250 山陰土産 ⑬ 夏の終わりの長門、石見、周防の神社探訪 “4泊5日の調査旅行が終了しました”
20150905
久留米地名研究会 古川 清久
今回の調査探訪は4泊5日(延べ10湯)25社、往復1000キロ(食費燃料代込み総額13,000円)という行程でしたが、ブログで取上げた12の神社の外にも多くの神社を見て回りました。
現在は、ネット上で多くの情報が拾えることは間違いなく、効率を考えても百嶋先生のご努力の十分の一以下で資料が収集できるでしょう。
しかし、現地で実際に入手できる知見は多岐にわたる四次元的情報であり、やはり無視できるようなものではないのです。
インターネットは平面的で実に無味乾燥で、ただの一次元的な文字データが並んでいるだけです。
もし、インターネットの検索だけでリポートを書くとしたらどうでしょう。
確かにそれなりのものは書けるかもしれませんが、それなりのエッセンスと言うか、ひらめきと言うか、ヒントと言うか、記録に残したいと言う動機は、やはり、現地でしか調達できないものなのです。
最後に編集の都合もあり、予定にはなかった恵美須神社についてお話をして山陰土産の終りにしたいと思います。
恵比寿とか恵美須とか書かれ、大国様と並んで登場される人気者の神様がおられます。
打出の小槌をお持ちの大国様は、大国主命としてそれなりの実在性を感じさせるイメージ実体があるのですが、鯛を小脇に抱え釣り竿を持っておられるエビス様は、エビス・ビールの具体性以外にその実体が何なのか疑問をお持ちなのではないかと思います。えびすは日本の神で、現在では七福神の一員として日本古来の唯一(その他はインドや中国由来)の福の神である。古くから漁業の神でもあり、後に留守神ともされた。夷、戎、胡、蛭子、蝦夷、恵比須、恵比寿、恵美須などとも表記し、えびっさん、えべっさん、おべっさんなどとも呼称される。
えびす神社にて祀られる。日本一大きいえびす石像は舞子六神社に祀られており、商売繁盛の神社とされている。
「えびす」という神は複数あり、イザナギ、イザナミの子である蛭子命(ひるこのみこと)か、もしくは大国主命(大黒さん)の子である事代主神(ことしろぬしかみ)とされることが多い。少数であるが、えびすを少彦名神や彦火火出見尊とすることもある。また、外来の神とされることもあり、「えびす」を「戎」や「夷」と書くことは、中央政府が地方の民や東国の者を「えみし」や「えびす」と呼んで、「戎」や「夷」と書いたのと同様で、異邦の者を意味する。このように多種多様の側面があるため、えびすを祀る神社でも祭神が異なることがある。
ウィキペディア20150906(11:00)による
当方は恵比寿(エビス)をM音とB音の入れ替わり現象で、エミス(エミシュorエミシ)と考えていますが、百嶋由一郎先生は、エビスは古い神様で、紀元前後に列島に入って来た新ヘブライ系の金山彦や白族に対して、紀元前千年以前から列島に入っていた古々代ヘブライ系の人々とされていました。
今回、この神社が何かと言う話はしませんが、エビスの神紋ははっきり打たれていました。
もちろん、他の恵比寿神社がそうだからそれを真似しているのかも知れませんが、それも関係はありません。
このエビスが使う神紋が所謂蔦紋なのです。
ここで、ユダヤの神紋と言われるメノーラの神紋をいくつか見て頂きましょう。
少しは百嶋先生が言われる事を分かって頂いたのではないでしょうか?