Quantcast
Channel: ひぼろぎ逍遥
Viewing all articles
Browse latest Browse all 723

539 鏡神社は何故?鏡神社なのか? “佐賀県佐賀市三瀬村の鏡神社”

$
0
0

539 鏡神社は何故?鏡神社なのか? “佐賀県佐賀市三瀬村の鏡神社”

20171128

太宰府地名研究会 古川 清久


既に、ひぼろぎ逍遥 スポット144 三瀬村トレッキング現地リポート(20171122) に於いて、神功皇后の生誕生育地を探るというトレッキングを行ないましたが、最初の訪問地は鏡神社でした。

 勿論、唐津市の鏡山山頂に鎮座する鏡神社ではありません(以下)。


 1119日に行った太宰府地名研究会主催の“神功皇后の生誕生育地を探るトレッキング”は20人規模で行われました。

実際、朝十時集合夕方解散となるとかなりハードなスケジュールになります。

特に、集合が佐賀と福岡の県境の領域であり、その場所に向かうだけでも12時間は掛かる事から、天候や駐車スペース、トイレット、弁当購入…と色々な要素を考慮したうえで、なお、気を遣わなければならず、企画から連絡から資料作成へと相当いハードなイベントになります。

しかも、標高500メートルを越えることから午前10時でも、5度前後の上に風が強かった事から手袋が欲しくなるトレッキングとなりました。

これを福岡~熊本~大分において各々異なる企画で随時行っていますので、継ぎ接ぎのコピー・ペーストで学会通説まがいの怪しげな九州王朝論とも邪馬台国九州説とも分からぬ話でお茶を濁し、何の業績も残せないまま、十年でもたかだか百回も続けられないような研究会で満足しているような既存の研究会とは集まってきている人間の意識性とか気迫というものがまず違う事になるでしょう。

単に所謂「邪馬台国本」を齧っただけ、九州王朝論の幾つかの本を読んだだけといった状態で、通説まがいの話をされている、史談会、郷土史会同様の○○研究会の方々と、実際に現地に足を運んで自らの頭を使って現場から何がしかの真実を探ろうとする意志を持った人々の集まりとでは雲泥の差がある事を認識するのです。


539-1

今回はこの佐賀県佐賀市に編入された旧三瀬村の杠(ユヅリハ)地区一帯の神社調査です。

 さて、「コモリク」という言葉をご存じでしょうか?

539-2

言うまでもなく奈良の大和の国の話とされているのですが、本当の、(隠り口)コモリクとは佐賀市に編入された旧大和町の上流の旧三瀬村の初瀬川一帯の隠れ里の事だったのです。

九州王朝論者の皆さんも古田九州王朝論から少し自由になり新たな発想をする必要があるのではないでしょうか?

この旧三瀬村には初瀬川が流れており、だからこそ想定古代九州王朝の長谷寺も存在したのでした。


539-4

539-3

539-5


539-6九州山口にしか痕跡も伝承のない神功皇后ですが、何故か出身地は畿内だろうなどとされています。この間懸案とされてきた神功皇后ですが、今般久々にスポットを当て、
神功皇后の生育地を探る!トレッキング(佐賀県佐賀市三瀬村)を行います。そこで、神功皇后の両親である父 息長宿禰王(オキナガノスクネ)と母 葛城高額比売命(カツラギノタカヌカヒメノミコト)が住んでいたと考えられる(神功皇后もそこで産まれた?)佐賀県の北山ダム周辺の神社とそこに注ぐ初瀬川一帯を訪ねます。なお百嶋神社考古学では開化天皇の妃は神功皇后です。    




539-8 20171119日 日曜日
玄海、太宰府地名研究会トレッキング「神功皇后の生育地を探る!」  


中島 茂 宮原 誠一「神功皇后の生育地を探る!トレッキング」


20171119日 日曜日 午前1000 集合~出発 連絡は中島まで 090-5289-2994

三瀬村(佐賀市)やさい直売所マッちゃん
佐賀県佐賀市三瀬村杠246-1 0952-56-2705

 駐車場に集合!                     緊急連絡 ℡:09062983254

大雨の場合は中止! ※参加費(資料代)500円 各自、弁当、お賽銭、傘持参の事…

 

5397

現在、百嶋神代史研究会グループ全体の年間アクセス数は恐らく5070万件になるでしょう…

トレッキング注意事項 玄海、太宰府合同地名研究会(トレッキング)実際には55ポイントを巡りますが、どなたもどこかの神社には心惹かれるものがあると思います。最近は神社の祭事、経営が非常に難しくなっています。お賽銭を準備の上安全に留意され参拝して下さい。神社に関して何かご質問があれば09062983254 古川までご連絡下さい。参加申込等:090-52892994(中島)




今回はこの神功皇后の生誕生育地をするものではありません。

 この鏡神社が鏡神社と呼ばれている理由に注目して頂きたい事から、敢て一稿を費やす事としたものです。

 以前、ひぼろぎ逍遥 257 日田市の「加々鶴」地名について “「カカ」を「蛇」とする民俗学者吉野裕子説から” 392佐賀県唐津市の鏡山はカカ(蛇)を見る山だった などでもふれましたが、ここでも民俗学者の吉野裕子 の研究が生きているのでお知らせしたいと思うものです。

539-9

鏡神社 カーナビ検索 佐賀市富士町大字下合瀬654


 この境内に向かう正面方向から西90度の方向に綺麗なお鏡餅に見える三角形の山(雷山なのか井原山なのかそれとも手前の名もない小峰なのかは不明ですが…)こそが民俗学者の故)吉野裕子のカカ+巳=鏡山である事が分かるのです(詳しくは先行ブログの二本をお読み頂きたいと思います)。


539-10

鏡神社参道正面からほぼ直角の西方に見えるカカ+巳=鏡山(民俗学者吉野裕子説)


 何故、鏡神社と呼ばれているかがお分かり頂けたのではないでしょうか?


太宰府地名研究会の天ケ瀬温泉五馬高原研修所にいる事が多くなると、大分県日田市から久留米市や筑豊に向かう事が非常に多くなります。

そうなると、決まって、国道210号線の加々鶴(カカヅル)トンネルを抜け夜明ダム上流の夜明橋付近を頻繁に通過する事になります。

 以前から気にはしていたのですが、ようやく意味が分かりました。

今回は、この奇妙な「加々鶴」(カカヅル)という地名の話です。


539-11

国道210号(現386号)線の加々鶴バス停



もう亡くなられて久しいのですが、吉野裕子という民俗学者がおられました。

 その著書の一つに非常に知られた「蛇」があります。


539-12

この論旨を我流に要約すれば、案山子(カカシ)とは田んぼの収穫を荒らすネズミや雀を追い払う蛇を擬制したものであり、「カカシ」の「カカ」が蛇の古語で、「シ」は人を意味している。

 それの説明として、正月の「鏡餅」の「カガミ」も「カカ」+「ミ」(巳)であり、蛇がトグロを巻いているものを、豊穣のシンボルとして、感謝を表したもの…になり、蛇の一種として「ヤマカガシ」があることも蛇が「カカ」と呼ばれていた痕跡となるのです。 以下、ネット上から参考…


539-13

日本原始の祭りは、蛇神と、これを祀る女性(蛇巫=へびふ)を中心に展開する。
1.女性蛇巫(へびふ)が神蛇と交わること
蛇に見立てられた円錐形の山の神、または蛇の形に似た樹木、蒲葵(ピロウ=ヤシ科の常緑高木)、石柱などの代用神や代用物と交合の擬(もど)きをすること。今も沖縄および南の島々に、祭祀形態として残る
2.神蛇を生むこと
蛇を捕らえてくること
3.蛇を捕らえ、飼養し、祀ること
縄文土器にはたくさんの蛇の文様が登場する。縄文人の蛇に寄せる思いは、次の2点である。これらの相乗効果をもって、蛇を祖先神にまで崇(あが)めていった。
1.その形態が男性のシンボルを連想させること
2.毒蛇・蝮(まむし)などの強烈な生命力と、その毒で敵を一撃で倒す強さ
埴輪の巫女が身につけている連続三角紋、装飾古墳の壁に描かれる連続三角紋・同心円・渦巻紋も、蛇の象徴であると推測される。
稲作の発達につれて弥生人を苦しめたのは、山野に跳梁(ちょうりょう)する野ネズミだった。ネズミの天敵は蛇である。弥生人は、ネズミをとる蛇を「田を守る神」として信仰したと思われる。
日本人は、蛇がトグロを巻いているところを円錐形の山として捉えてきた。それが円錐形の山に対する信仰につながる。三輪山はその名称がすでに神蛇のトグロの輪を意味し、神輪(みわ)山の意がこめられている。


日本の蛇信仰(吉野裕子著) - tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」
より



お分かり頂けたでしょうか?

この吉野裕子の「かかし」=蛇説については、以前から気にはしていたのですが、加々鶴トンネルの上の高井岳にそれらしき形状(「おかがみ」山)を発見できなかった事から(ただし、一キロほど上流から見ると「おかがみ」山のように見えるため高井岳も可能姓はありそうです)、それっきりにしていたもののです。ただ、良く考えると、国道210号(現386)線から嘉麻峠へと向かう211号線の夜明鉄橋北側の小山が、まさしく「おかがみ」山だったのです(次の写真)。

この一帯は夜明ダムが完成する昭和28年頃まで、筑後川流域の旧安楽寺領(太宰府天満宮の前身)などのそま山から切り出された木材が、古くは太宰府まで持ち込まれるために筏に編成されて下流に送られる中継地だったのです。

右岸からは彦山方面から大肥川が流れ込み、筏流しを行う海人族により多くの木材が編成される場所だったのです。そのような場所だからこそ変則的な交差点には志賀島の志賀海神社が祀られているのです。

あとは、グーグル・アースや国土地理院による地図閲覧システムなどで、現地をご自分で検証してご判断下されることをお勧め致します。


ひぼろぎ逍遥 257 日田市の「加々鶴」地名について “「カカ」を「蛇」とする民俗学者吉野裕子説から” 部分切出ししたもの。

 

539-14

筑後川はこの夜明けダムの付近で蛇のトグロのような大蛇行を見せています。

これを知る海人族(筏流しの人々は元々海人族でだからこそ夜明駅の傍に志賀神社があるのです)は川を蛇と見立て「カカヅル」と呼んだのです。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 723

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>