745 宇佐の金屋の南姓は難升米の後裔氏族か?(補足)“宇佐空への哀愁”
20190327
太宰府地名研究会 古川 清久
古くは、大分県中津市の松下竜一著による「私兵特攻」、最近なら「遥かなる宇佐海軍航空隊―併載・僕の町も戦場だった」今戸公徳)著を読むにつけ、70年以上前の宇佐空の姿が目に浮かび蘇ってきます。
それにつけても、終戦の詔勅が出た後、違法な、しかし、日本軍人の誇りとサムライ精神を発露した第五航空艦隊(実質特攻編成ですが)司令長官宇垣纏中将揮下の武人の特攻を知る人も消えつつあるのです。
敗戦は元より、戦闘中止命令が出された後の特攻など違法の極みですが、「俺も後から往くからな…」と送り出した指揮官として先に送り出した英霊に対して嘘をつけなかった誇りある武人が従容として死に就き、自決としての特攻を決行したのでした。
詳しくは、ネット上からも拾えますので、以下外をお読み頂くとして、このような立派な人間は自決し、在日朝鮮人(半島も日本だったため平等に邦人扱いしたのですが)を始めとして日本人としての誇りも国への忠誠心も何もない自らの損得だけを選択するような人種が敗戦後の占領政策に重用され、あまつさえ指導層にまで一気に進出し登用されていったのでした。何故駅前にパチンコ屋が並んでいるかを考えろ。
代表的なのがそもそも自民党(保守合同の結果ではありますが)なのであって、本来は、巣鴨プリズンで絞首刑になっていた様な人々の中から、アメリカに尾を振るどころかチンチンし、許され免責された人物の指令と誘導によって言論界、出版会、報道界、教育界…といったメディア占領が行われたのでした。
こうして、アメリカというよりユダヤ金融勢力に協力する現代へ続く洗脳政策が取られ続けたのでした。
一方、共産主義政党などと言った振れ込みのスターリン主義者の某政党なども始めから社会主義革命など本気で行うはずもなく、旧勢力を抑え込む範囲内でマッカーサーに活動を許されたのであって、70年経とうが80年経とうが旗開きを続け百年民社化運動なる選挙活動を労働者の運動などと称しているのです。
彼らは六全協によって「米軍=解放軍規定」を行ない、日本の民主化だけを活動の中心に於いたのであり、それは米国による占領政策の許容範囲で活動し、それからはみ出した全学連などを排除し、トロツキストとして切り捨てたのでした。
一方、日本最大の某新聞や日○レもCIAによる資金供与により創られたものであって、戦前は戦争を煽り続けた朝○新聞は手の平を返し元々左派系新聞かのような報道を続けたのでした。
最大購読者を持つ某新聞社の正力○太郎に至っては、戦前は内務省官僚で特高警察のヘッドだったような人物で、当然、巣鴨で死んでいるべきはずの人物なのですが、手のひら返しを行ないアメリカの手先となり米国への協力工作を続けたのです。
CIAに日本を売った読売新聞の正力松太郎
これは超弩級のニュースである。本日発売の週刊新潮2月16日号で、早稲田大学の有馬哲夫という教授が、正力松太郎がCIAに操縦されていた歴史的事実を明らかにした。その根拠は、例によって、米国公文書館の公開された外交機密文書である。しかも彼が見つけた文書はいまだ殆ど誰も手にしていない文書であるという。研究者にとっては願ってもない貴重な文書だったと有馬教授は述べている。この発見がこれからどこまで日本で波紋を広げていくのか。
その文書から有馬教授が読み解いた事実の一端は次のとおりである。
まずそのファイルの量である。同じCIAのファイルとして既に研究されている岸信介元首相や重光葵元外相のものと比べても、圧倒的な厚みであるという。CIAが正力を如何に徹底してマークしていたかの証明である。しかも正力を「ポダム」という暗号で呼んでいる。
正力は東京帝大を出て警察庁につとめ戦前、無政府主義者、共産主義者の取締りで名をあげたという。その正力は政界の大物から大金を借りて当時わずか5万部に低迷していた読売新聞を買収し、自ら陣頭指揮をとって、奇抜な企画や大衆に親しみやすい紙面つくりに励み、毎日、朝日につぐ大新聞に読売を成長させたといわれている。米国はその正力に目を付け、援助を与えることによって彼のマスコミに対する大きな影響力を利用しようとしたのだ。日本全土に、親米・反共のプロパガンダを流す手段にしたのだ。
今度の研究で具体的に明かされた事実として、CIAが1000万ドルの借款を正力に与えて、全国縦断マイクロ波通信網を建設させようとしていたという。これが完成した暁には、CIAは日本テレビと契約を結んで、アメリカの宣伝と軍事目的に利用する計画であったという。
幸か不幸か、この工作は成就直前で破綻した。その原因は、「正力とアメリカの国防総省が陰謀をめぐらし、正力がアメリカの軍事目的のために、アメリカの資金で全国的な通信網を建設しようとしている・・・近代国家の中枢神経である通信網を、アメリカに売り渡すのはとんでもない」という怪文書がばらまかれ、国会で取り上げられたためCIAが作戦を見直したからである。
それにしてもCIAは資金や女性問題、果ては麻薬によるコントロールまであらゆる情報をファイルして工作対象者をマークしていることがこの文書で明らかにされている。正力の場合は、「テレビのベンチャーに対するアメリカの資金供与」と記載されていたと有馬教授は書いている。
これまでにも岸信介元首相をはじめとして様々な日本の指導者が米国の手先となって、米国の日本間接統治に手を貸していたことが明らかにされている。しかし今回のCIAの正力ファイルはこの事実をここまで詳しく明らかに示した。
読売グループが何故ここまで対米追従のメディアであるのかは、この歴史的事実からつじつまが合う。
あれから半世紀、小泉、竹中は言うに及ばず、米国CIAの日本工作は我々国民の知らないところで驚くべき広さと、深さで進んでいることであろう。しかし恐れる必要はない。その事実が国民に知れた時点で、大きなしっぺ返しを食らう事になる。最後の決めては情報公開である。内部告発でも、密告でもなんでもいい。とにかく一つでも多くの隠された事実を白日の下にさらすことだ。これこそがジャーナリズムの使命であり、醍醐味である。
要するに高潔で仲間を裏切れない人物は自決するか、処刑されるか、沈黙し隠棲するかであり、それが本物の日本の男の生き様だったのです。
最後の特別攻撃隊
昭和20年8月15日、最後の特別攻撃隊は第5航空艦隊司令長官宇垣纏中将が搭乗して大分海軍航空隊を離陸し沖縄方面へ飛行した。 離陸時間は日本政府がポツダム宣言受諾し、天皇陛下のいわゆる「玉音放送」が流された12時を過ぎた、まさに「戦後」の時間であった。
終戦を知りながら将来ある若者22名(不時着等で5名生存、1名戦死)を率いて、沖縄方面に散華させた宇垣中将の行為は、戦後「私兵特攻」と評されて多くの非難を受けることとなった。
最後の特別攻撃隊 【宇垣中将 中津留大尉】 2013年作成による
特攻と言えば知覧詣でばかりが持て囃されますが、この宇佐空からも大分空からも多くの特攻機が飛び立っているのです。
特攻と言えば神風特攻の産みの親と言われる大西瀧治郎が浮かんで来ます。
大西瀧治郎
1934年11月15日、横須賀海軍航空隊副長兼教頭。大西は航空主兵論者の一人であり、1935年の戦艦大和、武蔵の建造に反対し、「一方を廃止し5万トン以下にすれば空母が三つ作れる」と主張した。また、福留繁軍令部課長に対し、「大和一つの建造費で千機の戦闘機ができる」と主張して今すぐ建造を中止するように要望した。
大西は大型機論(戦闘機無用論)を支持していた。1935年、横須賀航空隊副長兼教頭だった大西は横空研究会で、戦闘機より優速の双発陸上攻撃機の完成が近いこと、戦闘機は短航続力で海上航法能力も小さいため、空母での使用制限があることから戦闘機無用論を唱えて、横空の戦闘機関係者を論破した。また援護戦闘機も不要と主張していた。
ウィキペディア(20190328 21:46)による
彼は神風特攻の創設者のような奇妙な評価を受けていますが、このような愚策を取る前に、究極のアウトレンジ戦法である航空戦力による艦隊撃滅戦を考えていたのであって、旧来型の艦隊決戦など意味が無いと看破していたのでした。
事実、英国東洋艦隊の戦艦プリンス・オブ・ウェールズや巡洋戦艦レパルスはマレー沖海戦に於いて日本海軍機の攻撃を受けて撃沈されているのです。
その彼が神風特攻を指揮したこと自体悲劇的で、彼も従容としてと言えばあまりにも衝撃的な自決をしているのです。
大西は8月16日自刃した。「特攻隊の英霊に曰す」で始まる遺書を遺して割腹自決。遺書には自らの死を以て旧部下の英霊とその遺族に謝すとし、また一般壮年に対して軽挙妄動を慎み日本の復興、発展に尽くすよう諭している。
自決に際してはあえて介錯を付けず、また「生き残るようにしてくれるな」と医者の手当てを受けることすら拒み、特攻隊員にわびるために夜半から未明にかけて半日以上苦しんで死んだという。享年54。
割腹自決時に遺した辞世の句は「これでよし 百万年の 仮寝かな」と「すがすがし 暴風のあと 月清し」である。終戦時の割腹自決の後、特攻隊員の犠牲者の名簿にも、大西の名が刻まれた。
大西瀧治郎の切腹・・・特攻の「責任」より
宇垣中将といい大西中将と言い武人とはかくあるべしという死に様でしたが、対して総理にまで上り詰めた中○根などは、CIAの職員試験を受け採用されているようで、彼によって日本の冨がアメリカに売り飛ばされた事は周知の事実です。それに続いて小○竹○郵政民営化以降日本経済が破壊されたのは皆さん良くご存じでしょう。
正に、正力と言い中○根と言い、薄汚い立派な人物が登り詰め、日本をアメリカに売り渡したのでした。
勿論、児玉誉士夫とか小佐野賢治氏といった連中が戦争をビジネス・チャンスと考えていた事もお分かり頂けるでしょう。
今や、国会には国士は殆どいないはずで、中国の手先、アメリカの手先、米国に調教された官僚共…と自衛隊によるクーデターの方が余程まともな国家に蘇ると思うこの頃です。
外にも書いていますが、とりあえず、宇佐神宮に関しては以下の20本のブログを書いていますので、関心をお持ちの方はお読み頂きたいと思います。
ひぼろぎ逍遥(跡宮)
125 | 宇佐神宮とは何か? ⑳ “宇佐神宮の勅使井と百体神社” | |
124 | 宇佐神宮とは何か? ⑲ “宇佐神宮の隣の国東に鎮座する八幡神社の境内社について” | |
123 | 宇佐神宮とは何か? ⑱ “宇佐神宮の(仮称)中宮に鎮座する若宮神社とは何か?” | |
122 | 宇佐神宮とは何か? ⑰ “宇佐神宮の上宮に鎮座する三摂社を実見した?” | |
105 | 宇佐神宮とは何か? ⑮ “そろそろ本殿の探査に踏み込みましょう” | |
104 | 宇佐神宮とは何か? ⑭ “到津屋敷をご存じですか?” | |
103 | 宇佐神宮とは何か? ⑬ “御許山の別名=馬城峰(マキボン)とは「三国史記」の目支国のマキ” | |
102 | 宇佐神宮とは何か? ⑫ “境外摂社鷹居社とは何か?” | |
101 | 宇佐神宮とは何か? ⑪ “安心院の妻垣神社は自称神武こと崇神天皇を供応したか?” | |
100 | 宇佐神宮とは何か? ⑩ “安心院の三女神社は筑紫の君が祀った?” | |
99 | 宇佐神宮とは何か? ⑨ “安心院の三女神社は二女神社だったのか?” | |
98 | 宇佐神宮とは何か? ⑧ “神宮の故地か?今も上宮内二摂社が院内町に鎮座する” | |
97 | 宇佐神宮とは何か? ⑦ “宇佐神宮の向こう側” | |
96 | 宇佐神宮とは何か? ⑥ “御許山の大元神社とは何か?” | |
95 | 宇佐神宮とは何か? ⑤ “宇佐神宮の境内摂社「大尾神社」をご存じですか?” | |
94 | 宇佐神宮とは何か? ④ “宇佐神宮宝物館の神輿は誰のものだったのか?” | |
93 | 宇佐神宮とは何か? ③ “宇佐神宮の神宮寺としての大善寺” | |
92 | 宇佐神宮とは何か? ② “和気清麻呂は勅使道ではなく舟で上陸した” | |
91 | 宇佐神宮とは何か? ① “呉橋から北へと延びる勅使道” |