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276 山口県光市の石城山神籠石と石城神社 ① 石城山神籠石

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276 山口県光市の石城山神籠石と石城神社 ① 石城山神籠石

20151209

久留米地名研究会(編集員)古川  清久

 

写真は光市の石城山神籠石の一部です。

なんでも近畿大和朝廷との関係で説明する考古学協会から通説派の学芸員や教育庁文化課といった連中が口ごもるのが「神籠石」です。

中には、粗雑な朝鮮式山城群とごちゃ混ぜに併せて「神籠石」という言い方はしないのがあたかも識者であるといった強弁をする不勉強な輩も目立ってきました。

どのように考えても「神籠石」の分布からは、北部九州を防衛する目的で配置されたとしか考えられない事から触れない事にしていた畿内説論者でしたが、最近は」開き直って、いい加減な朝鮮式山城群と同じものと見なしてこれらも近畿大和朝廷を防衛する目的で西に展開したものとするデタラメな説を吹聴し始めたのです。

どうせそのような扱いしかしていないだろうとの予見からこれまで現地を踏んでいなかったのですが、下松市河内の高良神社を実見し、同行のN氏にこれからどこを見に行きますかと相談したところ、直ぐに、敏達天皇が山上祭祀を行った神社(石城神社)があるのでそこに行く事にしたらとの相談が纏まり、現地に行く事にしたのでしたが、よくよく考えれば、そここそ石城山神籠石のある場所だったのです。

まさに、一石二鳥の言いの通り、未見の神社と神籠石遺跡の見学が叶うのですからこれほど良い選択はありませんでした。

下松からも20キロほどの距離で、まさにお誂え向きの見学コースとなった次第です。

この九州を中心に分布する「神籠石」群に関しては、久留米地名研究会のエースである永井正範氏が数年前に二回に分けて九州王朝の実在を証明する物証として、久留米大学の公開講座(九州王朝論)で研究発表を行っているところです。


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70センチメートルほどの直方体の切り石を延々と数キロに亘って施工しているのですから凄いものです


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特に西水門の施工は素晴らしいもので、皆さんもご覧いただきたいと思うものです


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ウィキペディア201512102030より

 

通説派による「神籠石」無視、「神籠石」隠し から来る不勉強と結果としての誤解としての近畿王朝防衛山城説についての批判を簡略化して行うことは可能ですが、永井正範氏に申し訳ないため、いずれ本人の重要論文として何らかの形で公開する事で代行する事として、ここでは、同じく初見の石城神社をご紹介したいと思います。

ただ、この海岸からもかなり離れた内陸部の標高の高い場所に、何故このような山上逃げ込み城風のものが造られたのかは興味が尽きません。

北を通る国道2号線は古代においても重要な官道であった可能性は高く(国道2号線沿いの山口県宇部市車地に九州の古代官道地名として大量に確認できる「車路」「車地」同種の地名が残されている)、その東西交通路をいつでも遮断できる位置にこの神籠石は造られている様に見えるのです。

 しかし、光市の掲げた「神籠石」に関する掲示板の内容は近畿の通説派に媚びない格調高い立派な内容で書かれていました。

 思いっきり権力(実は利権だけ)に尻尾を振る畿内説論者の考古学協会の体質には好い加減うんざりさせられています。


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