282 北北東に進路を取れ! ② 加西市坂本の王子神社
20151219
久留米地名研究会 古川 清久
姫路市飾東町の高良神社を確認した後、周辺の大歳神社や熊野神社を見せて頂き、加西市坂本の王子神社を見に行くことにしました。
熊野神社は、高良神社以上に立派な社殿を持つ素晴らしい神社でこれはこれで書きたいのですが、全ての神社を書き出したら、一日に10本ものブログを書く破目になってしまいます。
いよいよ東日本への進出です。ところが、その途中にも見たい神社は次々に出て来るもので、カーナビには、どんどん地名と神社がセットで表示されてきます。
最近では、地名を見ただけでその地区には如何なる神社があり、如何なる人々が住んでいるかの大まかな見当が着くようにもなり出した事から切りがないのです。
こうなると、地獄で喘ぐ亡者のようなもので、全ての神社を自分の目で確認しなければいられないと言う○○地獄に嵌った様なものであり、決して平安は訪れません。
カーナビに坂本という地名を発見するや、王子神社との社名が出て来ると、どのように考えても、久留米市の高良皇子神社=王子宮としか考えようがないのです。
しかも、坂本との地名がある事から、高良玉垂命の血の入った氏族が住み着いた土地でないはずはないのです。
この地区も古い集落である事は一目で分かります。
境内には一目、市杵島姫(弁天様)と思えるものなど、幾つかの摂社、分社がありましたが、如何なる神様かの確認は出来ませんでした。
非常に良く手入れが行き届いた神社で、地域の尊崇を一身に集めている事が良く分かります。
たまたま、神殿の扉が半開きだったため勝手ながら垣間見させて頂いたのですが、三体の神様がおられる事が分かっただけでした。
しかし、これでもある程度の事が分かるのです。何故ならば、本家本元の、久留米市山川町の坂本宮には坂本の命を真中に三人の高良皇子(那男美ノ命神は女性神ですので…)が祀られているからです。
久留米市山川町の高良皇子神社=王子宮の祭神
上の五柱が高良玉垂命=第9代開化天皇と神功皇后との間に産まれた皇子神
その筆頭 斯礼賀志ノ命こそが若宮神社の主神=第14代仁徳天皇
斯礼賀志ノ命神(シレガシ)
朝日豊盛ノ命神(アサヒトヨサカリ)
暮日豊盛ノ命神(クレヒトヨサカリ)
渕志ノ命神(フチシ)
谿上ノ命神(タニガミ)
那男美ノ命神(ナオミ)
坂本ノ命神(サカモト)
安志奇ノ命神(アシキ)
安楽応宝秘ノ命神(アラオホビ)
下の四柱が仲哀天皇の子であり(必ずしも神功の実子と考える必要はない)、神功皇后の連子とも考えられる。この中に応神はいないと考えています(高良大社に残された「高良玉垂宮神秘書」による)。