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185 「たちぎれ線香」…桂 米朝師匠が亡くなった

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185 「たちぎれ線香」…桂 米朝師匠が亡くなった

20150320

久留米地名研究会 古川 清久

上方落語界の大御所であり重鎮の桂米朝師匠が亡くなられました。

まさに巨星 墜つ!との思いですが、いずれは来る事であり致し方ない事です。  
185-1桂 米朝の生の噺を聴いたのはかれこれ十六年ほど前(1999年春)の佐賀県西有田町の公民館で行われた米朝一門による講演会においてでしたが、予定されていた桂 枝雀師匠が急に休場しその一週間ほど後に亡くなったと伝えられた事から特に強い印象に残っています。

当日は、既に買い揃え頻繁に聴いていた桂米朝全集(CD40枚組)の一枚目と四十枚目を持参しサインを頂いたのですが、米朝一門の紋章とも言える三つ柏紋の入った和手拭いを今も大切に持っています(三つ柏は土佐の山内家の家紋ですが何故ですかね…)。

三遊亭円生全集、古今亭志ん生全集、桂 枝雀全集…と持っていますが、やはり上方落語が好きで、米朝全集を聴きながら、長駆、遠方の神社を見に走った事が今更の様に思い出されます。

米朝師匠は、

制姫路中学(現、兵庫県立姫路西高校)卒業後、現在の大東文化大入学。その後、1944年に軍隊に入ったが、病気のまま終戦。終戦後は会社員となり、落語愛好家として楽しんでいたが、47年に四代目桂米団治に入門、三代目桂米朝を名乗った。演じられなくなっていた上方落語の古典演目を発掘し、現代向けに構成。故六代目笑福亭松鶴さんらとともに「四天王」と呼ばれ、衰退していた上方落語を再興させた。
 端正で明快な語り口で、「たちぎれ線香」「百年目」などを得意とした。門下に、故・枝雀さん、ざこば、南光ら約70人(故人を含む)。五代目米團治は長男。96年に人間国宝。2009年には落語家初の文化勲章を受けた。                    
2015320日付NAVERまとめ より

 

と、あるように、最後の実軍歴者(兵隊経験者)の世代であり、確か満洲の大連辺りで生まれたとTV番組何かでも話しておられたのを記憶しています。

 我々にとっては人間国宝などどうでも良いのですが、功績は「演じられなくなっていた上方落語の古典演目を発掘し、現代向けに構成。」引用文にもあるように、古く話されなくなって久しい噺を復刻し、記録に留めた事だと思います。大半は、全集、選集の中にも収められていますが、発売も公開されてない多くの噺が、まだまだ、数多く収録されている事と思います。

 一つの噺を十回聴くぐらいはザラで、何十回も聴き込むと見えない情景や背景が頭に浮かんで来て実に素晴らしいものといつもながら思い知らされます。

 今や、外人とハーフとオカマと芸人だけで誰も見向きもしない安手の番組が乱造される時代になってしまいましたが、落語だけは何とか残って欲しいと思うばかりです。

 落語は聴き手が残らなければ映像、音声だけでは決して残らない代物であり(漫才はそもそも芸ではないと考えていますので)、いずれ消滅は仕方がないと考えていますが、その意味で、最低限、上方落語の真髄だけは記録されたのですが、桂三枝師匠は勿論ですが、息子の小米朝を筆頭に誰かが上方落語を継承してくれるものと自分を納得させています。

 「総理が死のうがちょうちん行列」と普段から言い習わしているのですが、改めて追悼の意を表させて頂きます。


185-2

まさに、「たちぎれ線香」…もう堪忍しとくなはれ……お後が宜しいようで…「地獄八景亡者戯」

もう好きな噺家はんは江戸落語の柳家小三治師匠しかいてはりしまへんがな…どないしまっか?


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