274 阿波の忌部神社初見
「ひぼろぎ逍遥」「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)共通掲載 20151201
久留米地名研究会(編集員)古川 清久
吉野川市忌部神社
今回は、四国の高良神社調査で立ち寄った阿波の忌部神社を取上げます。
四国には過去三回入っていますが、前回は、愛媛、香川の高良神社七~八社を確認し、今回は徳島の高良神社四社と高知の高良神社を確認する事が目的でした。
無論、それ以外にも通りすがりの多くの神社を実見しているのですが、阿波で特に重要なのがこの忌部神社です。
神社考古学研究班には「忌部」に特別な思い入れを寄せるメンバーもいることから、徳島の忌部神社となると見過ごすわけには行きません。
特に、百嶋神社考古学を追求する者としては、百嶋先生から博多の大幡主の一族は阿波から紀州に展開しているという話を聴かされているだけに、半ば興奮気味に同社を訪れたのでした。
忌部氏の「忌」は瀛(イン)であり、秦の始皇帝と姻戚関係を結んだ一族であり、瀛氏の金山彦を主軸に新たに姻戚関係結んだ白族の白川伯王-大幡主-豊玉彦=ヤタガラス-鴨玉依姫の一族を含む概念なのです。
まずは、國學院の 神道・神社史料集成-古代
から見ることにしましょう。
御所神社(徳島県美馬郡つるぎ町貞光)は次回見ることとし、まずは、本拠地と考えられる現吉野川市の忌部神社を見せて頂きました。
忌部神社(阿波国麻殖郡)
名神大月次新嘗・或号麻殖神・或号天日鷲神(『延喜式神名帳』)
従四位下(六国史終了時) グラフ(3)→
比定社
山崎忌部神社(徳島県吉野川市山川町忌部山)周辺地域→
御所神社(徳島県美馬郡つるぎ町貞光) 周辺地域→
忌部神社(後世の遷座・徳島県徳島市二軒屋町二丁目) 周辺地域→
『新抄格勅符抄』10(神事諸家封戸)・大同元年牒(806)
神封部
合四千八百七十六戸
(略)
忌部神 廿戸 紀伊十戸 出雲十戸
『続日本後紀』嘉祥2年4月乙酉(2日)条(849)
奉レ授二阿波国天日鷲神従五位下一。
『日本三代実録』貞観元年正月27日甲申条(859)
安房国従三位勲八等安房神。天比々理刀咩命神並正三位。近江国従二位勲一等比叡神正二位。従五位上勲八等伊香神従四位下。従五位下伊富岐神。佐久奈度神。水口神。川田神。三上神。奥津島神。小比叡神並従五位上。
『日本三代実録』元慶2年4月14日己卯条(878)
授二阿波国正五位上大麻比古神従四位下。
『日本三代実録』元慶7年12月28日庚申条(883)
紀伊国従四位下勲八等丹生比売神。伊太祁曽神並授二従四位上。阿波国正五位上天日鷲神従四位下。加賀国従五位下菅生神正五位下。
『古語拾遺』
又。天地割判之初。天中所生之神。名曰二天御中主神一。其子。有二三男一。長男。高皇産霊神。古語。多賀美武須比。是皇親神留伎命。次。神産霊神。是。皇親神留弥命。此神子天児屋命。中臣朝臣祖。其高皇産霊神所生之女名。曰二栲幡千千姫命一。天祖天津彦尊之母也。其男名。曰二天忍日命一。大伴宿祢祖也。又男名。曰二天太玉命一。斎部宿祢祖也。太玉命所レ率神名。曰二天日鷲命。阿波国忌部等祖也。手置帆負命。讃岐国忌部祖也。彦狭知命。紀伊国忌部祖也。櫛明玉命。出雲国玉作祖也。天目一箇命一。筑紫伊勢両国忌部祖也。
『延喜式』3(臨時祭)・名神祭条〔28〕
大麻比古神社一座。天日鷲神社一座。已上阿波国。
まずは、祭神ですが、敬愛する「玄松子」によるとこのように書かれています。
式内社 阿波國麻殖郡 忌部神社 名神大 月次新嘗
旧村社
(旧國幣中社)
御祭神
天日鷲翔矢尊(天日鷲命)后神言筥女命 天太玉尊后神比理能賣命
津咋見命長白羽命由布洲主命 衣織比女命
徳島県吉野川市山川町にある。JR山瀬駅の東南約1Km、忌部山の麓に鎮座。
今のところ、この配神で分かりそうなのは二神だけです。
天日鷲翔矢尊(天日鷲命) = 博多の櫛田神社の主神である大幡主
天太玉尊 = 豊玉彦(ヤタガラス)
各々のお妃については候補者のみを上げておきたいと考えます。
后神 言筥女命 秘密にされていますが、イザナギと別れた後のイザナミ
后神 比理能賣命 高木大神(高皇霊命)の娘である豊秋ツ姫