452 三味線十万丁
20170212
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
桂米朝全集のどの噺だったかは覚えてないので不正確ではありますが、明治の初めには関西から阿波辺りまで三味線が十万丁もあったといった話をされています(どの噺だったかが分からないのですが、調べるには百題からの話を聴かなければならないのでここでは省略します)。多分、「軒づけ(カドヅケ)」だったような気がしています。
CD、レコードの無い時代の事、宴会、接待は商家の営業の一環であり必要な時にはいつでも音曲を用意できるようにと家人に三味線、鐘、太鼓を打てる者を置く必要もあったのでした。
このため、商業の中心地であった大阪では、読み書きそろばんにとどまらず、商家と言わず家主と言わず、一般の職人の子弟でさえも習い事として三味線を習わせれば、それだけで大店に勤められる可能性を高めると言った習わしがあったようなのです。
勿論、浄瑠璃、長唄、常磐津、清元、義太夫、新内節、小唄、端唄、座敷歌…(今さらながら魅力的ですね)と言ったものが大流行していたのですから、三味線が大量に造られたのは当然ですし、町屋の辻ごとに一人ぐらいは三味線を弾ける人がいて、ちょっと歩けば、方々にお三味線の師匠(オッシサン)が居てオシャミの音が聞えていたことになるのです。
今や、三味線を弾ける方を探す事はかなり難しいことはどなたもお分かり頂けるでしょう。
私も、今、現在、三味線を弾ける人を教えてくれと言われてもとっさに浮かぶのはお二人しかおられません。
しかし、中学の頃までは、隣に住まれていた小学校の女性教師(隣の家のおばさんですが)が三味線をお持ちで、時たまその音が聞えていた記憶を持っており、まだまだ、四、五十年前まではそういった名残が感じられている時代だったのです。
してみると、明治から昭和の初めの頃までの三味線、十万丁とは驚くべき数字であった事が理解できて来るのです。
落語の出囃子、お囃子に三味線、太鼓がある事は当然ですが、落語というか寄席の芸能の一部としても、数少ない音曲師という限られた領域が存在(例えば、うめ吉さん)しており、その辺りから米朝師匠も、その十万丁という数字を三味線職人組合とか問屋筋(そんなものがあるかは不明ですが)などからお聴きになっていたのだと思うのです。
銭儲けこそが最重要の商都大阪において、読み書き算盤ではなくこういった芸事に多くの人々が参加し、街角のあちらこちらで、トテチン、チリトテチン、ベンベン…とやっていた事を思えば、A○B4○と言った他愛もないものに狂奔する馬鹿げた世相には怒りから情けなさを禁じ得ないと言ったところです。
とりあえず三味線、小唄のお師匠さんからのお稽古事といったものから話を始めたのですが、ここ五十年ほどで、ピアノ、ヴァイオリン、社交ダンス…はともかく、琴、日本舞踊、お茶、お花、習字、算盤、…といった習い事、お稽古事といったものが消失し始めている事に気付くのです。
ただ、役人の中では武家の作法として静かに継続している謡(ウタイ)=謡曲だけはそれなりに続いているのは昇格と天下りのためでしょうか?
そう思って、これらの現象がいつ頃から始まっているかを考えはじめました。
知り合いの書道家から聴いた話によると、“二十年前までは書道教室の生徒数百人を数え、親父と二人でやっていれば無理をしなくても左うちわで暮らせた“と言っておられる事を聴くと、どうやら、こういった必ずしも実利的ではないお稽古事、習い事産業が、ここ二十年で劇的に縮小しているのではないかという事に気付いたのでした。
原因は、中曽根による国鉄民営化(1987年)~バブル崩壊(1995年)、日本の国富を米国に売り飛ばした売国奴小○、竹○改革以外には無さそうです。
この頃から日本人の生活は急速に苦しくなり、若者にはまともな職がなく、薄汚い土建屋、産廃業者といった金持ちのドラ息子ドラ娘だけが裏口入学し、大手企業にコネだけで裏門就職してベンツを乗り回し、貧乏ながらも真面目に勉強した国立の理工系の優秀な学生がパチンコ屋で働かなければならないはめになり、まともな家族が創れない事から結婚を避け、一気に少子化、少産化、無婚化に走ることになったのでした。
結局、中曽根~小泉~安倍に至る歴代米国従属政権の中で日本に蓄積された膨大な富が色々な方法でユダヤ金融資本に吸い上げられ、貢がれ、その間に多くの国民が犠牲になり、優雅な習い事、お稽古事葉おろか最低限の教育への投資さえも削り尽くし、世界に冠たる独特の伝統文化から教育水準を維持する現代版寺子屋(公教育は壊滅していますので)としての学習塾などへの教育投資も絞りつくし必死で生きている国民経済、国民文化の衰退を図らずも発見した次第です。
こんなことを平気でやっている行政権力に対して、何の批判もなく尾を振って取り入ろうとするようなさもしい3K宮司のような方々に、古代史の真実とか九州王朝の探究と言ったものが凡そできるとは考えられないのですが、話が逸れてしまいますので削除も面倒ですので引き戻す事にしましょう。
では、少し古い記事ですが、ここで、日経ビジネスをお読み下さい。
「レジャー白書」が正確かどうかはともかく、如何に正確な調査を行うかは国家の任務ではないのであって、国民の富と国民の生活と国土を防衛する事のできない(する意志が全くない))分析は寂しいだけの事なのです。
静かなブームの裏で進む担い手の減少 誰が「和文化」守り、楽しむのか
上山 信一,山高 一雄,ハイ 明恵
神奈川県川崎市の公共施設、一般にも広く貸し出されているこの茶室に毎月1回のペースで集まってくる6人の女性たちがいる。彼女たちは名づけて「先生難民」だ。全員が、数年から10年以上「裏千家」でお茶をいそしんできた。ところが、昨年6月、自分たちの先生が高齢を理由に引退してしまった。次の師匠が見つからず、自主的にお茶会を催すことになった。
主催者の石塚晶子さんは、小学館が発行している和文化を中心としたライフスタイル月刊誌「和樂」の編集幹部でもある。「先生が引退しても次の先生が見つからず困っている難民が増えているようだ。運よく次の先生が見つかってもその人も高齢というケースも少なくない」という。「和」文化の象徴でもある茶道が象徴するのは、指導者の高齢化による担い手の減少だ。
このところのヒット商品では、一見「和」がブームである。緑茶や「和スイーツ」など日常生活の中でも和のテイストの商品が溢れる。ホテルなどでも和風の装いの部屋が人気を集める。「和」文化ブームは国内だけではない。米国ではスシや緑茶がブームだし、古い例ではアロハシャツがある。これはハワイ移民の日本人が日本の着物を子供用のシャツに仕立て直したことに由来する。
しかし、ブームになっている「和文化」は実はホンモノの「和文化」ではない。あくまで「和風」でしかない。華道、茶道、和菓子、琴、柔道、剣道、書道など日本の伝統文化は衰退の一途をたどっている。今回は「和文化」の産業モデルの再構築を考える。
書道や剣道は小中学校で習うのに、沈む「和」産業
「和文化」の全体を市場として捉えたデータは見当たらない。だが和文化関連のおけいこ事、趣味の市場の規模はわかる。例えば、茶華道は約1870億円、書道が約800億円、邦楽が約820億円である。(日本生産性本部『レジャー白書2006』)
参加人数は減少しつつある。例えば囲碁、将棋、武道、邦楽、書道、お茶、お花、おどりなどの参加人数は1998年から2006年の8年間におよそ20%も減少した。(同)