247 山陰土産 ⑩ 夏の終わりの長門、石見、周防の神社探訪 “益田市木部町の木部八幡宮”
20150903
久留米地名研究会 古川 清久
そろそろ九州に向かって戻ることにし、島根県西部でも中央部に近い山中から西に向かうのですが、一旦は海岸部に出て食料や燃料の調達などが必要です。このため、浜田に出て海岸部から西の益田に移動する事にしました。
益田の手前、木部町に木部八幡宮があります。山陰では必ず通過するポイントであることから、これまでにも二、三度見せて頂いているのですが、八幡宮とある以外何の表示も無い、所謂、顔の見えない神社の一つです。
このような神社であっても、経験を積む事によって多少の見当は付くようになってくるもののようです。
国道9号線沿いの、一目、古代の潟(せき)湖の辺といった場所に静かに鎮座する木部八幡宮
JR山陰本線石見津田~鎌手 間の海岸性集落が木部です
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島根県益田市木部町イ217
まずは、神社庁のデータを見ましょう。主祭神は應神天皇、仲哀天皇、神功皇后、事代主神とされています。
事代主神が加わっているのが実に特徴的で八幡神が覆いかぶさってくる前の本来の祭神の可能性があります。
まず、事代主神を除く三神の組み合わせは、八幡宮の総本山とされる宇佐八幡宮とも異なり、比較的少数派になりますが、大分市に鎮座する豊後国一宮の一つ梼原八幡宮と同じです。
従って、宇佐八幡宮直系の神社でないとだけは言えそうです。
この地は、木部と呼ばれています。
これまでのブログでも何度か書いてきましたが、木部は紀氏の入った領域に付される地名であり、近いところでは、山口県吉賀町柿の木村の木部谷(間欠泉の木部谷温泉でその筋には有名)や大分県の国東半島の岐部が拾えます。
この国東の岐部も、古来、紀氏が盤居した領域として知られており、直ぐお隣の宇佐八幡宮とは別系統の石清水八幡宮系の神社が置かれています。
代表的なのが姫島正面の伊美港に鎮座する大社の伊美の別宮社(石清水八幡の別宮の意味)でしょう。この国東の紀氏の領域の社殿の造り方が同じで、国東の岐部の岐部八幡宮の神殿、参拝殿の左奥に謎の
摂社が鎮座しているのと対応を見せているのです。
詳しくは、ひぼろぎ逍遥(跡宮)124 宇佐神宮とは何か? ⑲ “宇佐神宮の隣の国東に鎮座する八幡神社の境内社について”を読んで頂きたいと思います。
写真は国東半島国見町の岐部神社境内から見た岐部の集落です。
国東は一般にも、古来、紀氏の領域であったと言われてきました。
岐部の「岐」も「紀」を置き換えたものなのです。一部の例外はあるものの、国東半島全域に宇佐とは異なる岩清水神社系の八幡神が勧請されており、境内社として頻繁に見かける若宮社もこの地では応神ではなく仁徳が祀られています(宇佐八幡宮の若宮も仁徳ですが…)。
そもそも、岩清水八幡は橘 諸兄の末裔が宇佐から勧請したもので、岩清水の正面には、今も、高良神社が鎮座しているように、この一帯にも高良社を祀っているものがかなりあります。
現在、国東といわず筑後以外に高良玉垂宮はあまり確認されません(九州でも島原半島、武雄市、日田市、南さつま市などに数例があり、四国に8社、中国地方に数社ありますが)。
この伊美別宮、岩倉社、岐部神社…は、いずれも元は高良神社であった可能性があるようです。
国東半島 伊美の別宮社の境内摂社
国東半島 国東市岐部八幡宮の境内摂社
根拠も無く地名だけでここまで踏み込むのは問題がある上に違法でさえありますので、ここでは紀氏が入っているのではないかとだけしておきます。
依然、この木部八幡宮の二つの摂社が何かは気になります。
もう一つの考え方として、通常の八幡神とは異なる事代主と、稲荷神が合祀された形跡があるようで、豊受大神が祀られているのかも知れません。
あやふやな話はここまでとして、百嶋神社考古学に於ける事代主が何かを考えて見ることにしましょう。