スポット030 宮地嶽神社への参拝者急増!
20160405
久留米地名研究会(編集員) 古川 清久
宮地嶽神社への参拝者が急増しています。ここ一~二カ月で三回ほど参内しましたが、三回ともこれまでにない人波で、一回は超大型駐車場が満杯になるほどだったのです。
失礼ながら不思議に思っていたのですが、理由は「嵐」が出演するJALのCMのロケ地に宮地嶽神社と沖の藍嶋ラインが採用され、二月以降その人気CMが流れたからのようなのです。
日没の島へと伸びる参道線(正面は相島)
太宰府天満宮境内から国立歴史博物館へと連絡する巨大エスカレーターが稼働して以来、同社への参拝客が急増し梅ケ枝餅の売り上げも急増したやに聞き及んでします。
この効果で参道の土産物屋が潤っている事は明らかですが、このような物理的なハード面からではなく、CMというソフトウエアーの効果だけでこれほどの影響が出るとは、感覚が古すぎますが、正に情報化社会を再認識させられたところです。
実際のところ、それまでの宮地嶽神社への参道の寂れ様は目を覆いたくなるほどのものでした。
その原因なのか結果なのかは一概に言えませんが、西鉄宮地嶽線の廃線という事実が横たわっています。
宮地岳駅(みやじだけえき)は、かつて福岡県福津市宮司に存在した、西鉄宮地岳線の駅。2007年(平成19年)、宮地岳線(現・貝塚線)の区間廃止に伴い廃駅となった。
ウィキペディア(20160406 21:30)
JALのCM「嵐」効果の映像
5月8日(日)この宮地嶽神社の浄見 譲宮司の講演会が5熊本県和水町で行われます
久留米地名研究会の提携団体である菊水史談会が五月中に三つの講演会を行います。
始めは自らの耳を疑ったほどでしたが、どうやら本気のようで一年分のスケジュールを一気に消化する勢いなのです。
それと言うのも5月8日の連休最終日に超大物中の大物の宮地嶽神社の浄見 譲宮司による「宮地嶽神社とつくし神舞」講演が予定されているのです。
これについては、HP久留米地名研究会、blog「ひぼろぎ逍遥」のトップ画面をご覧ください。
宮地嶽神社と言えば、九州北半の大半のバス、タクシー、乗用車に宮地嶽神社交通安全のお守りが置かれていた時代があり、驚くほどの信仰圏(祭祀圏)を持っていた事は皆さんご存知の通りでしょう。
この太宰府天満宮に次いで県下で(という事は九州全域で)参拝客が多いこの神社こそ謎の九州王朝宮廷舞と言われる「筑紫舞」を継承した神社であり、今尚続くその信仰圏は、九州王朝の中枢領域(直轄支配地域)を思わせるものなのです。
久留米地名研究会でも五年ほど前でしたが、浄見宮司に「九州王朝の周辺」講演をお話頂いていますが、いよいよ、「筑紫舞」で中心的な役割を果たす肥後の翁の領域に於いて講演して頂けるところまで来たのです。
それに合わせ、九州王朝研究の最先端を担う佃収氏による「筑紫舞の肥後の翁と江田船山古墳」講演も行われる予定で、まさに、夏の古墳祭り(江田船山古墳)への伏線が静かに敷かれているようなのです。
前述の通り、宮地 嶽神社の交通安全のお守りはどなたもご覧になったはずで、その背景には、薩摩から北海道の江差まで北前船の航路安全を支えた安曇族の活動領域と宮地嶽神社 信仰圏とを見るのですが、まさに、空にまで宮地嶽神社の交通安全の神威が及びつつあるのではないかと思いが広がったところです。
つい、二週間前の 事ですが、日田市内でバスに乗ったところこのバスの運転席にも宮地嶽神社のお守りが置かれていた事から、同乗者も無く運転手さんに「これは個人で置かれた のですか?」とお尋ねしたところ、「会社のどこかの部局で纏めて求めて置いているようです」とのお答えを頂きました。
日田と言えば豊後ながら、豊前の宇佐八幡宮の神威が及ぶべき領域なのですが、民間レベルではやはり宮地嶽神社の神威が底流に流れている事を静かに感じた瞬間でもありました。
はたして、JALの旅客機の操縦室に空の交通安全御札が置かれているかは知りませんが、日航の初代社長であるM氏が佐賀県の出身者だった事を思えば、全く無い話ではないような気がしています。
菊水史談会(熊本県和水町)久留米地名研究会提携団体
会場:和水町中央公民館 熊本県玉名郡和水町江田3883-1 ℡0968-86-2022 事前申込不要 資料代500円
※ 宮司講演については09062983254(古川)まで、詳細については事務局09037874460(前垣)まで
一部には九州王朝論をご存知でない潜りとしか言いようの無い古代史ファンもおられるのかも知れませんが、まずは九州王朝論の一端でもお聴きになれば、現在の通説により持ち込まれたデタラメな古代史観が一変する事と思います。
考古学会がしがみつく「邪馬台国畿内説」などという大嘘から一刻も早く解放され、真実の列島の神代史、古代史に目を向けて頂きたいと思います。
嵐のCMで有名になった相島ですが、ここには数百基の積み石塚古墳群が存在します。参道がその方 向を見ているだけでも、また、巨大石室を持つ宮地嶽古墳の石材がこの相島から運ばれていることからだけでも、被葬者が宗像徳善の君とかその一族とかいった 京都学派(といっても國學院ですが)によるN某の説がただの好い加減な思いつきか、宗像への利権を意識した捏造でしかないように思えて来るのです。
相島とは、多分、阿部(アヘ)で、孝元天皇の大彦の流れから出た安部(表記はどうとでも)氏ですね。