スポット115(後) 山に木がある方が安全だと思い込んでいる人に対して! 本当に豪雨が原因なのか?
20170719
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
ほんの3~400年ほど前までは、水運の効いた一部の御用林や寺社領地の杣山以外人工的な針葉樹林地などと言ったものは存在していませんでした。
対して今のような人工林地というものは高々6~70年で急造されたものでしかなく、昔の里山は何十種類もの多様な広葉樹が生い茂り村々には豊かな山が広がっていたのです。
この千年~二千年を超えた照葉樹、広葉樹の森というものは、一部に都市近郊や産鉄地において恒常的な炭山としての利用はあったものの、30年もあれば再生する日本の天恵の風土に支えられ、切っても、切っても、しばらくすれば再生する安定した森だったのです。
結果、その樹勢と樹種と土壌(風化花崗岩、玄武岩質…)に風や雨による浸食の程度によって樹林地の土壌から下草の在り様や山の傾斜さえも自ずと決定されてきたのでした。
このため、元々、僅かしか存在しなかった杣山では、徹底した間伐、枝打ち、下草払い…が行われたとしても、広葉樹が卓越した普通の里山浸食の程度は、十分に高かったはずであり、多くの風雨にさらされ安定したその山特有の緩傾斜の地面が形成されていたはずなのです。
従って、山というものは広葉樹林地には広葉樹林地としての固有の傾斜が持たされているのであって、その広葉樹起源の樹林地に全く不自然な針葉樹を大量に植えれば、幼木からギリギリ通常の伐期までは持つとしても(これも極めて怪しげですが)、大重量の大木を支える力は全くないのであって、日々重量を増しながら崩れ落ちる順番を待っている状態が生じてしまう事になってしまうのです。
では、伐期を過ぎた針葉樹の問題を考えて見ましょう。正確な木材の体積である石(こく)を出す方法はあるのですが(1石は278,000cm3)、ここでは簡単な方法で考える事にします。
三角錐の体積(従って重量)は以下のようになります。
円錐では底面の半径をrとすると S=πr2 だから
になり、半径の二乗になります。
仮に35年生が60年生から70年生になり半径が1.5倍から倍になったとしましょう。
一応、樹高はそのままとすれば、2.25倍から4倍になることはどなたもお分かり頂けるでしょう。
この三倍近くに跳ね上がった危険極まりない大重量(1000㎏程度)の木が根も張らず、腐葉土もなく下草もなくただただ洗い流され続ける痩せた砂漠のような土壌にギリギリ乗っているのが現状の朝倉~日田に掛けての大面積の針葉樹林地であって、今後とも僅かな雨で崩れ続ける可能性を高め続けているのです。
このそら恐ろしい事実に対して林野庁は既に十分に気付いているはずです。
気付いているからこそ、記録にない大雨のせいにし、その場しのぎで、自らの責任追及から逃げおそうとしているように見えませんか?
そして、人生を狂わされた犠牲者に対して、ものを言わせぬ「頑張ろう朝倉~日田」コールが早々と始まっているのです。善意のボランティア活動をされる方への敬意は表しますが頭が悪いとしか思えません。
そう言えば、2012年7月二度に亘って起こされた日田の豪雨災害から粗方復旧が終わったのはつい先だっての事ではなかったでしょうか?
この崩壊を続ける人工林地の問題が解決しない限り、これと同じ現象が今後とも永久に続く事になると考えるのはそれほど突飛な話ではないと思うのですがいかがでしょうか?
ただでさえ動植物が消え根も張らず腐葉土も醸成せず、一方的に土壌と栄養を失い続ける人工林地にこの大重量となった大木が並んで乗っているだけの状態なのです。
お分かりでしょうか?広葉樹林ならば十分支えることができるはずの急傾斜地に、このただただ危険なだけの大木が、ちょっとでも触れば崩れ落ちる状態で放置されている状態が如何に危険極まりないものであるかという事を誰も言わず、ただただ大雨のせいにしたり、はたまた、崩れやすい真砂土(風化花崗岩)のせいにしてお茶を濁し、決して農水省が引き起こした大失敗を、誰一人として追求しようとしていないのです。
勿論、真実を追求すれば、明日から仕事が来なくなることから、本当の事は一切言わないのが学者の良心ならぬ用心なのです。このような連中を御用学者と言ってきたはずですが、最早、恥を知らない連中ばかりが幅を利かせているのです。
恐らく気象庁と林野庁は気脈を通じて今回の記録にない大豪雨キャンペーンを張っていると思われます。
そして、芸人と外人とオカマとハーフだけで安物番組を作り続け誰も見なくなった地上波ですが、ここぞとばかりに嬉々として災害報道に奔走しています。
災害となると視聴率が上がるため、少しでも減り続ける広告収入を繋ぎとめようと必死になっている事が透けて見えますが、この人工林の放置問題を取り上げない限り、凡そジャーナリズムなどと大言することなどできないでしょう。また、来年か再来年、更に拡大した災害報道を繰り返す事になることでしょう。
良く言われる話ですが一応確認のために
前述したとおり、自然林(こんなものは事実上存在しませんが)であれ二次林であれ、本来の植生に根ざした広葉樹の山というものは、長年月の間の台風や豪雨、暴風、山火事、地震など、想像できるありとあらゆる災禍を経験したことによって、その山体の傾斜さえも幾度もの大きな崩壊を経てそれなりに安定したものになっています。
広葉樹はオーバー・ハングの急峻な岩場の割れ目にさえも根を張り、垂直の壁にへばり付いても幹を支えます。
それに背丈も低く、樹体自体もしなやかであるために、風雨にも強く広く根を張ることによって水も土も保ってくれるのです。
これに対して、現実の針葉樹の森の地面は乾燥化しており、砂漠のような状態にあります。
この問題は都市部に住む方々には非常に分かりにくいと思いますので、過去何度も書いてきたことですが、多少の説明を加えたいと思います。
収益が見込めないため間伐も枝打ちもされず、このため陽が刺さず根を張るような下草は一切生えず、昼なお暗い針葉樹林の下には、一応、杉山は落下したほとんど腐らない杉の葉に覆われてはいますが、事実上は剝き出しの土壌を失った地面があるだけなのです。
このため一旦雨が降り出せば、残された土壌が一方的に流され続け、ほとんどが礫質の砂漠のような状態になっているのです。
本来、針葉樹はシベリアのタイガのような、それほど風も吹かない安定した高緯度高圧帯の平地から緩傾斜地帯で育つものなのです。
そもそも、このような樹種を日本のような急傾斜地に植えることが始めから誤りといえば誤りなのです。
一般的に、造林地は広葉樹の森を皆伐してスギ、ヒノキが植えられてきたのですが(短期皆伐方式)、その傾斜とは元々広葉樹の森であったことにより長年月の間に形成され安定したものになっているものであり、戦後に急造されたようなにわか仕立ての針葉樹林を造るのに適した傾斜ではないのです。
保水力を失った針葉樹林が一気に雨水を押し流しているだけでもそら恐ろしいのですが、根を張らず、豊かな腐葉土も形成しない針葉樹が傾斜地に存在している事がどれほど危険な事なのか、ようやく認識されたのが今回の九州北部豪雨災害だったと言えるでしょう。
決定的な転機は阪神大震災前後なのですが、この現象はそれ以前から徐々に始まっており、少子化と国民の所得の低下による住宅着工件数の半減に加えて、住宅のプレハブ化により輸入された米マツによるパネル工法が蔓延し、現実に、杉、桧を使う在来工法による和風建築が激減する二十~二五年より以前から起こっていたのです。
それが、都市の住宅が、ほぼ、鉄とコンクリートとガラスとプラスティックスで造られるマンションに移行していることと併せ考えれば、全国の杉、桧はその一部を除いて、三~四十年前ほど前から材価は劇的に低下し、ほぼ、売れなくなっていたと考えてまず間違いないでしょう。
このことから、七~八〇年代から間伐も枝打ちも行われないまま、放置されていたと考えられるのです。
こうして山の土壌は大雨のたびに流れ出し、事実上は石ころの砂漠の上に林が乗っているだけになっていたのです。
砂漠に保水力が無いのはあたりまえであり、山の乾燥化が驚くべき状態にあることは自明でしょう。
このように書くと造林の正当性を強弁する林野庁や林業関係者から反論が聞こえてきそうです。
しかし、この問題に対する直接的な説明という訳ではありませんし全く目立たないものでしたが、国も認めざるを得ない新聞記事がありましたので、古い事は承知ながらここで紹介しておこうと思います。
「保水力の調査自然林が優位」川辺川「緑のダム」構想がそれです。
「国交省の川辺川ダム計画(熊本県)の代替案『緑のダム』構想を検証するために、同省とダム反対派が共同で実施した林の保水力の調査で、川辺川上流の人工林の斜面を流れる水量が、自然林の約六倍であることが分かった。研究者は『自然林の保水力の優位性を裏付ける』と主張。同省は『雨量全体から見れば差は無視できる』としている。」(二〇〇四年一〇月二日付け朝日新聞)
記事には「緑のダム」構想とありますので、恐らく広島大学の中根周歩教授などが関与されていたものと思うのですが、林野庁としては認めたくはないが認めざるを得ない身内から証人が出てきたような思いでしょう。
私の目からは、現在の林野行政というものは、もはや国家のためでも、国土のためでも、山林所有者のためでもなく、林野行政担当者、事実上の公務員と言える森林組合職員、結果的に補助金を受ける林業者や砂防ダム、林道その他の建設業者のために存在しているように見えるのです。
少なくとも、"自分たちは森を育て国土を守る良い仕事をしているのだ"などといった、思い上がりとも錯覚とも言えぬ愚かで誤った認識だけはそろそろ払拭してもらいたいものです。
これがもし"林学なのだ"と言うのであれば大笑いとしか言いようがありません。
彼らを全て杉林に吊るし首にしたいところですが、彼らには敗戦後まで残されていた豊かな広葉樹の山を復元する義務が残っているのです(もちろん、針葉樹林に火を掛けて放置した方が、よほど早く確実なので、吊るし首にしても一向に構わないのですが…)。
このままにしてもらっては、2005年9月に宮崎で発生したような大規模な森林崩壊(土砂崩れというにはあまりにも規模が大き過ぎる、百万本の杉、桧が倒れた宮崎市田野の管理された国県有の巨大造林地)が、今後も頻繁に起こり続けることになるのです。
今となっては、所詮、大半を輸入に頼るのであったのならば人工林など造らずにいた方がどれ程良かったかと思うのですが、原因は、大半の都市が焦土と変わった本土空襲による木造住宅の消失でした。
この本来安定していた山の利用が一変させたのが大東亜戦前後の木材需要の逼迫であり、戦後多くの山が禿山になったとの話もあったのですが、今となっては確認の方法がありません。
その後、都市化の進展に伴う都市住民の増大による燃料の需要の増大によって、多くの広葉樹林としての里山が切られ木炭が生産されたのですが、エネルギー転換によって、練炭、豆炭、石炭などの家庭での利用が進み、プロパン・ガス、都市ガス、灯油が家庭用燃料の主力になって行くと、最後の炭山が切り払われ針葉樹が金になるとの一時的なブームが起こりそれに便乗した拡大造林政策が大手を振って跋扈し始めたのでした。
もし、国内の需要を国内で満たすのであれば兼松あたりから始まったフィリピンからの南洋材の輸入はすべきではなかったし、外材の輸入に頼るのであればこれほどの針葉樹林地は必要なかったのでした。
このチグハグナ政策が惰性で放置されとうとうとんでもない災害が大規模に起こり始めたのです。
勿論、伝統的な和風建築や優雅な寺社建築を維持するためにも必要な木材は国産材で賄うべきであると考えていますが、大半がマンションと安物のプレハブに移行した現在の日本では再び江戸時代程度の杣山だけで十分な時代に入っていると思うのです。
そして、無駄な造林地は逐次処理し伝統的な里山に戻して行けば、紅葉も復活し、花粉症も消え、川には魚が戻り、洪水の頻度も劇的に下がる事でしょう。
害悪しか引き起こさない現在の林野行政を清算し、全てを解雇せよと言うのが酷であれば、国土再生庁とか森林復興庁とでも名を変え、危険な針葉樹を皆伐し豊かな広葉樹の森を造るために放置すれば良いのです(広葉樹植林より放置された再生林の方が余程効率的なのです)。
まあ、自らの失敗は決して認めないでしょうから、今後このような災害が頻発し国民の大反発が林野庁に向けられない限り彼らは改めない事は分かっています(現時点でも林野庁に石を投げる人が出て来ても一向におかしくないのですが)。
しかし、かすかな期待があります。
それは山仕事をやれる若者が全く供給されないと言う現実が解決する事になりそうなのです。
なぜなら、林業が成り立たない上に、そのうち担い手そのものが消え失せるからです。
こうして新規植林が縮小から終了し、人工林地は崩壊し続け、洪水、土砂崩れが頻発し、復旧すれども復旧すれども災害が頻発し、ようやく過去の林業が馬鹿げたものだったかが明らかになり、本来の広葉樹林の再生が始まるだろうと思うのです。これが、日本の森の悲しい現実なのです。