279 山口県周防大島町西三浦の玉垂神社
20151210
久留米地名研究会(編集員)古川 清久
前回周防大島を訪れたのは十年ほど前の事でした。
当時も現地用に用意していたのは道路マップ(昭文社)の「山口県」でした。
当然、重要と思われる神社には事前に鉛筆で印を入れていたのですが、それこそ入れっぱなしで、十年余り亡失していた神社があったのです。
それが、大島大橋を渡って直ぐの西三浦集落に鎮座する玉垂神社だったのです。
地図を見ていると改めてその存在に気づき、遅れ馳せながらも今回ようやく訪問する機会を得たのでした。
ただ、現地は道路状況が極端に悪く、どう見ても軽トラックしか走れないような狭い道を右往左往しながら、お婆さんに尋ね、若い兄ちゃんに案内してもらいながら、最後は現地の小父さんに教えてもらい、狭い所ながら小一時間ほど探し廻り、ようやく探し当てたのでした。
最初お尋ねしたお婆さんからは下の橋を渡って50メートル進んだら見えてきますよとのことでした
最初お尋ねしたお婆さんからは“下の橋を渡って50メートル進んだら見えてきます”とのことでした、ところが、橋は何本もあり、入り組んだ道が交差しているためなかなか辿り着くことはできなかったのでした。
何とか辿り着きはしたのですが、鳥居に神額は掛けられていません。
しかし、社殿に入ると、はっきりと「玉垂神社年間祭礼行事予定」と書かれており、紛れもない高良玉垂命を祀る神社であることが確認できたのでした。
神殿には鍵が掛けられていなかったことから純粋な研究心で拝ませて頂きましたが、五柱の神様が祀られているようです。
この見当は付きますが、ここでは省略します。
もしかしたら、仲哀死後、高良玉垂命(実は第9代開化天皇)と、神功皇后が神殿内に祀られているのではないか(「高良玉垂宮神秘社」には“高良玉垂命と神功皇后は夫婦なり”と銘記されています)と期待したのですが、残念ながら高良玉垂命と思われる男の神様が祀られていただけでした。
古い神社と考えた理由は紅葉の大木でした。どう考えても樹齢七〇〇年は堅いと思うのですが、いずれ再び訪ねる事になると思います。
実は、前述の下松市の高良社の確認で、西日本の高良神社を全て確認したと思っていたのですが、これらとは別に、全く忘れていた玉垂神社を思い出し実見する事ができたのでした。
今回は、同行のN氏に目的地を決めて頂いたのですが大正解も大正解!まだまだ、高良神社があるような気がしてきました。