471 5000本のblogを書けるか
20170401
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
現在、ひぼろぎ逍遥は №.390まで、ひぼろぎ逍遥(跡宮)は №.310 これに加えてスポット+extra…と併せ800本近いblogを公開していますが、3月31日までに以下の470+380=850本(スポット外のストックもある)を書き上げ、年末まで150本ほどの公開準備ができています。
あれやこれやで、1000本近いblogを40ケ月ほどで書き上げたことになるようです。
実質的にこれほどのストックを維持する必要性はないのですが、半年ほどの余裕を持っていれば、落ち着いて考え、公開時点での再編集と併せ、何とかお読み頂けるものを提供できるのではないかと考えているところです。
振り返れば、1000本近いblogというのも驚きますが、現在、最低でも月間20本はオンエアしている訳ですから、年間240本、4年で1000本に近づくのは当然で、ひぼろぎ逍遥(跡宮)が後発のため、その分をスポット+extra…が埋める勘定になる訳です。
平均5pとしても5,000p、普通の本が250pと考えれば、単純計算でも20冊近い本に相当する文章を書いてきた事になる訳です。
実際、共著を併せれば、商業出版で二冊の本を出しているのですが、本を購入して読む人が激減している状況では神社に関する本を出そうと言う気持ちはありません。
それよりも、神社や古代史や地名研究と言ったジャンルで、何かにつけて当ブログや当方の百嶋神社考古学の影響を受けたメンバーによる真実に数多く接触される機会が拡大する事の方を重視しています。
まあ、4年で約1000本というペースは、残りの人生で最大16年書いたとして、5000本、死ぬまでに約100冊分の文章をネット上に公開できる事になる訳です(現在の公開時点では1200本になっています)。
ひぼろぎ逍遥
ひぼろぎ逍遥(跡宮)
アクセス数も徐々に増大しており、後発のひぼろぎ逍遥(跡宮)だけでも、年度末の3月のアクセス数は14000件を超えていました(公開時点では20000件)。これが、全体では35万件(公開時点では40~45万件)に相当すると申し上げている事で、明日には忘れてしまうような方々を集めて年に10回程度の講演会や研究会を行い、仮に高々10年続いたとしても100回程度のカラオケ・クラブ程度のものでしかなく、結果、何の業績も残せず潰え去ってしまう事に危機感を抱き、何とか新たな展開をしなければならないと考えていたのでした。
既に、研究会を一から組織し、しかも行政や教育委員会に頼ることなく独立した研究を目指して来ました。しかし、自らお手伝いましょうとか、自分も研究したいので発表したいといった人を創り出す事はできませんでした。
あくまでも研究者とは、単に本を読んだだけで発表して見たいといったカラオケ・クラブでマイクを話さないと言った人物の事ではなく、やはり群れることなく独立して研究を続けている人であり、会の外延部に屹立して存在しているのでした。
このため、何の継承性もない只の親睦会的な会を中学校の生徒会の様に民主的に運営しようとも研究体制を拡大し研究者を束にしてゆく事はできないのでした。
今後、残された活動できる期間が15年だったとして、その間に次の研究者を養成し、研究内容を後世にバトン・タッチし伝えてゆく必要性がある事から、研究者による研究会に切り替えなければならないのです。
この点「日本書記」を学ぶ会とか「古事記」を読む会といったものとは全く異なり、真実の古代を探究する者の連合体を形成し、百嶋神社考古学という古代の真実への扉を開く鍵を託す任務がある事から、気楽なカラオケ・クラブを維持する暇はないのです。
そのような程度ものであれば、教育委員会や村興し町興し団体に任せておけば良いのであって、私達は古代の深部にメスを入れて行きたいと考えています。
まあ、真実を探求する事を目的にするのではなく、教育委員会に自分を売り込むために研究会をやりたいような3K宮司のようなさもしい人間には、およそ真実の扉を開くことなどはできないことでしょう。
金儲けや自分を売り込むことを人生の目的にするような人間には何の価値もなく一生を終えることでしょう。
大体このペースで 年間推移しますので、ひぼろぎ逍遥(跡宮)だけで、17万件のアクセスとなる訳です。
オンエア時点では、さらに増えており、ひぼろぎ逍遥とひぼろぎ逍遥(跡宮)の合計で年間40~45万件ペースに上がっています(20171109