244 山陰土産 ⑦ 夏の終わりの長門、石見、周防の神社探訪 “ここにも江尾地名があった”
20150901
久留米地名研究会 古川 清久
いわゆる永尾(釜蓋)地名については、「ひぼろぎ逍遥」 202~208「釜蓋」とは何か?“民俗学者 谷川健一の永尾地名から”① ~ ⑦ において多くの話をしてきましたので、読まれた方は十分お分かりかと思います。
また、「ひぼろぎ逍遥」211「釜蓋」とは何か?“民俗学者 谷川健一の永尾地名から”⑧ においても、宮崎県高原町の狭野神社が鎮座する地に永尾(釜蓋)地名があることを書きました。
この谷川健一によって見出された「永尾地名」が、「江尾」という表記で存在している事に気付きました。
下図の左の吹き出しの位置に河川邂逅部が形成され、「永尾」のバリエーションの一つと考えられる「江尾」と呼ばれ集落名にまで高まったものと考えられるのです。
県道297号線の江尾消防ポンプ格納庫 えのおばし
この地名の元となるエイの尾型地形は、突き出した岬の両脇にエイの鰭のような孤状地形が形成される事もありますし、このような川の合流部に形成される事もあるようで、それこそ日本列島の全土に発見できるでしょう。
しかし、その全てにこの地名が付される訳ではなく、その様に見える民族、氏族が住み着いてこそこの地名が成立するのです。
今のところ、この地名を付した人々とは、一般的な漁労民ではなく海人族でも南方系の通商民(家船、バジャウ)ではなかったかと考えています。
一方、前ブログで取上げた今田の大山祗を奉祭した氏族は、恐らく九州から、もしくは伊予を経由して入って来た人々だったように思えるのです。
この地名が形成された当時、ここにはもっとはっきりし
たエイの尾の形状を示す突き出した砂洲があったはずです
「可愛」の「えの」
この永尾(エイノオ)=江尾という地名の典型的なものが、鹿児島県薩摩川内市にあります。
皆さんご存知のニニギ山陵=「可愛」(えの)山陵です。
ニニギと言えば、天照大神の子である天忍穂耳尊と、高皇産霊尊の娘である栲幡千千姫(タクハタチジヒメ)命の子とされ、「古事記」「日本書紀」ともに登場し、瓊瓊杵尊などと書かれる日本神話のスターですが、降臨後、大山祇神の娘である木花之開耶姫を娶り、火照命(海幸)や彦火火出見尊(山幸)を生んだとされています。
そして、この山幸の孫が神武天皇になるのですが(あくまで通説に沿えばであり、百嶋神社考古学はそれを認めません)、ニニギは、亡くなった後「可愛山陵」に葬られ、それは「エノ」と呼ぶとされています。
もちろん、普通は「可愛」を「エノ」と読むことは出来ません。ただし、そこがどこかはともかくとして、地元では読んでいた可能性はあるのです。
これまで見てきたように、海岸ばかりではなく、河川においても合流部にエイの尾に見える地形が形成され、エイノオ(永尾)、カマンタ(釜蓋)という地名ができることになるのです。
もちろん、水戸光圀公であろうが、本居宣長先生であろうが、「可愛、此云哀」については古来「エ」と呼び習わしていたからこそ、岩波書記も「エ」と振り仮名を付しているはずです。
ここまで考えてくると、後に、「日本書紀」に「可愛」と書かれ「エノー」「エイノオ」と呼ばれる理由が見えてきました。つまり、日本書紀成立より前に永尾地名は存在していたのです。
お 分かりでしょうか?河合、落合、吐合、谷合、流合・・・といった一連の河川合流地名がありますが、河合と呼ばれるような平坦な下流部での合流ポイント(必 然的にエイの尾形の地形を形成する)は交通の要衝であるとともに、地域の支配者の居住地にもなったはずです。そうです、可愛山(三)陵とは、「河合の永尾 (エイノオ)」と呼ばれ、いつしか「可愛」を「エノー」と呼び習わすようになったのです。つまり、「可愛」も永尾地名なのです。では、その「可愛」を紹介 しましょう。
もちろん、九州王朝論者にとっても、ニニギの墳墓は降臨地ではないのであって、薩摩川内にあっても一向に構わないのですが…。
どうやら、川合、川会…エイの尾の形状を「エイノオ」「エイノウ」「エノ」「エノー」と呼ぶ海洋民族系の人々がここにも住み着いたようです。私にはその事が分かるのです。
実は、江の川の上流、と言っても広島県側はかなり長いのですが、この部分は「可愛川」と呼ばれているのです。この呼び方をする人々が、広島県側に移動し展開して行った事が見えてきます。
ひぼろぎ逍遥(跡宮)009 なぜ、「可愛」と書いて「エノ」と読む(呼ぶ)のか? を参照して下さい。
可愛川 えのかわ
広島県中北部の川。江川 (ごうがわ) の上流。全長 98km。大朝盆地に源を発し,北広島町,安芸高田市などを経て,三次盆地で他の諸支流を合わせて北西流,島根県に入って江川となる。江戸時代には,かんな流し (砂鉄採取) が盛んに行なわれ,そのために河床が上昇して洪水がしばしば起こった。
「ブリタニカ国際大百科事典 」小項目事典の解説 より