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540 南阿蘇に急造された新興パワー・スポット “高森町の上色見熊野座神社”

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540 南阿蘇に急造された新興パワー・スポット “高森町の上色見熊野座神社”

20171129

太宰府地名研究会 古川 清久


 最近、阿蘇周辺に於いて、観光バスまでが入り参拝者が急増した神社があります。

南阿蘇高森の上色見熊野座(カミシキミクマノニイマス)神社です。

 恐らくこれも創られ仕掛けられたパワー・スポット・ブームによるものとは思うのですが、人工的なブームとは永く続くことはありませんし、所詮は、村興し、町興し、果ては世界遺産登録と言った真実の歴史を無視した官製プロジェクトに絡め取られていくだけのものでしかないでしょう。

ただ、ここではそういった思いを抑え、極力この神社に向き合い、熊本には阿蘇系神社しかない…などと思い込まされている方々をも含め、多少とも正確な神社のアウトラインを描いてみたいと思います。


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この上色見熊野座神社は265線という九州山地を南から北のど真ん中を貫くハードな国道の東側にあり、南郷谷(南阿蘇)と阿蘇谷を繋ぐ阿蘇五峰の東麓に鎮座している一社です。

 この神社には長い石段と多くの灯籠群に、穿たれた磐座や穿たれた池…とそれなりに人を惹き付ける魅力があります。この手の話にはプロの手によって創られたホーム・ページなどがありますのでそちらを…。


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これは「熊本県神社誌」の同社に関する記述の一部分です。概して同神社誌はあまりにも簡略に書かれ過ぎていますが、同社の祭神はイザナミノミコトである事が書き留められています。残る三社が同社の摂社です。ただ、何故、夫神とされるイザナギが書かれていないのでしょうか?実は、イザナミはイザナギと早い段階で分かれクマノフスミと名を変えているのです。同様に色見熊野座神社もイザナミを祭神としており、色見地区でも菅原を祭神とする摂社が多い事から、同様の傾向が見て取れます。

 まず、熊野座神社と言えば、熊野本宮大社(実はスサノウのお妃となるも姫島に移ったアカルヒメであり=大幡主の子である豊玉彦=ヤタガラスの姉)、熊野速玉大社(速玉大神=実は博多櫛田神社の大幡主を主祭神)、熊野那智大社(実はイザナギと別れて大幡主の妃となったイザナミ=クマノフスミを祀る)に象徴される和歌山県(紀州)に鎮座する神社の一つであり、熊野三山とは神仏混合を残す熊野系神社の総本社を意味しています。

 では、何故、阿蘇神社ばかりと考えられているこの地に紀州熊野の神社があるのでしょうか?ただ、肥後3500社の内、菅原神社が1300社ある事もほとんど知られていません。勿論、熊野系は全国に3000社もあるのですから、この神社もその一つでしかないであろうと考える事は十分に可能かもしれません。

 ただ、山上の磐座やそれ以外にも山岳修験を感じさせるものもある事から(説明省略)、南北朝争乱期に宮方として連絡を取り合っていた(勿論、熊野と九州の宮方の菊池、阿蘇、旧矢部村五条家)関係によるものであるかも知れません(神社縁起にはそれなりの起源は書かれてはいるのですが…)。

 通常、熊野座神社とはアカルヒメを主神とする熊野本宮大社を意味する事から、百嶋神社考古学から要約すればヤタガラスの姉(市杵=瀛ツ島姫姫の母)を祀る神社となるのです。


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まず、「見」「美」…という地名語尾がキー・ワードになります。

有名な伊勢の二見ケ浦から、熱海、温見、江見、伊見、宇美、尾身、鳥海(トノミ)、久美、古見、佐見、住江、能見(能見の宿祢の能見)、氷見…と全国に多くの事例が拾えます。

その大半が海岸部に集中しており、当然にも、表記が異なる式見が長崎市にもありますね。


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式見は古代から大幡主の船団が有明海から対馬海流を利用し半島や大陸への寄港地だったはずです。


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「見」「美」…という地名語尾について考えて見たい方は、ひぼろぎ逍遥の045 という古いブログがあります。これら全てが実は博多の櫛田神社の大幡主(ヤタガラスの父神)の領域になるのです。


ひぼろぎ逍遥 バック・ナンバー 045 「花見潟墓地」の衝撃  20140310 をご案内しておきます。


太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


鳥取県東伯郡琴海町に「花見潟墓地」と呼ばれる印象的な海岸性墓地があります。

この存在については以前から知っていましたし、類型墓については山陰の方々で出くわしていましたが、なぜか花見潟についてだけは何度付近を通っても通り過ぎ、これまで見る機会を持ちませんでした。

しかし、今回、長期の北陸遠征を試みたものの3月の大雪に阻まれ、すごすごと引き返す道すがら、ようやく思い立ち、無料の高速道路に乗らず、初めて、現地を踏むことができました。

予備知識は持っていたものの、現物を眼前にするとさすがに驚きました。… 以下省略。


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鳥取県東伯郡琴浦町赤碕 JR赤碕駅より徒歩約10


 これまでにも何度も申し上げてきた通り、博多の櫛田神社の大幡主とは神産巣日神、神皇産霊尊、神魂(カモス)と書かれる列島神話の最重要神の一人であり、大きな武装商船団を組んで列島、半島、大陸、南方とも交易を行なってきた本当の意味での八幡(正八幡)神であり、八幡とは多くの大きな帆=八幡でもあるのです(ユダヤのヤファエでもあるのですが…ここでは触れません)。

 この阿蘇の上色見、色見とは熊本(実際には熊本城がある千葉城町の旧地名が隈本でありこれらが北上し日田の月隈とか佐賀の帯熊とか朝倉の隈江とか福岡の雑餉隈…といった多くの隈地名が派生したのです)に一旦拠点を確保した大幡主の一族が大半博多など北に向かうのです。しかし、東に向かった人々が阿蘇の南郷谷、特に高森一帯に拠点を築いたと考えれば、この熊野座神社は相当に古い起源を持った物である可能性が高く、系統は異なるものの旧白水村(現南阿蘇村)の八坂(祇園)神社、西宮神社(高木大神系の高御産巣日神、高皇産霊尊)などと併せ考える必要性があるのではないでしょうか。

 驚かれるでしょうが、この大幡主の一族こそ雲南省の昆明から海南島を経由し熊本に入って来た中国大陸の白族=ペイツー=ペイホー族であり、天御中主=白山姫=ヤタガラス=熊野の父神の一族なのです。


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だからこそ熊本市内のど真ん中を流れる川が白川で白水村があり、その白川の流れ出しがこの上色見であり、色見から流れ出しているのが色見川なのです(色見の本家集落が上色見)。


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旧白水(だからこそ白水水源や白川吉見神社もあるのですが)=現白川


 一方、雲南省麗江からメコン(瀾滄江)川を降り、海南島を経由して天草の苓北から阿蘇へと入ったのが、大陸で黎(リー)族と呼ばれた阿蘇氏=多氏=宇治族=耳族のヒコヤイミミ、カミヤイミミ、カミヌナカワミミ、キスミミ…の一族なのです。

 この黎族こそ本当の意味での阿蘇(高森の草部吉見神社)氏です。現在の阿蘇神社の阿蘇氏は、ヒコヤイミミらを受入れた高木大神の母系の一族であり、東に進出した阿蘇氏は(例えば鹿島大神=武甕槌=狭義の春日大神)その後藤原氏となり列島の支配的氏族に成長して行くのです。

 熊野の話からかなり逸れましたが、博多に拠点を置いた大幡主の一族は、阿波(徳島)、讃岐(香川)、紀(和歌山)を本拠地として、本家が移動し、再度、出戻り新山として博多に戻っていると言われたのも、故)百嶋由一郎氏でした。

「熊」は「隈」であり、隈地名が集中する九州の北半部こそ、現熊野と併せ大幡主~ヤタガラス系の裏天皇の系統=白川伯王家に象徴される一族なのです。本物のヤタガラスの一族は博多に戻っているのです。

 「記」「紀」に縛られる方々のお考えは単調でほとんど漫画でしかありません。哀れとしか言えません。


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研究目的で百嶋由一郎神社考古学関係資料を必要とされる方は(09062983254)まで


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