188 佐伯市釜江楠本浦の王子神社とは何か?
20150325
久留米地名研究会 古川 清久
久留米地名研究会の日田市天ケ瀬温泉五馬高原研修所に居続けブログを書く毎日が続くと、さすがに内陸部から離れ海を見たくなります。
そのためN氏と連れ立って大分県の南部、臼杵市から宮崎県延岡市の北、北浦町に掛けての海岸部の神社調査に向かいました。
過去、魚釣りを兼ねたフィールド・ワークで何度も入ったエリアですが、気になっていたもののパス・スルーしてきた神社を実見することができました。佐伯市釜江楠浦湾奥にある王子神社です。
良く見掛ける若宮神社、若宮社とは別に、王子神社、八王子社、一王子神社…と呼ばれる一群の神社があります。
久留米を中心に筑後地方散見される皇子神社(皇子神社、九体神社、九体社、五大王子)は、高良玉垂命(第9代開化天皇)と神功皇后との間に生まれた五人と連子の四人の皇子を祀る神社ですが、この神社がそれではない事は直感で分かりました。
他に、山岳修験(熊野修験)に関わる王子社…もありますが、この豊後の日向国境いの地にあるものからその系統のものであろうことはある程度見当が付きます。
このエリアは、良く知られた釜江の北に位置し、四~五つの大きな入江が深く入った静かな内湾でも最奥の場所ですが、そこに、伊弉冉・速玉男命・事解男命という熊野では当たり前ですが、通常の神話からすれば少しおかしな組合せの三神が祀られているのです。
まず、イザナギ・イザナミは共に祀られるべき夫婦神のはずですが、イザナギが見当たりません。
しかし、夫婦神なのです。
イザナミは表記が多いのですが、伊弉冉、伊邪那美、伊耶那美、伊弉弥…と書かれ、日本神話のスターとも言うべき女神で、伊弉諾神、伊邪那岐命、伊耶那岐…と書くイザナギの妹とも妻ともされます。
このイザナギが見当たらない組合せこそ、イザナギと別れたイザナミが再婚した大幡主(オオハタヌシ)と、その間に生まれた「事解男命」が、実は豊玉彦=ヤタガラスであり、社名ともなっている王子なのです。これについては百嶋神社考古学極秘神代系譜をご覧ください。
速玉男命は博多の櫛田神社の主祭神である大幡主(オオハタヌシ)であり熊野速玉大社の主祭神に、イザナミ=熊野牟須美大神(クマノフスミノミコト)が熊野那智大社の主祭神に、ヤタガラスこと豊玉彦が熊野本宮大社の主祭神の事解男命に対応するのです。「何をとんでもない事を言っているんだ!」「イザナミとイザナギは御夫婦でいらっしゃるはずではないか?」と言った通説に尾を振りたい方はご自由になさって下さい。批難は致しません。極めて普通の理解なのであり何も知らずに死ぬのも良いでしょう。
ところが、百嶋先生は旧夜須町のある神社を見ていて、「イザナミは博多の櫛田神社の大幡主の妃になっているのではないかと気付いた…」と話しておられました。まさに、「死んだはずだよ、お富さん…」です。
百嶋神代系譜によれば、確かに新羅系昔氏のイザナミと瀛氏の金山彦の妹イザナギは通婚し神俣姫と弟のスサノヲが生まれていることになっているのです。
通説ではないでしょうが、島根県の宇美神社の社伝では朝鮮半島の布都御魂が父という事になっていますが、これが多分イザナギの事だと思います。
ともかく、イザナギと別れた後のイザナミは大幡主の妃となり、兄の豊玉彦=ヤタガラス=天穂日=思兼…と有名なアカルヒメ(スサノヲから逃れて日本に戻ってきた姫島の女神)を産んでいるのです。
ここでは、豊後の瀬戸内海岸に博多の大幡主(大船団)の影響が広く及んでいた事を確認できるとしておきます。
なお、事解男命をヤタガラスと見て、王子神社の意味を解読したつもりです。多分良いと思うのですが、敬愛する「玄松子」氏も悩んでおられるようです。以下。
「事解男命ことさかのをのみこと別名 泉津事解之男:よもつことさかのを 豫母都事解之男命:よもつことさかのを……死んで黄泉国にいかれた伊邪那美神を、伊邪那岐神が追っていったところ、 すでに伊邪那美神の遺体は腐ってうじがたかり、遺体の各部に八雷神が生まれていた。
『古事記』や『日本書紀』本文では、伊邪那岐神は慌てて逃げ帰ったと記されているが、 一書には、穏やかに「もう縁を切りましょう」と言い、「お前には負けないつもりだ」と言って唾を吐いた。 その唾から生まれた神が速玉男命。次に掃きはらって生まれた神が泉津事解之男。掃きはらったことや、事解の神名から事態を収拾させる神、絶縁の神と思うが、よくわからない。一言主神の別名を言離神(ことさかのかみ)ともいい、事解男神と似た神なのだろうか。」
当方も、速玉男命を大幡主、事解之男を豊玉彦としておきたいと思います。