394.5mmを観測。25日は九州南部や紀伊半島南部で100mmを超える大雨となった。
ウィキペディア(20170719 12:39)
また、私が産れた年ですが、同じく長崎県で起こった諫早大水害では、さらに凄い雨が降っているのです。実に24時間降水量が1109mmなのです。
もうお分かりでしょう。今回の朝倉~日田で起こった洪水とは、普通(再び今年中にも、毎年でも起きうる)の大雨だったのです。
実はこの方が深刻な事態であり、今後、いくら道路や河川や橋を復旧しょうが、涙ながらの絶望的な努力で住宅や工場やハウスを再建しようが、数年を待たずして普通の大雨によって再び大洪水に見舞われる可能性があるのです。
今の国民経済に土建業者や産廃業者(彼らは願ってもない特需であり、ビジネス・チャンスなのですから)でもない限り、このような酷な犠牲から立ち上がれるとは思えないのです。
諫早豪雨
諫早豪雨(いさはやごうう)は、1957年7月25日から7月28日にかけて長崎県の諫早市を中心とした地域に発生した集中豪雨およびその影響による災害のこと。
諫早豪雨は気象庁が正式に命名したわけではないが、広く使われている呼称である。地元自治体やマスコミなどは諫早大水害(いさはやだいすいがい)の呼称も用いている。
以下の記述では、市町村合併によりすでに消滅している自治体もあるが、原則として豪雨発生当時の自治体名で示す。
南高来郡瑞穂村西郷では24時間降水量が1109mmという驚異的な降水量を記録し、6時間降水量と12時間降水量では日本歴代最高記録を記録している。
ついでに確認しておきますが、40人もの犠牲が出た広島の豪雨災害(これは崖も崖地の広葉樹林地の一部が崩れたのですが)も、「2014(平成26)年8月20日の午前1時から4時までの3時間、広島市安佐南区と安佐北区の局所的な範囲で、同じ場所で積乱雲が次々と発生する“バックビルディング現象”により、過去観測史上最大の300ミリ近い猛烈な雨が降った。」
3時間降水量は300㎜以下、つまり時間雨量100㎜で普通の雨なのです。
さて、重要なのはこれからです。記録的大雨と言う責任逃れの見え透いたテクニックは直ぐに化けの皮が剥がれましたが、問題は危険極まりない売れない大木が急傾斜地に放置され、今後とも崩れ落ちる順番待ちの状態になっているという事実が認識できるかどうかなのです。
正しい認識、情勢の把握なくしては、正しい対策も立てられないはずなのです。
勿論、林野庁が数十年の永きに亘って放置したサボタージュですから簡単には立てられないでしょうが。
まず、杉の一般的な伐期は通常35~40年(桧は40~45年)とされています。
しかし、阪神大震災(1995年)前後から顕著になるのですが、和風住宅の新築需要に変化が生じ、米松を材料としたプレハブ住宅に中心が移り、杉、桧の需要が急激に落ち込みます。
勿論、売国奴小泉竹中による所得の半減も原因の一部となっていることは言うまでもありません。
このため間伐材どころか、立派な木材が全く売れないため、膨大な数の伐期を越えた大量の成木が山に滞留し始める事になったのでした。
このあたりの事情を良く説明するのが「長伐期施業」なる事実上の責任放棄、棚上げ政策だったのです。
以下は石川県の林業試験場によるパンフレットですが、ネット上にも公開されており、全国的にも同様の方針が取られていることから実態を素早く理解できるでしょう。
非常に分かり易いので興味をお持ちの方は検索の上お読み頂きたいと思います。
このままでは針葉樹が売れないという事実を棚上げにし、60年生の大木に育て上げればいずれ樹価は上がり森も守れます…などと拡大造林の付け回しに二度目の大嘘をつき、開き直って高らかに歌い上げたのがこの恥知らずな政策だったのです(もはやこれも超え始め、そのうち80年でも良いと追認するのでしょうか)。
こうして、拡大造林木政策に踊らされ急増された売れない杉が大量に放置された結果、今や、急傾斜地に危険極まりない大重量の杉がギリギリで乗っかっているという異常な状態が出現したのでした。
まさに、国家としても農水省としても、林野庁から末端の県林業課から森林組合に至るまでのバカの4乗5乗が、多くの犠牲と悲劇を産みだしたとしか言いようがありません。
これが国策であり、国と国土と国民と国民経済を守る施策だと言うのですから、ほとんどお笑い草としか言いようがありません。
良い事だけしか書いていない「杉のきた道―日本人の暮しを支えて」(1976年) (中公新書)を読んだ方達だからでしょうが、今やこの本も悪魔の囁きのようなものに思えてしかたがありません。
恐らくこれらの杉も、今は亡き祖父の代が自らの子孫のためにと汗水流して植えたものだったはずですが、まさか、無駄になるどころか、他人の命や財産を押し流し、他人の人生も台無しにするものになるなどとは思いもしなかった事でしょう。
まず、60年生の杉を搬出する事も大変な作業である上に(もっとも、林業家の平野虎丸氏によれば、林業も機械化が進み女性でも可能になったとは言われていますが…)、仮に採算を度外視して市場に出したとしても、実際には何本も売れるはずもなく、たまに大寺院や大神社で僅かに使われるのが関の山といった事にしかならないのです。
そもそも、檀家から氏子組織の希薄化、消失によって、現在の寺院や神社が十年後、二十年後にも木造の建築で造営ができるとはとても考えられる状態ではないのです。
恐らくコストの問題から昔の公衆便所のような安っぽいコンクリート製の寺社ばかりになってゆき杉や桧は置いてきぼりになるでしょう。
こうして、事実上の政策放棄とも言える「長伐期施業」という悪魔の国策が継続されることによって、今後も林野庁による隠れた殺人、国民への加害行為、良くても未必の故意による殺人が継続されることになったのです。
この責任逃れの棚上げ政策を指揮した連中は、事実上の産廃事業でしかないバイオマス発電などにいち早く逃げ込み法外な報酬を手にしている事でしょう。
トランスフォーマーなみの林業用ロボット
どれだけ危険であるかは、事実としての森林崩壊によって既に明らかになっていますが、今後も証明され続けるでしょうが、もう少し詳しく考えて見ましょう。
広葉樹林地には広葉樹林地の傾斜が針葉樹林地には針葉樹林地の傾斜が自ずと形成される