245 山陰土産 ⑧ 夏の終わりの長門、石見、周防の神社探訪 “客神神社とは何か?”
20150902
久留米地名研究会 古川 清久
次に向かったのもお隣の集落、江津市桜江町川戸の三田地地区でした。
ここに客神神社という妙な名前の神社があるからでした。
確か、広島県の湯来温泉に行った時、一度、見掛けた記憶があるのですが、客人(マロウド)神社として頭に浮かぶのは出雲大社の客人(マロウド)の間に匿われているウマシアシカビヒコチの神です。
百嶋由一郎先生によれば、この神は天の御中主命(久留米水天宮の主祭神)の夫で朝鮮半島に居たという日本でも最も古い神様なのです。
ウマシアシカビヒコヂは、日本神話に登場する神。天地開闢において現れた別天津神の一柱である。『古事記』では宇摩志阿斯訶備比古遅神、『日本書紀』では可美葦牙彦舅尊と表記する。
『古事記』では、造化三神が現れた後、まだ地上世界が水に浮かぶ脂のようで、クラゲのように混沌と漂っていたときに、葦が芽を吹くように萌え伸びるものによって成った神としている。すなわち4番目の神である。『日本書紀』本文には書かれていない。第2・第3の一書では最初に現れた神、第6の一書では天常立尊に次ぐ2番目に現れた神としている。独神であり、すぐに身を隠したとあるだけで事績は書かれておらず、これ以降日本神話には登場しない。
ウィキペディア20150902(08:30)による
そのウマシアシカビヒコチに直接繋がるかどうかは不明ですが、このような稀な神社を奉祭する人々とはその末裔以外にはありえないと思うのですが、まずは実見とばかりに同地へと向かいました。
ところが、その神社が見つからないのです。現地の方に尋ねるにも過疎地の事そうおいそれと人には出会わないのです。
仕方がなく昭文社の県別マップル32島根県を頼りに探すのですが見つからないのです。
勿論、カーナビにはこのような小さな神社は出てきません。実は地図の誤りだったのです。地図では三田地川の左岸にこの神社があるはずなのですが、それらしきものには出くわしません。ようやく地元の方に二度お聴きして、右岸側のかなり奥にある事が分かったのです。
昭文社の地図には誤記、誤字、場所の誤り…とこれまで数十ケ所は見てきましたが、今回も一時間は無駄にさせられました。
しかし、それに頼るしかない以上、文句は言えません。むしろ有難いというべきなのでしょう。
ようやく辿り着いたのは小さな祠程度のものでしたが、ようやく存在が確認できました。
当然、客神神社という社名以外、何の情報もありません。
このような時は、他の同種の神社を調べ帰納的に演繹する以外方法がありません。
ざっと、検索しただけでも直ぐに数社が拾えます。
広島市佐伯区湯来町大字葛原郷589番地 客人神社
栃木県太平山神社摂社 客人神社御祭神 武御名方命 (たけみなかたのみこと )
千葉県八街市東吉田348番の1客人神社
ただ、この程度では、客神神社が何であるかは判別できません。このような時頼りになるのは「玄松子」「神奈備」氏です。
敬愛するHP「神奈備」には「客人社と荒波々幾神を祀る神社一覧」があり、既に、「客人神社」、「客人社」…の拾い出しが行われていました。
これを見ると、少彦根名命、大国主、スサノウノミコト、塩鎚命…とバラつきが大きく全く見当が着きません。
やはり、客人神社とは特定の神を祀るものではなく、その地の氏神に対して、特別に受け容れたものでそれには色々な神様が該当するのかもしれません。
ただ、問題は残ります。それは、この小規模な三田地上集落には他に祀られる神様がおられないのです。
とすると、やはり近い出雲の“マロウド”と考える余地はあるのではないかと思います。
そこで、広島県湯来町の客人神社をネット上で見せて頂きました。
客人神社まろうどじんじゃ
客人神社は湯来町の葛原にある土井地区の旧河内神社と大古谷地区の旧大年神社の御祭神を郷の客人神社に合祀させ頂いた神社です。
鎮座地: 広島県広島市佐伯区湯来町大字葛原郷 589番地
御祭神: 大穴牟遅命 相殿 豊受姫命(大古谷:旧大年神社) 水波女命(土井:旧河内神社)
例 祭: 10月20日
客人神社古老の伝承によると、宮島の神様が旅に出られて途中立ち寄って休まれたという
以下は広島県神社庁のサイトから
大国主命を「客人」としている神社のようですが、やはり判然としません。
一応、ウマシアシカビヒコチを祀る神社である可能性も残し、そのような神社ある事だけをお知らせするに留めます。
ただ、この集落の裏山が鳶ノ子山と呼ばれていることから、この一帯(この山を裏山にしている集落は外に数多くありますが)が博多の櫛田神社の大幡主の影響下にあった事が見えます。
大穴牟遅命も大幡主の孫(子はヤタガラス)にあたるスセリヒメ=市杵島姫を妃とし姻戚関係により大幡主の傘下に入っている事から亀甲紋章の使用を許されているのです(決して亀甲神紋のルーツは出雲大社ではありませんのでくれぐれもご注意を)。