746 宇佐の金屋の南姓は難升米の後裔氏族か?(再考)“一体川上神社とは何なのか?”
20190327
太宰府地名研究会 古川 清久
再び宇佐の金屋の川上神社を探ることにしますが、現在の課題である川上神社の直接的な祭神については知り合いの神社関係者にお調べ頂いていますので何らかの回答が得られるとは考えています。
ただ、顕微鏡的に調べるのではなく、全国の神社から俯瞰して見ようと考えたのが今回の作業です。
まず、川上神社がこの駅館川の川上から付された社名で無い事は明らかでしょう。
どう考えても川下ではあっても川上ではないはずで、この点からも頭に浮かんでくるのは佐賀県の嘉瀬川の川上(淀姫)神社(この神社も古代の河口にあり川上にはないのです)や熊野の丹生川上神社(上、中、下)社であり、その分布から同社の素性を探ってみたいと思います。まず、グーグルの検索画面を引っ張り出し、「川上神社」と入力します。
すると、以下のような画面が出ますので、やはり全国単位で代表的な丹生川上神社などが出てきます。
この方法で、西日本を中心に(東日本にはほぼ存在しない)探すと、川上神社との名を持つ神社が相当数存在する事が分かってきます。まさか、野球の神様の川上哲治を祀る神社は無いでしょうが、そのようなものも含め、川上神社とも呼ばれた神社(複数の社名を持つものも含まれる)を拾い出す事にします。
しかもその神社に関する情報を拾えることからネットによる簡単な全国調査も可能になって来るのです。
このような方法で構わないと申し上げるつもりはないのですが、正体が不明な時にはこのようなネットによる簡単かつ経済的な民俗学的帰納演繹的調査方法を採用せざるを得ないのです。
勿論、文献や神社庁の判定などと言った文献史学的な決め付けよりは余程有効と考えています。
では、川上神社の全国的分布分状態を見て頂きましょう。
良く知られた湯布院の宇奈岐日女神社が川上神社と関係があることは意識していましたが、まだ不明な点もあり、今後の課題ですね。
佐賀県、長崎県の川上神社
肥前の川上神社は大半は淀姫神社と重なります。これについては、以下で取り上げていますので、関心をお持ちの方はお読み下さい。
ひぼろぎ逍遥
554 | 淀 姫 ④ ” みやま市高田町江ノ浦の淀姫神社について” |
553 | 淀 姫 ③ |
552 | 淀 姫 ② |
551 | 淀 姫 ① |
熊本県も見ましたが阿蘇高森の野尻川上神社一社のみ。他に大津町に淀姫神社が一社あります。
鹿児島、宮崎の川上は重要でもしかしたら震源地ではないかと考えています
この外には、愛知県清洲市、福井県勝山市、山梨県北都留郡丹波山村の押垣外川上神社も丹波川沿いにあることからどうも丹生(水銀朱)と関係がありそうです。
してみると宇佐の川上神社も、大分市佐野に丹生神社があり構造線沿いに広がった神社とも言えそうです。
また湯布院温泉で有名な大分県由布市の宇奈岐日女神社も元は川上神社と呼ばれていた可能性があるのです。式内社で旧社格も県社の堂々たる大社で「六所宮」とも呼ばれますが、鎮座地は県由布市湯布院町川上2220なのです。
外には上越市の山奥や山形県酒田市の山奥にも、順番が狂いましたが兵庫県淡路島に二社拾えます。
ここまで見てきただけである程度の傾向が分かってきましたが、どうやら丹生川上神社に象徴される水銀朱の採取と関係しているようで川上の意味もそこに繋がりそうです。
問題は祭神です。しかし、まだまだ調べなければならないでしょう。
丹生川上神社
本殿の主祭神は、中央に罔象女神をお祀りし、相殿として東方に伊邪奈岐命、西方に伊邪奈美命を配祀しております。
東殿の中央には [天照大神]その東方に譽田別命 [応神天皇]、その西方に八意思兼命をお祀りしております。
西殿の中央には開化天皇と上筒男命、その東方に菅原道真と綿津見神、その西方に大国主神と事代主神をお祀りしております。
境内社としては、川向いの本宮山に摂社丹生神社として彌都波能売神(みづはのめのかみ)をお祀りし、蟻通橋北詰には末社東照宮があります。又西殿の西北には末社木霊神社として五十猛命(いたけるのみこと)をお祀りしております。
旧鹿児島県肝属郡錦江町城元1495の河上神社については故)百嶋由一郎氏による006橘系譜に川上大明神として中将が書かれています。
鵜草葺不合尊 神武天皇 五瀬命(イツセノミコト) 稲飯命(イナイノミコト) 三毛入野命(ミケイリヌノミコト)
由緒: 不詳。元、川上大明神と称された。上古天竺の魔訶陀国の末の姫が当地に渡海され、この姫を祭神と崇めたという。
和歌山県田辺市上秋津1509番地の河上神社は以下の様に書かれています。
(主祭神)瀬織津比売神 速秋津比古神 速秋津比売神 他12神 (配祀神)天照大神 愛宕大明神 大山咋命 事代主命 須佐之男命 熊野夫須美神 速玉男神 伊邪那美神 家津御子神 水分神 倉稲魂神 少彦名命
宮崎県東諸県郡国富町八代南俣2087の川上神社は以下の様に書かれています。
淳和天皇の御代天長八年(831)辛亥九月十五日、肥後国佐賀郡川上村鎮座の川上大明神より、御祭神淀姫命(與止女神)の神霊を旧八代村宮田の地に勧請し鎮座した。旧称川上大明神という。その後天明八年(1788)戊申八月十六日、日向国高岡郷浦之名鎮座の川上大明神より神功皇后他八柱の神霊を合祀する。
棟札によれば、文明四年(1470)三月二十七日藤原(伊東)祐堯同祐国公、永正六年(1509)十二月十八日藤原尹祐公、天文十九年(1550)藤原義祐公より造営再興が繰り返されており、都於郡城主伊東氏の厚く尊崇する神社であった。明治九年六月十八日旧八代村宮田の地より、現在の川上の地に遷宮鎮座、川上神社と改称し、明治四十年二月神饌幣帛料供進社に指定された。
境内神社には、肥後の菊池より勧請と伝える大将軍神社(祭神 武甕槌命、経津主命、大山祇命)がある。
特殊神事としては、例祭日の神楽、秋祭りには五穀豊穣の感謝の意味をこめ、氏子たちが踊りを奉納する。
宮巡 ~神主さんが作る宮崎県の神社紹介サイト~による
島根県松江市の川上神社は【比定社】川上社 【祭神】大己貴命、高龗男命、稻田姫命【住所】島根県松江市上本庄町921【備考】式内社・河上神社に比定
島根県雲南市 大東町川井1202番地続1の川上神社は、風土記:川上社延喜式:河上神社雲陽誌:川上明神(稲田姫)様式:大社造変態御祭神: 大己貴命・高龗命・稲田姫命中海北西岸の本庄地区より本庄川 ... 神国島根』に拠ると、 大己貴命が千酌地域の不逞の輩を鎮撫せんとした折、この辺りの川石にて焚火なして休息をおとりになられた。
青森にまで川上神社が分布しています
正確ではありませんが、全国的な分布がある程度把握できたと思います。
川上神社が何かを把握するには祭神を特定することが重要です。
全国分の神社を少しずつ調べて行けばある程度可能になるでしょうし、僻陬の神社には本物の神様がそのまま変化を受ける事無く残されているかも知れないのです。
勿論、全ての神社とはいかないものの重要な神社を発見すれば調査には行けるでしょうし、既に30人近いブロガーがいるのですから百嶋神社考古学のネット・ワークによって調査を委託する事もできるのです。
今回は、大まかな拾い出しをおこなったところまでで止めておきたいと思います。