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187 臼杵の石仏群を見守る神社をご存じですか?

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187 臼杵の石仏群を見守る神社をご存じですか?

20150325

久留米地名研究会 古川 清久

「臼杵と言えば?」と問われれば、私の様な人間は直ぐにフンドーダイ、フンドーキンの醤油が頭に浮かんでくるのですが、一般には「臼杵と言えば石仏」と相場が決まっているようです。

今や観光客目当ての物販だけに主眼が置かれ、駐車場から遠い導線整備が行われ、凡そ高齢の信仰心を持った訪問者など考えに入れられていないかのようです。

国宝にまで高められてはいますが、信仰とは無縁の風情については、この仏像の祈念者も、造った仏師も、もしかしたら仏様そのものも、望まれてはいないように思えるのですが、どうやら信仰心を持った参拝者など全く存在しないのかも知れません。

そのような俗世を疎ましく思い、救われない人々のためにとこその思いを込めて造られたはずなのです。

その証左と言うほどのものではないのですが、この整備された仏像群の中央を制する高台の一角に、全く整備からも除外されたとしか思えない神社があるのをご存じでしょうか?

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恐らく、これこそが集中して石仏群が造られていく姿を見守り、この地域の信仰を古くから受け止めていたはずの神であり、この地域の住む人がどのような氏族(民族)であったかを、ひいては仏像を熱心に石に刻んで言った人々を知る手だてとなる神社のはずなのです。

千数百年前まで遡れば、恐らく現地は臼杵湾の湾奥深く入り込んだ岬状の高台であり、堆積が進むに従い湿地帯から水田に変わり、現在の公園整備を見たのです。

 この臼杵の一帯は、熊野神社と日吉神社と天満宮が卓越している事は承知していましたので、そのどれかであると考えていましたが、日吉神社でした。

言うまでもなく日吉神社の祭神とは、大山咋(オオヤマクイ)命、松尾神社、山王社、日枝山王権現、佐田大神…(全て同一神)であり、この神の父は阿蘇の草部吉見神社の祭神、彦八井耳命(後の春日大神)であり、母は宗像大社三女神の一人市杵島姫なのです。

この臼杵の海運、醸造、造船(南日本造船、東日本造船、若林造船所…)…という工業都市の基礎に、これらの神々、特に宗像海人族が関与していた事が見えてくるのです。

神社参拝殿に置かれた縁起には、付近にも大山祇神社や天満宮あるように、大山祇=月読命、菅原神社に主神として大山咋がさらには、水分神(美具久留御魂大神を持ち出すまでもないでしょうが、罔象女神須勢理比売命 =市杵島姫(何れかは不明ですが配神からは須勢理比売命 の可能性が高い)が祀られています。

そもそも、美具久留(ミククル)の意味は「水潜る」の意味で、大国主のお妃市杵島姫も実際に海に潜る事ができたことを示しているのです。

大阪府富田林市の美具久留御魂神社は、祭神が大国主命とされ、夫婦で入れ替わった形になっているようです。その水分神は本来、須勢理比売命 のはずで、ここでもそれに従いたいのですが、無論、推定以外の根拠があるものではありません。大国主命が宗像大社の本来の祭神ということも隠されているのですから(それについては、ひぼろぎ逍遥115「宗像大社の本来の祭神とは何か?」他を参照のこと)。


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日吉神社縁起

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臼杵の石仏公園入口右手に残された日吉神社の鳥居


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額束に「王」の文字は山王日吉神の大山咋神の神仏混淆された表現山王」の「王」の痕跡

日吉神社の遠景をもう一度ご覧ください。神社の階段参道に水銀灯が整備されていますが、それは石仏群を巡る回廊となっているからであって、神社には訪れる人もなく荒れています。

神社に参拝するにも駐車料金を払わなければならないようにすれば、どうなるかは言わずもがなであり、石仏を見物して買い物をする人以外を受け入れないような姿勢の上にあの程度の石塔ぐらいではいずれ人の足は絶えるとしか思えないのです(信仰心の欠片も無い買い物客だけを相手にしているのが分かります)。

寺女はともかくとして、今、神社を廻っている一群の人々や神社ガールが、臼杵の石仏を見降ろす日吉神社にオイソレと目を向けるとは思いませんが、神社とか寺院といった文化遺産を守り、後の世代に引き継ぐと言う事は、単に駐車場を整備し決められたテキストでステロタイプの決まり切ったありきたりの説明をするガイドを養成する事ではなく、神社に付随する神宮寺を考え、地域に分布する神社群から推定し、この地域にどのような勢力の人々が住み着き、如何なる勢力と争い、支配し、支配され、その背後にいかなる社会の動きが在ったのかが理解できる深みのある文化の発掘を思わせる配慮が無ければ、いずれは忘れられてしまい、石仏せんべいを売るだけのそれこそ薄っぺらな石の見世物小屋を造るだけの事になってしまうのです。

 最低でも深田という湿田の真中に設えられた参道を復元し、残された鳥居の延長に見据えた日吉神社と石仏を共に考えられる心の余裕なくしては、石仏もただの石ころやテトラポッドと変わり映えの無いものになりかねないのです。

 最後に、臼杵には熊野神社が非常に目に付きます。熊野三社についての説明は省きますが、この神社群も、実は、博多の櫛田神社の主神の大幡主(大きな幡を上げた船団の神)の一族のものなのです。


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