スポット129(前) 第2次スペイン市民戦争(想定)とカタルーニャ独立運動
20171005
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
今また、州都バルセローナを中心にカタルーニャ地方の独立が脚光を浴びています。
明らかにEU崩壊の一部ではあるのですが、それほど腰の入ったものではない事も明らかでしょう。
一応、1930年代の激動(1936~1939)が80年を経て今再び燃え上がり始めたとの印象も受けますが、一定の期間を経る間には政治的なスローガンとしての民族独立運動が必ず利用されるという法則性の様なものを感じざるを得ません。勿論、その背景、底流にあるのは民族問題とEUの問題でしょう。
そう言えば、マルクスも北アイルランド問題で悩んだと言う逸話(当時IRA穏健派はマルクス主義に接近していた)も残っています。民族問題とは意外と根が深いのです。
カタルーニャ「独立」は第2のスペイン内戦を呼ぶか
Spain Is Flirting With Another Civil War
2017年10月2日(月)20時15分
ジェームズ・バドコック
「違憲」の住民投票を阻止するため投票所になだれ込む警官隊(10月1日、スペインのサン・ホリア・デ・ラミス) Juan Medina-REUTERS
<カタルーニャの独立をめぐるスペイン中央政府との対立は、もはや交渉で解決可能なレベルではなさそうだ>
スペイン中央政府とカタルーニャ州政府は過去5年間、カタルーニャの独立をめぐり対立してきた。住民投票の間もその後も、互いに一歩も引かない構えだ。
カタルーニャ州政府は、住民投票を違憲とするスペイン政府の反対を押し切って、10月1日に独立の是非を問う住民投票を行った。カルレス・プッチダモン州首相は同日夜、同州は独立国家となる権利を獲得したと宣言。一方では、投票を阻止しようとする警官隊と住民が衝突。州政府によると住民400人以上が負傷した。カタルーニャ側は、「賛成」多数となれば48時間以内にも独立を宣言するとしている。
中央政府はこれまで、カタルーニャが自治拡大への話し合いを求めても「ノー」の一点張りだったが、今や実力行使も辞さない構えだ。警察は、住民投票を力づくで阻止しようとした。すでに9月20日には、警察が州政府機関を家宅捜索し、住民投票の準備をしていた州政府関係者ら14人を逮捕した。従来は、取り締まりといってもポスターや投票用紙、投票箱の押収などに限られていたので、次第に強権化しているのは明らかだ。
独立阻止のため、中央政府がカタルーニャにどれほど圧力をかけるつもりかは分からない。中央政府は広範な法的拘束力を好きなように行使できる。自治権停止を定めた憲法の条項を引き合いに、実質的にカタルーニャ州政府を無力化することもできるのだ。
軍隊の投入が必要?
だがプッチダモン州首相率いる州政府を力ずくで抑え込むためには、軍隊の投入が必要になるだろう。中央政府の政治家たちは伝統的に、国内で軍隊を使うことには消極的だ。第二次大戦前、選挙で選ばれた左派「人民戦線」とフランコ将軍率いる反乱軍が戦い殺し合った「スペイン内戦」の悪夢を想起させるからだ。
もし国民に銃を向ければ、カタルーニャ州のみならずスペイン全土で中央政府は信を失う可能性もある。スペイン国民の多くは、中央政府とカタルーニャ州の分断を深めた元凶は、中央政府で保守与党を率いるマリアノ・ラホイ首相の強硬姿勢だと見ている。9月20日に中央政府の警察が州政府官庁を捜索したとき、数万人規模の住民が州政府官庁を取り囲んで抗議したことからも、中央政府に対する反発が危険水準まで高まっていることが分かる。
「もし中央政府の最終手段が武力行使なら、我々は勝ったも同然だ」とカタルーニャ州政府のホルディ・トゥルル報道官は言う。
カタルーニャ州では2014年にも独立の是非を問う「非公式」の住民投票を実施している。当時のアルトゥル・マス州首相は、憲法裁の差し止め命令に反して住民投票を強行して以降、公職追放の身だ。まったく同じことが、住民投票の新たな州法に署名したプッチダモンや州政府職員に起きないとは限らない。それでも州政府は、州政府に指図できるのは州議会を通じたカタルーニャ州民の民意だけだとして、中央政府によるいかなる決定も無視すると言っている。
アルゼンチン・タンゴでも特に歌のタンゴに強烈なシンパシーを持ち続けている者としては、どうしてもスペインの動きには関心を持ってしまいます。
特に、学生時代に読んだ「カタルニア賛歌」のイメージが、今もなお鮮明に生きており、「カタルーニャ独立問題」といった話となると黙ってはいられなくなるのです。
カタロニア讃歌
『カタロニア讃歌』(カタロニアさんか、原題 Homage to Catalonia)は、英国の文学者ジョージ・オーウェルによるスペイン内戦のルポルタージュ。1936年12月から1937年6月までの間内戦に参加したオーウェルの体験を元に、彼による一人称で描かれている。
オーウェル自身のスペイン内戦での人民戦線側の義勇軍への従軍体験を描いたもので、フランシスコ・フランコ将軍指揮下の反乱軍(ファシスト軍)との戦いの模様や、バルセロナで起きた人民戦線内部での内紛・市街戦などを自らの経験を元に語っている。戦争の現実を飾らない文体で克明に描写し、また人民戦線側を内紛へと導いたスターリン主義と非人間的な政党政治への強烈な批判が語られている。同時に、そんな中でも人間味を失わないスペイン人とカタロニア人に対する、オーウェルの愛情と尊敬も語られている。
この体験は社会主義者でありヒューマニストであったオーウェルに大きな影響を及ぼし、オーウェルがより人間の顔をもった社会主義を志向し、非人間的で全体主義的なスターリン主義やソ連への批判を行うようになるきっかけとなり、後のスターリン批判の寓話である『動物農場』や全体主義国家への批判であるSF小説『1984年』を執筆する動機ともなった。
また、本書はスターリンや共産党への批判を含むため、当時オーウェルの属した左翼・リベラルの知識人たちからは非難され、高い評価を得られなかったが、彼の死後にその評価は高まった。20世紀後半のジャーナリズムに大きな影響を与え、現在では、ルポルタージュ文学の金字塔として高く評価されている。
英国の社会派エッセイストであったオーウェルは、スペイン内戦の勃発のニュースを耳にして、ファシストの反乱軍と戦うために、スペインのカタルーニャ地方へと赴き義勇軍に志願する。しかし、彼がそこで体験したのは、ロマンティックな英雄譚とは程遠い、退屈で物資に事欠き悲惨で汚臭にまみれた塹壕戦であった。
だが、数ヶ月ぶりに休暇で前線からバルセロナに戻ってきたオーウェルが目にしたものは、本来一体となってファシストに立ち向かうべき後方の人民政府(共和国政府)内で繰り広げられる愚かな権力争いであった。ソ連のコミンテルンの支持の元、政府内の主導権を握った共産党は、政府内の他の政党をトロツキストと決め付けて敵視し、彼らへの締め付けを強化していた。
休暇を終え、再び前線に戻ったオーウェルだが、負傷によりバルセロナへと後送される。しかし、そこで彼を待っていたものは、彼の部隊が所属していたPOUM(マルクス主義統一労働者党)の政府による非合法化、そして共産党とPOUMやアナーキストとの間で繰り広げられる市街戦と政府による逮捕・投獄などの恐怖政治だった。オーウェルの身の上にも、その手が及ぼうとするが……。
ウィキペディア(20171005 19:42)による
以前、スポット009として長いタイトルのブログを書いていました。
スポット009 「イスラム国」は西側が仕掛けた「ゴキブリ・ホイホイ」
“公共事業としての私的な戦争の口実として造られたISISというダミー人形を有志連合Coalition of the willingが攻める!”“アメリカと本気で闘おうと思う革命的ムジャヒディンは絶対に参加しないように”警告!駆除されてしまう!
この中で、「カタルニア賛歌」についても触れていますので、再度、ご紹介したいと思います。以下。