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extra021 宮地嶽神社と安曇磯羅 ① “五人寄れば文殊の知恵”

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extra021 宮地嶽神社と安曇磯羅 ① “五人寄れば文殊の知恵”

 20150214

久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


この間、草部吉見神社、高良大社、太宰府天満宮、宇佐神宮、宗像大社…について、例えば「宗像大社の本当の祭神は大国主命である…」といった事を書いてきました。

そのこともあってか、当方に対して「宮地嶽神社と安曇磯羅との関係が良く分からないのでアドバイスしてもらえないか」といった趣旨のお話が舞い込みました。

勿 論、本ブログは神社庁のお気に召すような(彼らが現天皇家に繋がるとする大和朝廷像から「古事記」「日本書紀」に基づく神代史観、それを支えた多くの神社 群の正当性の賛美)表面的な神社の解説を行っているものではなく、九州王朝論の延長上に「日本神話」の深層に潜行し少しでも古代の真実に近づこうとしてい るものであり、基本的には高良大社に残された「高良玉垂宮神秘書同紙得背」をベースに神代史の再構成を目指された故百嶋由一郎氏の神社研究を私的に追及す る作業ノートです。

ただし、将来的な保存と深化のために作成すると同時に、多方面からの批判検討を受け入れつつ、加えて修正するために敢えて公開しているものです。

現段階ではこの提案がどちらから持ち込まれたのかについて一切申し上げられません。

また、私自身が「宮地嶽神社と安曇磯羅」というテーマ自体に特別に重要な要素があると考えている訳ではありません。

こ こからは推測でしかありませんが、一般から神職レベルでの認識は元より、ネット上、さらには研究者レベルでの理解が安曇磯羅と宮地嶽神社とに関係があるの ではないかといったところにまで進み、結果的にその評価が依頼してこられた方の認識に反映しているものと考えています。

少し前置きが長くなりました。このような依頼に対して神社研究でも極めて異端的な百嶋神社考古学の入門者でしかないものとしてどの程度のお答が出せるかは分かりませんが踏み出すことにしました。

た だし、このようなテーマについて私からの視点だけで書いたとしても、それは一つの面について取上げたに過ぎないため、地名研究会には既出版、出版予定の多 くの論者がおられることから、同様の趣旨で四人の方(内倉武久、伊藤まさ子、彩杉るな、吉田正一)に無報酬を前提に小論の作成をお願いしています。

今後、これ以外の方にもお願いするかも知れませんが、とりあえず五人の知恵を集めれば、依頼者に対して何がしかの真実をご提案する事ができるのではないかと考えています。

その前に現在の宮地嶽神社の祭神を同社の公式ホーム・ページから見ておくことにしましょう。

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ご創建は、約1600年前。当社のご祭神「息長足比売命(おきながたらしひめのみこと)」別名「神功皇后(じんぐうこうごう)」は第14代仲哀天皇の后で応神天皇の母君にあたられます。
古 事記、日本書紀等では渡韓の折、この地に滞在され、宮地嶽山頂より大海原を臨みて祭壇を設け、天神地祇(てんしんちぎ)を祀り「天命をほう奉じてかの地に 渡らん。希(ねがわ)くば開運をた垂れ給え」と祈願され船出したとあります。その後、神功皇后のご功績をたたえ主祭神として奉斎し、随従の勝村・勝頼大神 を併せ、「宮地嶽三柱大神(みやじだけみはしらおおかみ)」としてお祀りしました。
以来、宮地嶽三柱大神のご加護のもとで事に当たれば、どのような願いもかなうとして「何事にも打ち勝つ開運の神」として多くの方に信仰されるようになりました。
当社は、全国に鎮座する宮地嶽神社の総本宮です。

無題.png
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