340 真庭、湯原から蒜山高原へ中国山地の奥深く ⑦ “湯原温泉の社の横見神社”
ひぼろぎ逍遥、ひぼろぎ逍遥(跡宮)共通掲載
20160504
久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
二宮神社から二百メートルほど離れた集落の対岸、山裾の少し低い場所に横見神社が単独で鎮座しています。
当社は、貞観6年(864年)8月15日に、従五位上に叙せられる古社となるが、その創建に関しては、詳細は不明となる。社殿は保延4年(1138年)2月、貞治5年(1366年)9月、文明11年(1479年)2月にわたって再建され、拝殿は昭和56年7月13日未曾有の豪雨に襲われて流出し、昭和58年10月9日に、再建された。
ここまでしか分かりませんが、それではただのガイドブックに過ぎなくなります。
大山祇命は瀬戸内海の大三島に大山祇神社に祀られています。
このため、何故、山の神様が海に祀られているのか?といった疑問を持たれる方は多いようです。
その感覚は正しいのですが、まず、神と崇められている集団(民族)と崇めている集団(民族)が全く同じものという考え方自体が全くの誤りであり、列島の民族が万世一系の天皇家を崇める単一民族といったデマに晒されてきた結果遍く押し広げられているだけでしかなく、長年月の間に通婚が進められ実質的に同族化が進んではいるものの、古代に於いては異なった民族同士の衝突、離合集散が頻発していたことから、異なった民族同士の政略結婚が支配層に於いては繰り返されていた事を見落としてはならないのです。
百嶋神社考古学では、大山祇命=月読命はトルコ系匈奴の流れを汲む金管伽耶の金越智(ウマシアシカビヒコジ)と白族の天御中主との間に産まれた越智族のプリンスであり、再び、白族で天御中主の姪にあたる埴安姫との間に産まれたのが二宮神社( 壹粟神社) 神大市姫命であり、大国主命であり、皆さん良くご存じの木花咲耶姫になるのです。
簡単に言えば、二宮の筆頭神の神大市姫命の父神が何故か横見神社として祀られていることになるのです。
この理由は全く分かりません。広島から岡山に掛けての瀬戸内海沿岸には八角形に三つ引きの大三島を意味する神紋を多く見かけるのですが、そのような近世の影響を受けていない大山祇命=月読命の原型を見た思いがして非常に興味深く見せて頂きました。
しかし、大国主命も木花咲耶姫もこの里には祀られていません。
多分、この辺りが謎を解く鍵と言えそうなのですが、これ以上は踏み込めません。
ウマシアシカビヒコヂ
ウマシアシカビヒコヂは、日本神話に登場する神。天地開闢において現れた別天津神の一柱である。『古事記』では宇摩志阿斯訶備比古遅神、『日本書紀』では可美葦牙彦舅尊と表記する。
『古事記』では、造化三神が現れた後、まだ地上世界が水に浮かぶ脂のようで、クラゲのように混沌と漂っていたときに、葦が芽を吹くように萌え伸びるものによって成った神としている。すなわち4番目の神である。『日本書紀』本文には書かれていない。第2・第3の一書では最初に現れた神、第6の一書では天常立尊に次ぐ2番目に現れた神としている。独神であり、すぐに身を隠したとあるだけで事績は書かれておらず、これ以降、日本神話には登場しない。
ウイキペディア(20160504 19:00)による
百嶋由一郎最終神代系譜(部分)
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